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2012年7月

2012年7月31日 (火)

エッセイ「心のままに」(10 )

 涙は、魂を浄める


  涙が、まるで泉のように湧き上がり、滝のように流れ

落ちる瞬間があります。

 でも、それが一体、悲しみの涙なのか、嬉し涙なのか、

あるいは、切ない心から発する涙なのか、皆目、分から

ない時があります。
      

  それは、実は感動の涙、あるいは「感謝の涙」なのでは

ないでしょうか。

                     Photo_9
      
(*写真は、耳の不自由な女性〔左側〕が、生ま
れて

        初めて聴いた「音」に感激して、涙を流す場面です。)

  私たちが、何か”偉大なもの”によって包み込まれて

いるような喜びや感動を味わい、それに対する感謝の

思いを抱くと、それが、大量の涙となって、流れ落ちる

です。それも、無意識のうちに。―

  これは、まさに”魂を浄める”涙と言えましょう。

確かに、涙は、時にわれらが魂を浄めます。

  そのような体験ができるのも、人生の妙味かと思うの

です。



   心の涙


  ニーチェは、「汝の血をもって、ものを書け」と言った

けれど、私は、自ら涙を流しながら、ものを書いていき

たい。その涙は“心の涙”。(*下の写真は、

ニーチェ)

  人は、実際に涙

流すPhoto_10ことはなく

ても、“心で泣き、

心の涙を流す”こ

とがある。

  人の哀しみは、

に出るものより、

ないものの方が

い。

 多くの人々が、

人知れず“心の

涙”を流している。

  人の哀しみを知

ずして、本当は、

ものは書けないけ

れど、それを知ら

して、ものを書

私は、「厚顔無恥」そのものかも知れない。

  しかし、その自責の念を抱きつつ、私は書いていきた

い。

 表にこそ出ないけれど、殆どの人が流す“心の涙

 あふれんばかりの“心の涙”を流しつつ、人は、懸命に

生きている。

  その姿に共感しつつ、人々への「人生の応援歌」を書

いてみたい。自ら“心の涙”を流しながら。・・・・・

                       Photo_11



  


  涙の海を、泳いで渡ろう!



  かつて、「苦い米」というイタリア映画があったけれど、

時に、惨めな思いをして、生きるための「食」を得るの

が、われらが人生。


  われわれは、涙無しには生きられない。悲しくても涙、

切なくても涙、また嬉しくても涙。

 まさに、涙あってこその人生だ。涙こそ、生涯の良き

である。

  親鸞上人はかつて、「愛欲の広海に沈み」と、自らの

欲望(とりわけ、性欲)の深さを告白なさった。

 私は、上人の正直さに感動する。(*下の肖像画の

 人物)

Photo_12  されど、人間

の欲望だけで

なく、まさに、

われらが人生

こそ「海」であ

る。

 それも、数多

の人々が共

して流す

”涙の海”だ。

 

  ならば、友よ、

涙の海を泳いで

渡ろう! 

 
  

 われわれには、  Photo_14

それを渡り切る

勇気と力が与え

られているのだ

から。

 それに、神・仏

が、共にいて下

さるのだから

 【つづく】
 

 

2012年7月30日 (月)

エッセイ「心のままに」(9 )

  愛に満たされて

 
  あなたは、感じませんか?

どんなに悲しいことがあっても、

あなたを慰める人がいることを。


  あなたは、

感じません  Photo

か?

  どんなに苦

しいことが

あっても、

あなたを力

づけ、助け

る人がいる

ことを。


  あなたは、

感じませんか?

 どんなに切ないことがあっても、

あなたが愛に満たされていることを。

   Photo_2




  人を愛せる幸せ




  人の幸せには、様々あろうけれど、

人を愛せることこそ、無上の幸せ。―

  金も無く、物さえ無くても、愛に勝る宝なし。


  「他者(ヒト)を愛することなど出来ない」と言う人も

あろうけれど、愛を知らずして、一体、何の人生?―

Photo_3   「生きる」とは、

「愛する」という

ことではないの

かな?

   人間、他者

(ヒト)を心から

愛して初めて、

真に幸せにな

るのだと思う。

 そこで感じる

のは「人間の

本質は、愛で

ある」という

とだ。

 その本質を実現することこそ、

人間の”生きる意味”でもある

思うのだ。



  ホンモノの愛



  愛の光を浴び、自ら愛されていることを感謝すること

無しに、人は、真に他者(ヒト)を愛することはできない

と思う。

Photo_6 自ら「愛され

た」という記憶

の無い人に、

他者(ヒト)を

愛する心を求

めることは

しい。

  けれども、

そのような愛

知らない人々

こそ、「愛」

素晴らしさを伝

えることが、

ホンモノの愛なのではなかろうか。



  真実の愛


  この世には、様々な愛がある。

もし「真実の愛」というものがあるならば、

それは、一体どんなものだろう?

 人が、どんなに能弁に愛を語っても、

「真実の愛」と反対の”偽りの愛”は、存在する。

 その代表的なものが、独善的な“自己愛”ではなかろ

うか。

現代は、「ナルシスト(自愛主義者)の時代」とも言える。

  これに対して「真実の愛」とは、一つに、自己を脱却

(あるいは、超越)したものである。

 つまり、「自分」という存在を忘れたものなのだ。

Photo_7
 そして何より、

それは、”弱き

者への無償の

行為”では

ないだろうか。

 確かに人は、

「自己」を滅却

できなければ、

そのような行為

はできない。

 また、その行為

の背景には、真の

平等感”も存在

する。

(*写真は、「死を

待つ家」でのマザー・

テレサ)

  愛は、人への“思い”であると同時に、人への”実践

行為”でもある。むしろ、両者が合体したものだ。

  それゆえ、真の平等意識に根ざした”弱き者への無償

の行為”こそ、私は「真実の愛」だと思うのだ。

 【つづく】

2012年7月28日 (土)

エッセイ「心のままに」(8)

  生かされている自分

 

   人は、思います。“自分は、生きている”と。

でも、本当にそうでしょうか?

  私は、むしろ、”生かされている” と思うのです。


   「神」、「仏」、「宇宙の意志」、「Something  Great 」
 

など、様々な呼称が可能ですが、そのような”実在” 

によって生かされている「自分」を強く感じます。

 

   Photo_2

  とりわけ、「死」を意識する時、この思いは、強く表わ

れます。

 私は、この”生かされている”という現実に、深く感謝

せずにはいられません。

  ”生かされている自分”という思いを通して謙遜、かつ

真摯に生きて行けたら、われわれは、真に幸せなのだ

と思うのです。



  ”大いなる慈しみ”



  人間が、どれ程高い建物を建て、豪奢な住居に住み、

巨大な都市を建設しようと、神・仏の前には、塵に等し

いものではな

かろうか?Photo_3

  人間は時折、

蟻が、ものを

運ぶ姿を目に

する。

 この「チイサキ

モノ」の行為を、

心の中で笑うこ

とさえあろう。

  されど、蟻と

人間との行為

に、一体、如何

なる違いがある

のか。

 全く同じなのではあるまいか。



  むしろ、神・仏の「目」には、人間を始め、如何なる

生き物の行為も、すべて同じなのではないだろうか。

  この世に生存するすべての生き物は、神・仏の目に

は、すべて平等なのだ。

 そして、生あるすべてのものは、共に繋がり合う

”一つの存在”でもあるのだ。

  実は、この思いも”大いなる慈しみ”が反映された

ものだと思うのだ。



   すべては、神の計らい

  この世で、私たちは、いいこと、悪いこと、つまり吉事

や凶事など、様々なことに遭遇します。

  その度に、喜んだり、悲しんだり、驚いたり、怒ったり、

困惑したりなど、色々の反応をします。

  唯、物事の現象がどうあれ、私は、自分に起こる

「すべてのこと」が、神の計らいによるものだと思う

のです。

  一見、不運や難事に思えることでも、その奥に、

”神の御手”が働いていると感じます。


  昔、東京で、ご指導をいただいていたフランス人の

神父様が、或る日、私に、こう仰いました。

 「ワタナベサン、カミサマハ、ケッシテ、ワルイモノハ、

クダサイマセンヨ」と。

 この神父様は、若い頃、一人の日本人の暴漢に

よって首を刺され、瀕死の重態から、奇跡的に快復

された方でした。

  それでも、時折、激しい頭痛に見舞われ、左脚を引き

ずっておられました。

Photo_4 その時の

お言葉は、

神は、常に

「いいもの」

を下さり、

すべて

”よい方”に

導いて下さ

るという、

師の確たる

信念に基づ

くものでした。

  私も日々、この思いを強くしています。

そして、強く確信するのです”すべては、神の計らいだ”

