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2012年7月17日 (火)

或るエッセイの試み

 ヘレン・ケラーの「輝ける魂」をご愛読くださいまして、誠に有難うござい

ました。Photo

 

   この度の「九州北部豪雨」の水害に際しましては、親しい方々より、

心温まるお見舞を賜りました。心より感謝申し上げます。

  犠牲になられた方々、並びに被災された方々に、心よりお悔み、

並びにお見舞いを申し上げます。

  実は、この度、私の親戚の中にも被災した人々がおります。

私も、幼少の折、大水害に見舞われましたが、両親が身を挺して

守ってくれました。その事にも、感謝している次第です。



   ところで、次に何を書いたらいいものか、目下、思案中です。

ここに、一つのエッセイがあります。

 それは、次のようなものです。

    

  「己れに克つ」

 ≪私たちは、自分の思い通りにことが運ばなかった時、その原因を、 

勢い自分の外に求め勝ちです。   

  また、「自分には、別にこれといった咎はない。むしろ悪いのは相手 

のほうだ」とか、「あいつのせいで、今のおれはこんなに惨めだ」とか、 

とにかく、すべての責任は、自分などにあるのではなくて、むしろ周り 

の人々にあるように思い込みがちです。  

 

  しかし、ここに、私たちの甘えがあり、私たちのずるさがあり、そして 

私たちの弱さが潜んでいるように思います。   

  概して、人は、真正面から自分自身を裁こうとはしないものです。  

まるで、自分について、冷静な反省をする余裕さえないかのようです。  

  そこでは、傷つくのは、常に自分であり、傷つけるのは、常に周りの 

人々、周りの環境です。  

  それで周りの人々は、すべて自分の敵(ライバル)であり、信じられる 

ものは、常に自分しかありません。 

 

  しかし、とりわけ対人関係において、以上の考え方は、誤っているよう 

に思うのです。  

 自らの成功を邪魔するもの、それは他人ではなくて、むしろ自らの弱さ、 

自らの怠慢です。  

  自分を誘惑するもの、それは決して外的事物などではなくて、それを 

見て内心ニヤリとする自らの淫蕩さなのです。  

 

  自分を精神的に傷つけるもの、それは他人や周りの事物などではなく 

て、自らの弱気、迷い、そして背信行為などです。 

  そして自分にとっての敵(ライバル)、それは決して周りの人々などで 

はありません。むしろ、自分自身なのです。 

  そう、自分こそが、あなたにとっての最大にして最強の敵なのです。

 あなたは、自分自身に克つことが、おできになりますか?  

  もし、仮にそれが可能だとするならば、あなたにとって、この世におい 

て、神様以外に、何ひとつ恐いものはないでしょう。  

 

  古人は、いろいろの角度から、この「己れに克つ」すなわち克己心に 

ついて諭しましたが、私は、最近とみに、この「克己心」というものの 

大切さ、難しさといったものを痛感します。  

 

  前述しましたように、この世において、あなたにとっての最大の敵、 

それは、まさに自分自身なのです。 

  決して、他人でもなければ、周りの状況でもありません。


 

 それはまた、決して遠くにあるものではなくて、むしろ、自己の中に潜ん 

でいるものなのです。  

  それらこそが、あなたにとっての足枷、障壁、そして敵なのです。 

 そして、私たちの一生は、終生、この自己との戦いです。

 

   また、「己れに克つ」 

ことにおけPhoto_2る私たちの 

理想こそは、まさに、 

 自己に克ち、死にさえ 

にも打ち克ち、自らを  

神と人とに捧げ尽くさ 

れたキリスト・イエスの 

ご生涯ではないかと   

思うのです。≫

 

 

 

 

 

 

 

 
 



   自分で言うのも可笑し 

いですが、まるで、司祭 

(牧師や神父)の言葉の

ようです。

 でも、これは、すでに35年前に書いた、私のエッセイの一篇です。

  当時は、次から次へと新しい想念が浮かんでいました。幾分、肩を

張ったような気負いもあったでしょうが、何より、無心で、一生懸命だ

ったような気がします。

  日本では、エッセイは、随筆や随想といったものとして理解されてい

すが、外国で、essayと言いますと、時に固い論文であったり、評論

であったりします。

  しかし、私にとりまして「エッセイ」は、時に詩文のような、自由気まま

章を意味しています。

  それで、これより、しばらくの間、「心のままに」という題で、私なりの

エッセイを書いてみたいと思うのです。

  どうか、よろしくお願いいたします。

    Photo_12

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