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2012年7月30日 (月)

エッセイ「心のままに」(9 )

  愛に満たされて

 
  あなたは、感じませんか?

どんなに悲しいことがあっても、

あなたを慰める人がいることを。


  あなたは、

感じません  Photo

か?

  どんなに苦

しいことが

あっても、

あなたを力

づけ、助け

る人がいる

ことを。


  あなたは、

感じませんか?

 どんなに切ないことがあっても、

あなたが愛に満たされていることを。

   Photo_2




  人を愛せる幸せ




  人の幸せには、様々あろうけれど、

人を愛せることこそ、無上の幸せ。―

  金も無く、物さえ無くても、愛に勝る宝なし。


  「他者(ヒト)を愛することなど出来ない」と言う人も

あろうけれど、愛を知らずして、一体、何の人生?―

Photo_3   「生きる」とは、

「愛する」という

ことではないの

かな?

   人間、他者

(ヒト)を心から

愛して初めて、

真に幸せにな

るのだと思う。

 そこで感じる

のは「人間の

本質は、愛で

ある」という

とだ。

 その本質を実現することこそ、

人間の”生きる意味”でもある

思うのだ。



  ホンモノの愛



  愛の光を浴び、自ら愛されていることを感謝すること

無しに、人は、真に他者(ヒト)を愛することはできない

と思う。

Photo_6 自ら「愛され

た」という記憶

の無い人に、

他者(ヒト)を

愛する心を求

めることは

しい。

  けれども、

そのような愛

知らない人々

こそ、「愛」

素晴らしさを伝

えることが、

ホンモノの愛なのではなかろうか。



  真実の愛


  この世には、様々な愛がある。

もし「真実の愛」というものがあるならば、

それは、一体どんなものだろう?

 人が、どんなに能弁に愛を語っても、

「真実の愛」と反対の”偽りの愛”は、存在する。

 その代表的なものが、独善的な“自己愛”ではなかろ

うか。

現代は、「ナルシスト(自愛主義者)の時代」とも言える。

  これに対して「真実の愛」とは、一つに、自己を脱却

(あるいは、超越)したものである。

 つまり、「自分」という存在を忘れたものなのだ。

Photo_7
 そして何より、

それは、”弱き

者への無償の

行為”では

ないだろうか。

 確かに人は、

「自己」を滅却

できなければ、

そのような行為

はできない。

 また、その行為

の背景には、真の

平等感”も存在

する。

(*写真は、「死を

待つ家」でのマザー・

テレサ)

  愛は、人への“思い”であると同時に、人への”実践

行為”でもある。むしろ、両者が合体したものだ。

  それゆえ、真の平等意識に根ざした”弱き者への無償

の行為”こそ、私は「真実の愛」だと思うのだ。

 【つづく】

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