と。



  すべては、天命

  この世に「偶然」は無く、すべては、「必然」なのでは

あるまいか。

 この世の幸福も不幸も、そのすべてが、自ら招き入れ

たものではなかろうか。 いや、すべては、天命によるも

だと思うのだ。

 また、私たちは各々、果たすべき使命(=「天命」)

持っている。
Photo_6


  それを知り、それを実現することが、この世に生きる

意味なのではあるまいか。

 「すべては、天命」と思う心には、幸福も不幸もない。

幸運も不運もない。

 人は、人生で経験するすべての事を、自らの「天命」

を実現するまでの試練と理解できる。

  そこで、人は、与えられた自分の道を、雄々しく歩み

続けることができるのだ。  【つづく】

  (後記:ロンドン・オリンピックが始まりました。

       「平和の祭典」の名にふさわしく、

             平和裡に展開されることを、心から

      祈念しています。)

 

 

 

2012年7月27日 (金)

エッセイ「心のままに」(7 )

 

  たとえ、何もできなくなっても

 

  たとえ、人が歩いたり走ったりできなくても、外気を、

肌で感じることはできます。 

 たとえ、その人の瞳が光を失い、ものが見えなくなっ

ても、まだ、耳で聞くことはできます。

たとえ、人が五感を失っても、まだ、心で感じることは

できます。  Photo_8

     
 たとえ、人が他者(ヒト)の役に立てなくても、他者

(ヒト)のために祈ることができます。

  たとえ、私たちが何もできなくなっても、それぞれに

神や仏を信じ、逞しく生きていくことができます。

 

  祈りの心

 

  人間の心で最も美しいものは、 

他者(ヒト)のために捧げられる「祈りの心」では、

ないでしょうか。 

  日々の祈りこそ、まさに生命の泉です。

 

  私たちは、日々Photo_16

の生活の中で、         

意識的・無意識

的とを問わず、

「祈り」をささげて

います。

  個々人の希望、

願望、気遣いなど、

そのすべてが、

「祈り」となります。

 

 とりわけ、自分の

ことよりも先に、

他者(ヒト)のため

に祈れたら、その「祈りの心」は、本物だと申せましょう。



   日々の祈り

 

  変わるべきは、私です。 

すべての人に悪意を抱かず、 

悪いものを見ず、悪いことを聞かず、

悪いことを言わず、

今日も生きていきます。


Photo_14
 人に笑顔を求め

る前に自ら微

み、人に優しい言

葉を求める前に、

自ら快く相対

(あいたい)

して行きます。

   明日のことを思い

煩うことなく、今日

という日を、精一杯生きて行きます。



  人々が、幸せでありますように




  「人々が、幸せでありますように。・・・・・」

天皇陛下の年始のお言葉ではありませんが、

私は、こう祈らずにはいられません。


  「この世に、一人でも不幸せな人がいる限り、自分は、

決して、幸せにはなれない」という言葉があります。

  宮沢賢治やマハトマ・ガンディーといった、愛の人”

と言える人々の正直な思いです。
  

 



 この思いは、自分     Photo_19


が唯ひとり存在する

のではなく、この世

のすべての人々や

あらゆる生き物と深

く繋がっているという

考えによって成り立

っています。




 そこには、自分が

宇宙と”一体である”

という不動の信念が

あります。

  このような同一感を

持てる人々は、他者

の幸せを心から祈れ

るという、そのひと事で、

実は、”真に幸せな人々”なのかも知れません。

  しかし、彼らは、自分のことなど眼中に無く、ひたすら、

こう祈るのです、「人々が、幸せでありますように」と

【つづく】 

         Photo_20

 

 

2012年7月26日 (木)

エッセイ「心のままに」(6 )

 

  人生の「時」


  「いま やらねば いつ できる

 
    わしが  やらねば たれがやる」 という言葉がある。

  平櫛田中(ひらくし でんちゅう:1872~1979:日本

有数の彫刻家・*写真の人物)の名言だ。

  誰にとっても、必ず、そんな時がある。


 まさに「時は、

今」なのPhoto_2である。

  確かに、いつ

でもできること

はあろう。

 しかし、今しか

できないことも

ある。

  誰にだってでき

ることもあろう。


 でも、時には、

”自分にしか

できない”という

気概も必要だ。

  決して、自惚れるわけではない。

むしろ、それは、己の仕事に対する最低限の矜持な

のだ。

  このような気概と純な誇りこそ、現代のわれわれに

求められるように思う。

人生の「時」を見出す眼力と、そのためのセンスが欲しい。



  人生、いつも「真剣勝負」


  本物の真剣で戦うわけではないけれど、人生、

いつも「真剣勝負」。(*写真は、「真剣の舞」)

 Photo_3
 あなたは、自分

の全てを賭けて、

人(=異性)を愛

したことがありま

すか?

 それが、どんな

に無茶なことだと

分かっていても、

人間、時には、

狂うもの。


  人に狂い、物に狂い、金に狂い、時には、ゲームや

ギャンブル、宗教

だって狂うもの。Photo_4

                 
  その人の狂気

の果てに、あな

たには、彼や彼

女の”純なるも

の”が見えませ

んか?


  彼は彼なりに、

彼女は彼女なり

に、至って本気、

真剣なんです。

 でも、できれば単なる”狂気”で終わらず、あくまで、

「真剣勝負」で生きて行こう。

  そこでは何より誠実、かつ真摯に生き抜く姿勢が

大事だよ。

そうであってこその、人生、いつも「真剣勝負」なんだよ。



   人生を諦めること勿れ!


  たとえ職にあぶれようと、お金に困ろうと、

決して、己(おの)が人生を諦めること勿れ!

  Photo_5人生、雨や

雪の日もあろ

うけれど、きっ

と晴れる日も

あるよ。

  様々な「天候」

があってこその

人生。

 苦楽あって

こその人生だよ。


  どんなに他者(ヒト)が君に冷たくしようと、

たとえ彼らが君を裏切ろうと、

君の「人生」は、決して君を裏切らないよ。


  君は、もっと君自身と君の人生を信頼すべき

ではないのかな。

そして、心の中で叫ぼう「友よ、人生を諦めること

勿れ!」 と。  【つづく】

           Photo_6

2012年7月24日 (火)

エッセイ「心のままに」(5)

 

 信仰と自信と希望

  サミュエル・ウルマンの言葉、「青春とは、人生の

ある期間をいうのではなく、心の持ち様を言うので

ある」には、続きがあったのですね。初めて知りました。

 

  ウルマンは、言います。 

  「人は、信念と共に若く、疑惑とともに老いる。 

人は、自信と共に若く、恐怖とともに老いる。 

希望のある限り若く、失望とともに朽ちる」と。


  確かに、「信念」と「自信」と「希望」は、私たちにと

て、なくてはならぬものです。 

 信念は、時に

「信仰」であってPhoto_12

いいかも知れま

せん。 

 自信とは、「自

己」を信じる

“自己確信”

もあります。 

  そして、最後に

残るのは、何と

いっても「希望」

です。

 

 人生とは、まるで

「パンドラの箱」の

ようなものです。 

  つまり、私たちは、

「希望」の消滅と共に、”精神的な死”を

迎えるのだと思います。 

 言い方を換えますならば、私たちが「希望」を持つ

限り、私たちに、精神的な死は、無いのです。




 「宝の山」



  人生、至る所、「宝の山」。ー 

人間の、ちょっとしたアイデアや工夫で、どこにでも

築かれる「宝の山」。

 

  ところで、「宝の山」には、目に見えるものと見えな

いものの二つがあるのではなかろうか。 

その、どちらの「山」を築くかは、まさに人次第。 

 
     
Photo_22
 

    目に見える「宝の山」は、人を物質的に豊かにし、

 この世の様々な喜びを与える。

 しかし、それは、有限。ー

  
 これに対して、目に見えない「宝の山」は、人々の

魂を豊かにし、かつ磨き、時には、天国に宝を積む」

形となる。 

  それに、それは無限、つまり永遠。―

 

  私は、目に見えない「宝の山」を築きたい。  

なぜなら、永遠に続く”喜び”を得たいから。  

 



  労を惜しむ勿れ!

