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2012年7月28日 (土)

エッセイ「心のままに」(8)

  生かされている自分

 

   人は、思います。“自分は、生きている”と。

でも、本当にそうでしょうか?

  私は、むしろ、”生かされている” と思うのです。


   「神」、「仏」、「宇宙の意志」、「Something  Great 」
 

など、様々な呼称が可能ですが、そのような”実在” 

によって生かされている「自分」を強く感じます。

 

   Photo_2

  とりわけ、「死」を意識する時、この思いは、強く表わ

れます。

 私は、この”生かされている”という現実に、深く感謝

せずにはいられません。

  ”生かされている自分”という思いを通して謙遜、かつ

真摯に生きて行けたら、われわれは、真に幸せなのだ

と思うのです。



  ”大いなる慈しみ”



  人間が、どれ程高い建物を建て、豪奢な住居に住み、

巨大な都市を建設しようと、神・仏の前には、塵に等し

いものではな

かろうか?Photo_3

  人間は時折、

蟻が、ものを

運ぶ姿を目に

する。

 この「チイサキ

モノ」の行為を、

心の中で笑うこ

とさえあろう。

  されど、蟻と

人間との行為

に、一体、如何

なる違いがある

のか。

 全く同じなのではあるまいか。



  むしろ、神・仏の「目」には、人間を始め、如何なる

生き物の行為も、すべて同じなのではないだろうか。

  この世に生存するすべての生き物は、神・仏の目に

は、すべて平等なのだ。

 そして、生あるすべてのものは、共に繋がり合う

”一つの存在”でもあるのだ。

  実は、この思いも”大いなる慈しみ”が反映された

ものだと思うのだ。



   すべては、神の計らい

  この世で、私たちは、いいこと、悪いこと、つまり吉事

や凶事など、様々なことに遭遇します。

  その度に、喜んだり、悲しんだり、驚いたり、怒ったり、

困惑したりなど、色々の反応をします。

  唯、物事の現象がどうあれ、私は、自分に起こる

「すべてのこと」が、神の計らいによるものだと思う

のです。

  一見、不運や難事に思えることでも、その奥に、

”神の御手”が働いていると感じます。


  昔、東京で、ご指導をいただいていたフランス人の

神父様が、或る日、私に、こう仰いました。

 「ワタナベサン、カミサマハ、ケッシテ、ワルイモノハ、

クダサイマセンヨ」と。

 この神父様は、若い頃、一人の日本人の暴漢に

よって首を刺され、瀕死の重態から、奇跡的に快復

された方でした。

  それでも、時折、激しい頭痛に見舞われ、左脚を引き

ずっておられました。

Photo_4 その時の

お言葉は、

神は、常に

「いいもの」

を下さり、

すべて

”よい方”に

導いて下さ

るという、

師の確たる

信念に基づ

くものでした。

  私も日々、この思いを強くしています。

そして、強く確信するのです”すべては、神の計らいだ”

と。



  すべては、天命

  この世に「偶然」は無く、すべては、「必然」なのでは

あるまいか。

 この世の幸福も不幸も、そのすべてが、自ら招き入れ

たものではなかろうか。 いや、すべては、天命によるも

だと思うのだ。

 また、私たちは各々、果たすべき使命(=「天命」)

持っている。
Photo_6


  それを知り、それを実現することが、この世に生きる

意味なのではあるまいか。

 「すべては、天命」と思う心には、幸福も不幸もない。

幸運も不運もない。

 人は、人生で経験するすべての事を、自らの「天命」

を実現するまでの試練と理解できる。

  そこで、人は、与えられた自分の道を、雄々しく歩み

続けることができるのだ。  【つづく】

  (後記:ロンドン・オリンピックが始まりました。

       「平和の祭典」の名にふさわしく、

             平和裡に展開されることを、心から

      祈念しています。)

 

 

 

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