  現代の日本人が、「きつい、汚い、危険」な肉体作業を、「3K」と言っ

て嫌う昨今だが、決して”労を惜しむ勿れ”。

  Photo_19

  かつて、私は、

走ることはおろか、

歩くことも、自ら動

くことさえできない

重度の障害児

(中学3年生)と関

わったことがある

けれど、肉体を

十全に動かせる

いうことは、本当に

”有難いこと”だ。


  肉体も頭脳も、使わなければ、自ずと退化する。
 

本来使える肉体や頭脳を使わないなんて、何と勿体ないことだろう! 

世の中には、使いたくても使えない人々が沢山いるというのに。ー

 

   「インドの父」マハ

トマー・ガンディーPhoto_20

がインドで最初に

した”政治的行為”

は、何と、みんな

一緒の「トイレ掃除」

だった。トイレも、磨

けば光るもの。

 

  一生懸命に掃除を

すれば、気持ちも

いいし、衛生面でもよい。

  自ら手足を使い、瀬一杯働けば、周りも明るく清潔になるし、

自分の心も浄められる。肉体労働に勝る「人生修養」は無いのでは

なかろうか。

  それゆえ、私は、強く訴えたい”君よ、労を惜しむ勿れ!”と。





   ”わが人生”
 

  人それぞれに、様々な人生があります。

でも、できれば、これこそ“わが人生”と言えるような

生涯を送りたいものです

  石川啄木の「われに働く仕事あれ、それをし遂げて

死なんと思ふ」というのがあります。

Photo_21 私は若い頃、

この歌を初めて

知った時、啄木

は、なかなか

定職に就けない

自分の苦衷を訴

えたのだ、ぐらい

にしか考えてい

ませんでした。

  でも、今は、そうは

考えていません。

 むしろ、彼が真に

生き甲斐を持ち、

生きる意味を見出し、それによって、己のすべてを

賭けれるような”生涯の仕事”を求めていたのでは

ないかと思うようになりました。

  まさに「それをし遂げて死なんと思ふ」です。

  この真摯な思いを忘れないことこそ、わが人生”

言えるに値する生き方だと思うのです。  【つづく】

 

 



 

2012年7月23日 (月)

エッセイ「心のままに」(4)

   たった一度の人生ならば

 たった一度の人生ならば、 

悔いを残さず、生きてみたい。  

  たった一度の人生ならば、  

己の魂の声に従って生きたい。 

 

  たった一度の人生ならば、  

それが、たとえ見果てぬ夢であっても、  

可能な限り挑戦したい。 

  たとえ、夢が叶わなく 

ても、Photo駄目で元々。

 

 怖じけて挑戦  

しないよりは、 

ましではないか。

 初めから、  

敗北者になる 

のではなく、  

あくまで、生涯、

一挑戦者になろう。  

 

  たった一度の人生  

 ならば、自分にしか  

 ない生き方を  

 貫いてみよう。





  人生とは?

 人生とは、どれだけ生きれたかが問題ではない。

それを、どう生き抜くかが問題だ。

つまり、その「質」や「内容」こそ、重要だと思う。



  「人生の佳境」という言葉がある。

だが、後半生の一時期だけが、「佳境」ではない。

むしろ、人生は、常に佳境なのである。


  われわれは、人生を、「勝ち」「負け」で考えたがる。

だが、人生には、勝利も敗北も無いのではあるまいか。

在るのは、自己の”良心”に、どれだけ正直に生きれたかというだけだ。

   また、人生とは、本質的に“楽しい”ものだ。

決して、「苦」ではない。

  「人生とは、楽しからず哉、苦もまた喜びゆえに」

いうのが、私の正直な思いだ。
 
          Photo_7


  それに、われわれは、他者(ヒト)を愛するために生まれる。

人生とは、まさに「愛を学ぶ過程」ではあるまいか。



  人生讃歌


  たとえ、それが、どれほど苦難に満ちたものでも、

人生は、本当に素晴らしい。

  たとえ、それが、どんなに短いものでも、

人生とは、実に有難いものだ。

  私たちは、それぞれに異なる人生を歩む。

それぞれの人生が、おのおのの違った色合いと輝きを放つ。

  自分の人生が、たとえ如何なるものであれ、

それを生き抜いてこその人生だ。


 人生、それは、私たちの魂を磨く修道場。

   
            Photo_8
 人生、それは、

心から愛したい

魅惑的な異性。

 人生、それは、

色々な宝物を

発見できる

無限の宝庫。

 人生、それは、

私たちの魂を

導く「教師」。

人生、それは、

私たちが心底、

感謝すべきもの。




                  

                    
                                         人生、それは、

Photo_9たち一人ひとり

が名演技すべき、

天下の晴れ舞台。

  私たちは、その

終幕の日に、堂々

と叫ぼう、

「人生、君は、本当に美しい」と。  【つづく】

                 Photo_11

                    

2012年7月21日 (土)

エッセイ「心のままに」(3)

 ”一日の重み”は、”人生の重み”


  「ローマは、一日にして成らず」とか、「塵も積もれば山となる」と言う

けれど、確かに、人生とは、一日一日の“努力の積み重ね”である。

  長引く不況の中、或る人々は、一攫千金を夢見たり、他の人々は、

最小限の努力で最大

の利益を得ようと考える。Photo_6

  中には、金のために、

安易に残酷な犯罪に手

を染める人々さえ出

くる。往々にして、今日、

「日々の努力」は、蔑ろ

にされる傾向がある。





Photo_8
  だが、言うまでもなく、

「人生」とは、一日一日

の”努力の結晶”だ。

 これは、当たり前の

事とはいえ、決して軽

んじられるべきことで

はない。

  一日一日の努力や

精進を軽んじて、一体、

何の人生か! 誰の

生涯か?


 人が真に自ら   Photo_11

の幸せを願う

なら、まず、一日

一日を大切にす

ることから

なければならない。

  〝一日の重み”

を知る人こそ、

”人生の重み”を

知る人と言えよう。

〝一日の重み”こ

そ、まさに“人生の

重み”なのである。







  また、「時は、金なり」と言う。

この格言は、”時間の大切さ”を表現したものだ。

時間を大切に使う事が、お金を生み出す貴重な手段とも言えよう。

  だが、至って正直に言えば、時(つまり、時間)は、お金より大切だと思う。

その大切さは、お金の比ではないと思うのだ。


  「時(あるいは、時間)」は、
ふつう、長い、短いといった”長さ”で言い表す。

しかし、時の“重み”といったものもあるのではないだろうか。

Photo_12 この場合の“重み”

とは”濃密さ”とか、

“内容の濃さ”といっ

た意味だ。

 例えば、私たちは、

かつての友人や恋人、

それに様々な事情で

逸(はぐ)れてしまった

肉親と、30年振りに

再会し、共に語り合

った3時間が、長い空白を埋めるいう体験をする。

 まさに、3時間の触れ合いが、過ぎ去った30年間と同等の、いや、それ

上の価値を持つ。

  その時に味わう、時の“重み”といったものを、私は、強く感じずにはいら

れない。


  その意味で、よく使われる言葉が「一期一会」だ。

つまり、生涯に、たった一度の出会いと別れ。―

それは、何とかけがえのない瞬間だろう。

  皆さんは、道行く人とすれ違った時、あるいは、同じ電車やバスに乗り

合わせた時に、すれ違った人や乗り合わせた人々を見て、”ああ、この

方々とは、まさにこの一瞬の出会いと別れだけで、もう今後、会うことも

無いのだ”と思われたことは、ないだろうか?

  「そんなことは、一度だって無い」と仰るかも知れない。

むしろ、こんな事を言う私は、変わっているのだろうか?

 最近、とみに、他者(ヒト)との何気ない出会いと別れに「一期一会」

哀しみを感じてしまう。それは、年のせいかも知れない。

  しかし、正直、

「一期一会」

出会いPhoto_13と別れを、

私は、たいへん

有難くじる。

 それは、とても

かけがえのない

ことだと思うからだ。




  地球上には今日、

70億人以上の人々

が住んでいる。

 その中で、私たち

が出会える人々は、

ごく限られている。


  そのため、出会う人々との別れに際して、私は、心の中で、”どうか、

お幸せに!”と祈る。 「一期一会」の出会いに感謝しながら。・・・・

  それゆえ、時に「一期一会」の出会いのある一日の重みこそは、まさに

人生重み思うのだ。  【つづく】

 

 

 

 

2012年7月20日 (金)

エッセイ「心のままに」(2)

  明日のことを思い煩う勿れ!

  でも、「明日」のことを、心配します。

 私自身、かつて、明日からの新しい仕事を控え、不安が過(よぎ)っ

た時、心の中で、次のような声が聞こえました。

  「明日のことを思い

煩う勿れ!」と。Photo

 これは、イエス・

キリストの言葉です。

  この言葉は、次の

ように続きます

   「明日のことは、

明日が心配します。

労苦は、その日そ

の日に、十分あり

ます」と。

  イエスは、この言葉

の前に、「まず、神の

国とその義とを求め

よ」と説いています。

 そこで大切なのは、自分だけに拘るのではなく、むしろ「愛」である神を

信じて、他者(ヒト)のために尽くすことだと思います。

  しかし、現実の私たちは、勢い自分に拘り過ぎ、明日の生活に対して、

言い知れぬ”不安”を感じます。

  けれども、私たちが敢えて“捨て身になって、他者(ヒト)のために

献身する中にこそ、むしろ人生の活路が見出せるものです。

  つまり、単に、明日のことをくよくよと気遣うのではなく、むしろ「今」

いうかけがえのない瞬間を、精一杯生き抜くことによって初めて、私たち

は、思いも掛けない果報を得るのだと思うのです。


  Photo_2


「明日を思い煩う

勿れ!」という言葉で、

私が強く思い出すの

は、石橋湛山氏

(1884~1973)の

晩年のことです。

  石橋氏は、1956

(昭和31) 年に、

総理大臣に選ばれ

ましたが、翌年、突然、

脳梗塞に倒れ、潔く、

政権の座から退き

ました。


  特に晩年、右半身が麻痺した同氏が、不自な左手で、彼を

見舞った訪問客に好んで書き与えた色紙の言葉が、実は、この

「明日を思い煩う勿れ!」でした。

 実際、石橋氏は、色紙に、「明日の事を思いわずらうな  湛山」と書い 

たと言われます。

  石橋氏は、この言葉の中に、彼の言論人、そして政治家としての確たる

信念を凝縮させていたのかも知れません。

  また、この言葉こそ、彼が、後世の日本人に書き遺した”遺書”だったの

かも知れません。

 その意味で、この言葉は、今日を生きる、われわれ日本人が、最も深く

咀嚼すべき格言だと思うのです。



  春夏秋冬、様々な季節を生きる植物や動物を見ていますと、それぞれが、

まるで”今日を限り

の命と思っている”

かのように、Photo_3精一

に花開き、かつ懸命

に動き廻ります。

  私たち人間も、

動物や植物たち

のように、無心に

生きて行けたら、

と思います。

 短い生命(いのち)を

健気に生き抜く彼ら

の姿は、本当に美し

いものです。Photo_4


  愛犬タローの9年と

1週間の生涯も、

実に潔いものでした。

 ”ああ、在りたいも

のだ”と、つくづく

思いました。

(*写真は、ジャー

マン・アイリスです。)


  ヘレン・ケラーの言葉にもありましたように”今日を最期の日と思い”

生き抜きたいものです。なぜなら、彼女も言いますように、一日一日の

人生が、美しく輝いているのですから。・・・


  一日一日の重みを感じつつ、それを噛み締めながら、生きて行きたいも

のです。そう”今日を、限りの命と思い”つつ。

  「明日を思い煩う勿れ!」とは、まさに、この“今”あるいは”今日”という

日を大切にしよう、という思いから発する言葉だと思うのです。 【つづく】

 

 Photo_5
  (「日の出とだるま朝日の写真blog」より転載)

2012年7月19日 (木)

エッセイ「心のままに」(1)

  愛、有りてこそ


   ≪ 愛、有りてこそ、

  人間のすべての言葉が意味を持つ。

     愛、有りてこそ、

  われわれ一人ひとりの行動が、温もりを持つ。

     愛は、光となって、人の心の中に温かく射し込み、

  豊かな温もりとなって、他者(ヒト)の心を優しく包み

 込む。Photo_2


      それは、虹色の光輪となって拡がり、

  多様な世界を一つにする。

     Photo_5





   

 

 

 

 

 






    愛、有りてこそ、

   われわれの生きる

   意味があり、

      愛、有りてこそ、

   あらゆる生き物が、

 その生を全うできる。≫



 


 、日本人が失いつつあるもの、それは、「愛」と「信仰心」のような

気がします。

  政治、社会、教育などの分野で、愛や思いやり、それに惻隠の情は、

殆ど無に近い感じです。

  しかし、愛なくて、一体、何の“教育”でしょうか!

今日の日本人(とりわけ、体制側の人々)は、まるで心なきロボットの

ようです。

  そう思うのは、決して私ばかりではないと思うのです。

皆様は、如何お考えでしょうか?



  正直、私は、次のようにも思うのです。



 
愛する人と一緒なら



 愛する人とだったら、
 

たった一瞬の出会いさえ、 

そこは、天国になります。 

 

  愛する人と   Photo_8

一緒だったら、

 どんなに質素

 食事さえ、

それは、 世界

一のご馳走 

なります。

 

 愛する人と

一緒なら、 

どんな苦難も、

喜びに変わり

ます。≫

 

 人には、様々な幸福感がありましょう。

私は、その代表的なものの一つに、”愛する人との出会い”があると

思います。

  心から愛し、信頼できる人との出会いほど、人生において価値あるもの

無いのではないでしょうか。

  まさに人の”誕生の意味”も、そこにあるように思うのです。

そのような思いでいますと、自然と、上のような言葉が浮かびました。

  無論、愛には、様々なものがあります。

その多様性は、まさに無限です。

  その無尽蔵とも言える“愛”を認知し、それに繋がれば、人は、もっと快活、

かつ積極的になれるのではないでしょうか。

  それが、真の幸せにも繋がると思うのです。

  Photo_6

  残念なことに、今の

日本人は、その愛に

対して、余りにも無関心、

無感動なのではないで

しょうか。

  しかし、人生とは、まさ

愛有りてこその

「人生」なのだと思う

のです。 【つづく】

 

 

 

2012年7月17日 (火)

或るエッセイの試み

 ヘレン・ケラーの「輝ける魂」をご愛読くださいまして、誠に有難うござい

ました。Photo

 

   この度の「九州北部豪雨」の水害に際しましては、親しい方々より、

心温まるお見舞を賜りました。心より感謝申し上げます。

  犠牲になられた方々、並びに被災された方々に、心よりお悔み、

並びにお見舞いを申し上げます。

  実は、この度、私の親戚の中にも被災した人々がおります。

私も、幼少の折、大水害に見舞われましたが、両親が身を挺して

守ってくれました。その事にも、感謝している次第です。



   ところで、次に何を書いたらいいものか、目下、思案中です。

ここに、一つのエッセイがあります。

 それは、次のようなものです。

    

  「己れに克つ」

 ≪私たちは、自分の思い通りにことが運ばなかった時、その原因を、 

勢い自分の外に求め勝ちです。   

  また、「自分には、別にこれといった咎はない。むしろ悪いのは相手 

のほうだ」とか、「あいつのせいで、今のおれはこんなに惨めだ」とか、 

とにかく、すべての責任は、自分などにあるのではなくて、むしろ周り 

の人々にあるように思い込みがちです。  

 

  しかし、ここに、私たちの甘えがあり、私たちのずるさがあり、そして 

私たちの弱さが潜んでいるように思います。   

  概して、人は、真正面から自分自身を裁こうとはしないものです。  

まるで、自分について、冷静な反省をする余裕さえないかのようです。  

  そこでは、傷つくのは、常に自分であり、傷つけるのは、常に周りの 

人々、周りの環境です。  

  それで周りの人々は、すべて自分の敵(ライバル)であり、信じられる 

ものは、常に自分しかありません。 

 

  しかし、とりわけ対人関係において、以上の考え方は、誤っているよう 

に思うのです。  

 自らの成功を邪魔するもの、それは他人ではなくて、むしろ自らの弱さ、 

自らの怠慢です。  

  自分を誘惑するもの、それは決して外的事物などではなくて、それを 

見て内心ニヤリとする自らの淫蕩さなのです。  

 

  自分を精神的に傷つけるもの、それは他人や周りの事物などではなく 

て、自らの弱気、迷い、そして背信行為などです。 

  そして自分にとっての敵(ライバル)、それは決して周りの人々などで 

はありません。むしろ、自分自身なのです。 

  そう、自分こそが、あなたにとっての最大にして最強の敵なのです。

 あなたは、自分自身に克つことが、おできになりますか?  

  もし、仮にそれが可能だとするならば、あなたにとって、この世におい 

て、神様以外に、何ひとつ恐いものはないでしょう。  

 

  古人は、いろいろの角度から、この「己れに克つ」すなわち克己心に 

ついて諭しましたが、私は、最近とみに、この「克己心」というものの 

大切さ、難しさといったものを痛感します。  

 

  前述しましたように、この世において、あなたにとっての最大の敵、 

それは、まさに自分自身なのです。 

  決して、他人でもなければ、周りの状況でもありません。


 

 それはまた、決して遠くにあるものではなくて、むしろ、自己の中に潜ん 

でいるものなのです。  

  それらこそが、あなたにとっての足枷、障壁、そして敵なのです。 

 そして、私たちの一生は、終生、この自己との戦いです。

 

   また、「己れに克つ」 

ことにおけPhoto_2る私たちの 

理想こそは、まさに、 

 自己に克ち、死にさえ 

にも打ち克ち、自らを  

神と人とに捧げ尽くさ 

れたキリスト・イエスの 

ご生涯ではないかと   

思うのです。≫

 

 

 

 

 

 

 

 
 



   自分で言うのも可笑し 

いですが、まるで、司祭 

(牧師や神父)の言葉の

ようです。

 でも、これは、すでに35年前に書いた、私のエッセイの一篇です。

  当時は、次から次へと新しい想念が浮かんでいました。幾分、肩を

張ったような気負いもあったでしょうが、何より、無心で、一生懸命だ

ったような気がします。

  日本では、エッセイは、随筆や随想といったものとして理解されてい

すが、外国で、essayと言いますと、時に固い論文であったり、評論

であったりします。

  しかし、私にとりまして「エッセイ」は、時に詩文のような、自由気まま

章を意味しています。

  それで、これより、しばらくの間、「心のままに」という題で、私なりの

エッセイを書いてみたいと思うのです。

  どうか、よろしくお願いいたします。

    Photo_12

2012年7月16日 (月)

ヘレン・ケラーの「輝ける魂」(完)

 先述したE・ヴァイエンマイヤー氏は、続けます。 

  ”私は、たった一人の人間だ。それでも、一人の人間である。”  

”すべてはできないが、何かはできる。”  

”できることを、できないとは言わない。”― 

  ヘレンの、これらの格言から、優劣で人生を考えるのをやめました。 

誰もが、長所と短所を持っているのです。 

  持っていないものを気にしても仕方ありません。 

あるもので、ベストを尽くすのみです。 

  それが、人生を一変させ、世界を動かすことさえあります。



  ナレーターの言葉です。
 

  彼(=E・ヴァィエンE_3

マイヤー氏)は、

奉仕活動も行っ

ています。 

  世界中を旅しながら、

「国境なき点字」活動

を始め、視覚障害児

に登山リーダーシ

ップを教えています。 

(*写真は、登山の

指導をするヴァイエン

マイヤー氏)

  ヘレンは、重要な遺産を残してくれました。 

彼女の不屈の精神は、私たちを鼓舞し、国際社会が抱える様々な問題の 

解決に向かわせます。




  E・ヴァイエンマイヤー氏は、言います。
 

  世界の課題は山積みで、誰もが暗中模索の心境でしょう。 

しかし、我々は今こそ、立ち上がらねばなりません。 

  ヘレンのような先駆者となり、周りを勇気づけるのです。



  ナレーターの言葉です。
 

  晩年、ヘレン・ケラーは、牧師のC・プリーストルと親交を深めます。 

彼は、スウェーデンボルグ派の牧師でした。 

  (ガラス器などを指し示しながら)彼女が聖餐式(カトリックで言う「終油の

秘蹟」)を受けた時に、実際に使用された道具一式です。 

  死期を感じたヘレンは、その信仰により、死を正面から受け入れました。

 

  ヘレンは、言います。 

 私は、死を恐れる理由が分からない。

この世の生は、死よりも残酷だ。

  生は、別離や離反を生むが、死は、永遠の生であり、再会と和解を生む。

スウェーデンボルグが、死の恐怖を取り除いてくれる。

  私は、信じている。内なる目が来世で開かれた時、意識だけを持って、

自分の心の目で生きるのだと。



 ナレーターの言葉です。

  ヘレンは、何度か脳卒中を起こし、1968年に、87歳で他界しました。

彼女は、プリーストナル牧師に、葬儀を依頼していました。

Photo_2                          Photo


     

 

Photo_3

 

   
   しかし、親族の意向により、

ワシントン大聖堂(*写真) で、

主任司祭の司式の下、

執り行われました。

 

   ヘレンの遺骸は、アンや    Photo

ポリー(*写真、右側の女性)

 と共に、聖堂に安置されて

います。

 ヘレン・ケラーの「輝け

る偉大な魂」は、世界中

の人々の心に刻まれて

ます。

  かつて、マーク・トウェ

インは、予言しました。

”彼女(=ヘレン)は、

1000年後も変わらず

有名であり続けるだろう”と。 

Photo_8In_okinawa_2  彼女は、完全な人間

であり、偉大な人道主

義者、著述家、社会運

動家でもありました。

  ”信仰は、壊れた世界

を””光の中へと導いて

くれる”。

 


   この彼女の深い信仰が、

人々の心を動かしました。

  ヘレン・ケラーの人生と

功績は、代々語り継がれ

ていくことでしょう。【了】

 

           
              後年のヘレン・ケラーの言葉です。

                               顔をいつも太陽のほうに向けていて。

             影なんて見ていることないわ。

                         〔ブログ「地球の名言」より〕

   You Tube 「輝ける魂」を、どうか、ご高覧ください。

 

 

 

 

 

 

ワシントン大聖堂(*写真)

行われます。 

 主任司祭が執り行いました。 

ヘレンの亡骸は、アンPhoto_11

とポリー(*写真右側の

2012年7月14日 (土)

ヘレン・ケラーの「輝ける魂」(10 )

  ナレーターの言葉です。 

  1964年、ヘレンは、米国で

文民最高の名誉であるPhoto_2

大統領「自由勲章」を受章

しました。 

 この偉大な女性の姿を

一目でも見ようと、彼女の

行く先々で人だかりができ

ました(*右の写真は、

大統領「自由勲章」)

  ナレーターは、続けます。

  ヘレンの存在そのものが、

人類にとって最高の贈り物です。 

彼女の活力と明るさ、そして神秘的なオーラに、多くの人が驚き、圧倒

されました。彼女の存在は、多くの涙を誘いました。



  ヘレンの言葉です。
 

  脈打つ共感により、Photo_4

私は、仲間と揺るぎ

ない絆で結ばれた。



  ナレーターは、

言います。 

   舞踏家M(マーサ)・

グレアムのダンススタ

ジオを訪ねた時、

ヘレンは、床と空気中

”振動”から音楽と

踊りを感じ取りました。

(*写真は、執筆中の

ヘレンです。)

 

 グレアムは、言います。

  ヘレンは、ドラムに触(さわ)らずとも、その強い振動を感じている。


  ナレーターは、言います。
 

  グレアムは、ヘレンを“不屈の闘士”と呼びました。

バイオリン奏者J・ハイフェッツは、ヘレンの言葉に対する愛と鑑賞眼に

驚きました。 

  哲学者のJ(ジーン)・ヒューストンは、8歳の時に、ヘレンに会い、

人生が変わったと言います。

 

  J・ヒューストン(JEAN HOUSTON)女史の言葉です。

  ”なぜ、そんなに幸せなの?”と聞くと、彼女は、笑いながら、こう答え

ました。 

 ”My  child!( 可愛い子よ!)”。 ”毎日を人生最後の日と思って

暮らしなさい”、”人生は、喜びに満ちているから” と。 

  彼女は、残された感覚を使って、豊かな感受性を育んだのです。 

大きな心を持ち”存在そのもの”が、輝いていました。 

 ヘレンを通じ、誰もが”生の喜びを感じます。 

  彼女ほど心が美しく、知的で誠実な人を知りません。


  ナレーターの言葉です。
 

  恩師ヒッツの手引き

により、ヘレンは、Photo_5

高い共感能力を開花

させます。 

 人々が彼女に神秘を

感じたのは、その共感

能力のためです。 

  外界を閉ざしていた

からではありません。


  ヘレンの言葉です。

  “視覚と聴覚を持つ人

が抱く心象を想像しな

さい”と、ヒッツ氏は、

教えてくれました。

そうすれば、彼らと同調

でき、外界を、もっと享受

できるようになる。

  彼らの人生を知ると同時に、彼らにも、私の人生を理解してもらうのだ。


  レイ・シルバーマン教授は、言います。

  ヘレンのいわば「神秘性」は、彼女の霊的洞察力や宇宙に対する深い

理解、そして共感能力に起因しています。

  彼女は、人生のあらゆる場面で”神の存在”を感じていました。


  ヘレンの言葉です。

  見えざるものを見せてくれる内的感覚は、霊界と結びついている。

触覚を通じて得た体験を見極め、浄化のため、私の心に提示する。

この感覚は、私に神を見せてくれる。

  そして、地球とあの世、現在と永遠、神と人間の間をつないでいるのだ。


 
   ジーン・ヒューストンは、言います。

  ヘレンは、高い共感能力の持ち主でした。

人や鳥、触れたものや感じたリズム、何にでも同調しました。

  彼女に直覚力があったは不明ですが、いつも、心の中に寄り添おうとして

いました。


  先述したカール・アウグスト氏は、言います。

 Photo_6
障害者の立場は、

想像しにくいもの

です。

  ヘレンは、どんな

逆境にあっても、

社会貢献や夢の

実現は可能だと

証明しました。

(*調理中の

ヘレンです。)

 

   ジョナサン・ローズ氏は、言います。

 精神的、社会的、身体的な理由で、誰もが、何らかの「壁」にぶつかり

ます。しかし、ヘレンは、重度の障害をものともしませんでした。

  私たちは、そんな彼女の姿に感銘を受け、自分の「壁」に立ち向かうの

です。



  ジーン・ヒューストンは、言います。

  ヘレンは、光明への導き手”でした。

唯一無二の偉大な女性です。

  ナレーターは、言います。

  ヘレンは、世界中を感化し続けました。

今日の著名人も、影響を受けています。Photo_8

  E・ヴァイエンマイ

ヤーも、その一人です。

(*右の写真の人物)

 2001年5月25日、彼は、

世界最高峰のエベレスト

登頂に成功した、史上

の全盲のクライマーとな

りました。

  そして彼は、34歳の時

に、世界七大陸最高峰を

制覇しました。

それは、達成者が100人

もいない偉業です。

  エリック・ヴァイエンマイヤーは、言います。

  ヘレン・ケラーは、大事なことを教えてくれました。

”生まれ持ったものを嘆くのではなく、それを最大限に生かすべきだ”と。



  ジーン・ヒューストンは、言います。

  私は、ヘレンの影響で、職業を決めました。

彼女は、障害にも負けず、豊かな才能を開花させました。


  ナレーターは、言います。

  1995年には、聴覚障害を持つ、初めてのミス・アメリカが誕生しました。

 彼女(フェザー・ホワ

イトストーン嬢)は、1995

言います。

  ヘレン・ケラーは、

私のロール・モデル

です。

 目と耳が不自由な

彼女は、私よりも

障害を抱えていまし

たが、多くの功績を

残しました。

(*写真は、フェザー・

ホワイトストーン嬢)

Photo_7


 彼女(=ヘレン)は、言いました。

  ”問題と対峙しなさい”、”でも、決してそれに支配されてはならない”、 

”その問題から忍耐を思いやりを学ぶのです”、

”自分や他の人の人生に、どんな奇跡を引き起こすか分からない”と。

  【つづく】

 

             後年のヘレン・ケラーの言葉です。

           自分は、この程度の人間だと思った瞬間、

          それ以上の人間になることが出来なくなります。

                 〔ブログ「地球の名言」より〕

 

 

 

2012年7月13日 (金)

ヘレン・ケラーの「輝ける魂」(9)

  ナレーターは、続けます。 

  生身のヘレンを目の当たりにした人々は、彼女の温かく愉快な人柄

を知ります。 

 

  ある記者は、彼女の印象を、こう語っています。
 

  「ヘレン・ケラーほど、私を魅了した女性はいない。 

彼女は、沈黙の牢獄に独り閉じ込められている。 

なのに、無数の表情が、彼女の顔に浮かぶ。 

  誰かが、そばを通りかかると、顔を上げ、笑顔を向ける。 

足音の”振動”を感じているのだ。 

  音楽が流れると、合わせて拍手をする。 

顔には、いつも笑顔ー。 

                              W ・クレッシー 」

 

   レイ・シルバーマン教授は、言います。 

  ヘレンは、私生活ではPhoto_3

瞑想にふけり、社会的に

は、奉仕活動に奔走しま

した。 

 常に、貧しい人や障

者のことを考え、

世間の認識を変えよ

うとしました。


  ナレーターの言葉です。
 

  ヘレンは、とりわけ人道

的活動に熱心でした。 

   長年の経済的困窮の後、

1924年、自分の役割を見

出し、米国盲人協会に職

得ます。

 

  ヘレンの姪孫、ケラー・ジョンソン・シンプソン夫人の言葉です。 

  彼女は「使命」を持って生まれてきたと信じていました。 

その「使命」とは、世界に幸せを広めることでした。 

  彼女の”奉仕の精神”のゆえんです。 

彼女は、世界の幸せが、自分の幸せにつながると知っていました。


  ナレーターの言葉です。
 

  Photo_4
   ヘレンは、44年に

わたり、米国盲人

協会で働きながら、

スウェーデンボル

グの教えを広めます。

   ”奉仕の精神は、

人道の至高だ”と。 

  この世で極めて大

事な愛、それは、善

と叡知の結集であり、

善行を推進する。

 奉仕により「愛」は、

表面化するのだ。



  米国盲人協会代表のカール・アウグスト氏は、言います。
 

  ヘレンは、視覚障害者に、多くの貢献をしました。 

新しい法律の制定は、その一つです。 

  彼女は、持ち前のカリスマ性を発揮し、法律の制定を実現しました。 

1930年代当時は、4~5種類の点字コードが存在し、それを統一するよ

う働きかけたのです。 

  そして、忘れてはなりません。彼女がいなければ、録音図書は実現し

ませんでした。 

 私を含め、大勢の視覚障害者が、その恩恵を受けています。


  ナレーターの言葉です。
 

  協会の一員となり、ヘレンの奉仕活動の範囲は、今まで以上に広がり

ました。 

 米国盲人協会と米政府に代わり、世界中に招かれました。 

  アンも、障害者を助けるという使命を果たせました。 

二人は、障害者に対する無知や偏見を取り除こうと努めました。



  カール・アウグスト氏は、語ります。
 

  彼女の訪問国は、通算39ヶ国です。 

彼女は、障害者の社会参加を訴え、人々の認識を変えました。


  ナレーターの言葉です。

  日本訪問は、ヘレンとアンの共通の夢でした。

  1936年、健康が衰え始めたアンは、ヘレンに、日本訪問を強く勧めました。



  キム・ニールセン女史の言葉です。

  アンは、臨終の際、ヘレンに願いを託しました。

日本を訪れ、目の不自由な人々に光をもたらすようにと。


  ナレーターの言葉です。

  (アンの死後)ポリPhoto

ー ・ トンプソ夫人が、

通訳を引き継ぎ

ますが、ヘレンは、

アンの死に、心の

整理がつきません

でした。

  そんな折、

”アンの霊”が、

ヘレンを訪ねて

来たと言います。



   ヘレンは、言います。

  私は”自分の使命”

を思い出した。

  天界の「先生(=アン)」

から、励まされたような

気がしたのだ。

  前方と背後に”神の存在”を感じ”何も恐れる必要はない”という声が

聞こえた。


  ナレーターの言葉です。
 

Photo_6

Photo_8

 (*着物を着たヘレン〔左側〕 と 渋谷駅前の忠犬ハチ公を触るヘレン)



 1937年、日米戦争が迫る中、ヘレンは、悲しみをこらえ、使命感を持って 

訪日しました。彼女は、大歓迎を受けました。

 先述したカール・アウグスト氏は、言います。

  ヘレンは、訪問国の政策や慣行に、多くの影響を与えました。

その最たる例が、日本です。

  彼女は、日本を訪れ、こう訴えました。

障害者の機会の平等を尊重し、リハビリや教育の施設を整備すべきだと

述べたのです。

(*実は、この来日の際、ヘレンは、横浜港の客船待合室で、財布を

盗まれてしまいました。

  その事が新聞で報道されると、日本全国の多くの人々から彼女宛に

現金が寄せられ、その額は、ヘレンが盗まれた額の10倍以上に達した

といいます。 Wikipedia  参照)


  ナレーターの言葉です。

  ヘレンは、恵まれない人々の代弁者として、40年もの間、世界中を旅し

続けました。

  特に、力を入れたのは、あらゆる障害者の擁護です。

人々に対して、ヘレンは訴えます。

  人生の困難や冒険に立ち向かう時、旗を掲げよう、追随者たちのために!


  ナレーターの言葉です。

  ヘレンは、世界中

の人格者から、Photo_9

称賛と敬愛を

寄せられます。

 アラバマ州出身の、

目と耳が不自由な

少女は成長し、歴代

のアメリカ大統領と

対面しました。

  それは、クーリッジ

大統領からケネディ

大統領にまで及びま

した。(*右の写真は、

第30代クーリッジ大統領)

 【つづく】

                後年のヘレン・ケラーの言葉です。

                                十分な時間をかけて努力を続ければ、

               成し遂げられないことなどないのです。

                   〔ブログ「地球の名言」より〕

 

 

 

 

 

 

 

2012年7月12日 (木)

ヘレン・ケラーの「輝ける魂」(8)

  ナレーターの言葉です。 

  ヘレンは、生涯を通じて、7冊の著書を出版しました。 

詩、政治の論評、論文なども発表しました。 

  驚くべきことに、彼女が紡いだ言葉の数々は、美しい文体でした。


  編集者のロジャー・シャタック氏は、言います。
 

  私たちは、忘れてはなりません。 

ヘレンは、いかなる文も、聞いたことがありません。 

彼女の言語は“無音”なのです。


   ナレーターは、言います。Photo_5


   ヘレンの文体は、

視覚に訴えるもの

でした。 

  ニューヨークを訪れ

た時、彼女は、こう

記しています。

 

   ヘレンは、こう書いています。 

  Photo_6
  私が認識できなか

ったことは、山ほど

あるだろう。 

  でも、想像は、世界

の果てまで飛んで行

ける。 

  ハドソン川は、きらり

と輝く刀身のよう。 

  マッハンタン島は、七色の

水面に浮かぶ宝石のようだ。


  ナレーターは、言います。
 

  ヘレンの視覚的な表現力に、批評家や科学者は、当惑するばかり

でした。 

 スウェーデンボルグの“対応”という概念が、彼女の想像力の源だと、

ヘレンは語っています。


  ヘレンは、言います。
 

  世界は、二つあることを知った。 

物差しで測ることができる世界と、心と直観で感じることのできる世界だ。



  ナレーターの言葉です。
 

  自然界と霊界が対応しているというのが、スウェーデンボルグの“対応”

という概念です。

 

  ヘレンの言葉です。 

  “対応”の概念が

否定されたら、Photo_7

  私は、迷子のコウ

モリとなるだろう。

  “対応”は、あらゆ

る現象に応じている。 

  電光石火の閃

(ひらめ)きは、稲妻

や彗星に対応して

いる。 

  真理は、私の

思考にPhoto_8鮮明

さを与えて

くれる。 

  その鮮明さ

の正体を知り、

目に光が差

感覚を想像で

きる。 

  それは、言葉の

集まりではなく、

実際的な感覚

ある。



  ナレーターの言葉です。
 

  ヘレンは“対応”の概念から、ある考えに行き着きます。 

かつて、アンが、Photo_9手に

”水(w-a-t-e-r )”

と綴ったのは

「啓示」だった、と。 

  スェーデンボルグ

によると、水は

”真理”と対応します。 

  幼いヘレンの手に

流れた水は、彼女に

とって”真理”を表し

ていたのです。 

  その”真理”が、彼女

に学ぶ意欲を目覚

めさせました。 

   今日の医師や科学者は、

ヘレンの優れた言語能力

や想像力に注目しています。 

  盲聾者の意識が形成される過程を理解し、彼らに役立てるためである。



  オリバー・サックス教授は、言います。
 

  ヘレンは、自分の“内なる力”を信じていました。 

彼女の豊かな”想像力”によって、言語を一次体験に交換していました。 

  ”想像力”が、耳と目の代わりとなり、盲聾者に、様々な世界を見せている

のです。 

 私が興味を引かれるのは、ヘレンが、どんな世界を見ていたかです。

 

   編集者のロジャー・シャタック氏は、言います。 

  ヘレン自身の精神生活や思想について綴った著者は、彼女の最大の

遺産かも知れません。


  ナレーターは、言います。
 

  まだ新しい研究分野ですが、ヘレンの認知発達を研究することで、認知

科学や意識研究に新しい道が開けるでしょう。

 

  ヘレンは生涯、執筆を続けました。 

  Photo_12
  しかし、自身とアン

を養う十分な収入に

はならず、他の収入

源を模索しました。 

  二人は五年間、

講演活動を行いま

した。 

  無声映画への出

演も決めましたが、

興行成績は、芳しく

ありませんでした。 

  1919年、第一次世界

大戦後のインフレで、

生活は、ますます困窮しました。 

二人は三年間、演芸ショーの巡業に参加します。 

  でも、友人らは反対。― 

しかし、ヘレンは、旅や冒険、それに新しい出会いが大好きでした。


  ヘレンは、言います。
 

  人生は、恐れを知らぬ冒険か無のどちらかだ。 

 

 

  ナレーターの言葉です。
 

  アンが、二人の歩みを語りました。

 

 アンが語ります。 

  ヘレンが6歳8ヶ月の時に、初めて会いました。 

彼女は、生後19ヶ月以来、目と耳と口が不自由です。

 

 ナレーターの言葉です。 

  ヘレンが話し方を覚えた経緯や苦労も語りました。

 

  アンが語ります。 

 
  彼女(=ヘレン)Photo_15

の手を、このよう

に私の顔に当て、 

口で話すことを

示しました。 

  私が話すと、

彼女は”振動”

を感じました。 

そして、私の手に

綴りました

”私も自分の口

で話したい”と。 

  不可能に思えま

したが、しばらく

試行錯誤を繰り返しました。 

そして、手をこの位置に置くと、彼女が、言葉の”振動”を感じることが

分かりました。 

  7回目のレッスンの後、彼女は、一語ずつ話せるようになりました。 

”私は、・・・ もう・・・ 言葉が・・・不自由・・・ではない(  I ーam-not

-dumb, No!)” と。 

 (*実際、ヘレン自ら、この言葉を発することができました。)

 【つづく】  

             ヘレンの後年の言葉です。 

                               世界は確かに 

             苦難に満ちているかも知れません。 

                          でも、それを多くの人が 

             乗り越えているのも事実です。 

                 〔ブログ「地球の名言」より〕

 

 

 

 

 

 

 

 

2012年7月10日 (火)

ヘレン・ケラーの「輝ける魂」(7)

 

  へレンは、言います。 

  私は、夫も子も持てない運命だ。 

愛される経験ができて幸せだが、この運命に甘んじよう。 

  神は、私に、創造への衝動 を与えて下さった。 

心の底からあふれてくる、この衝動を、恵まれない人々への奉仕や

困難な課題に向けよう。



  ナレーターは、言います。
 

  ”障害は、自立的な思考や社会生活の妨げなのでは?” と、ヘレンは、 

葛藤していました。



  ヘレンは、言います。
 

  私の脳は、考える訓練を受けている。 

それが、他の人との違いだ。 

視力の有無ではない。



  ナレーターは、言います。
 

  ヘレンは、社会運動家となり、社会主義、

婦人参政権、人種

差別にPhoto_2ついて、 

記事を執筆しました。

 

  様々なキャンペー

ンも行います。 

  「失明」予防の啓蒙

には、とりわけ熱心

でした。

 

  彼女は、母親の

性病に起因する

新生児の失明

ついて宣伝しました。

 

  そのため、その患

者数は、激減しま

した。

 

  ヘレンはPhoto_3

「ジャンヌ・ダルク」

とも呼ばれ、その

信仰心から、公益

活動に従事しました。



  ヘレンの言葉です。

   神の揺るぎない

お力を信じること、

また、『聖書』から

真理を学び取り、 

それに従って生き、

かつ善行を行うこと、

それは、人間が古い

殻を破り、自身の世界

を再構築する方法だ。


  ナレーターの言葉です。
 

  ヘレンは、信仰を拠り所に、

人生の試練に立ち向かいPhoto_10

ます。 

  1908年、恩師の

ジョン・ヒッツが

ヘレンの目の前で

倒れ、その直後に

亡くなりました。 

  良き理解者を

失った悲しみから

ヘレンを救ったの

は、彼女の宗教的

念でした。



 

  ヘレンの親族(=彼女の姪孫)であるK・J・トンプソン(Keller  Johnson-
 

Thompson ) 夫人は言います。 

  彼女(=ヘレン・ケラー)は、霊的な世界を信じていました。 

  ”来世では目が見え、耳が聞こえる“―。 

彼女は、そう信じ、愛する人の死を乗り越えました。


   ヘレンは、言います。 

Photo_7
  私は、闇の中心部を

のぞき見たが、

その抗(あらが)い

難い力には屈しない。

私は、計り知れない

苦悩に耐えてきた。 

  でも、スウェーデン

ボルグは説く。 

   ”我々には、選択の

機会がある。” 

   そして”選択は、

創造だ”と。 

  人生において、乗り

越えるべき壁が無け

れば、報われる喜び

は得られない。

 

  ナレーターの言葉です。 

  ヘレン・ケラーの言葉”への愛は絶大で、彼女にとっては、探求と

貢献の術でした。

  彼女は”言葉”に励まされ、世に多くの名著を残しました。



   先述したキム・ニールセンは、言います。
 

  ヘレンは、読むことも書くことも好きでした。 

まだ幼い頃に”言葉の力”に気づき「言葉」が、彼女を、国際舞台

に押し上げました。



  ヘレンの言葉です。
 

  点字本やタイプライターの存在は、障害を忘れさせてくれる。 

私の魂と心は自由だ。

 

ナレーターの言葉です。 

  ヘレンは、その文才を生かし、自身の信仰を公表します。

1927年に、『わたしの宗教(MY RELIGION)』を出版します。

  スウェーデンボルグへの信仰を表した内容でした。




 
ヘレンは、言います。
 

  スウェーデンボルグは、Photo_11

私の闇に光を照らした。

目や耳を閉ざした世界

に、スウェーデンボルグ

の思想を紹介できたら、

この上ない喜びだ。

 もし、私に宗教がなか

ったら、それは、心のない

体を愛するようなものだ。

 

 

 ナレーターの言葉です。  My_religion2_3

 わたしの宗教』は、 

翻訳され、世界中で 

好評を博しました。 

 しかし、ヘレンは、 

その構成に不満で 

した。

 

 

 

 先述したレイ・ 

シルバーマン博 

士が、構成を編 

集し直し、1994年 

に、『光の中へ』と 

して再出版されま 

した。


 
編集者のジョナサン・ローズ氏は、言います。

   
ヘレンの信仰を理解することで、彼女の人生が見えてきます。  

彼女の「信仰」が、障害を乗り越える助けとなり、献身的な人生 

を送る手引きとなったのです。


 
キム・ニールセン女史は、言います。
 

   ヘレンは、スウェーデンボルグから、様々な影響を受けて  

います。  

  ”霊界では、障害から解放される”と信じ、後に、奉仕活動にも  

力を入れ始めます。 【つづく】 

 

 後年のヘレン・ケラーの言葉です。 

                人生がもっとも面白くなるのは、 

                  他人のために生きている時です。 

                         〔ブログ「地球の名言」より〕

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2012年7月 9日 (月)

ヘレン・ケラーの「輝ける魂」(6)

 

 ナレーターの言葉です。

 

  ヘレンは、16歳の時に、スウェーデンボルグ派を称し、彼の著書を、

生涯、読み続けました。        Photo_10



 ヘレンは、言います。

  スウェーデンボルグの 

            
言葉は、私の沈黙の

中の声。―
 

 「真理」を思い出すたびに、

私は、力と喜びを得る。 

  彼(=スウェーデンボルグ)

の言葉が、私に、天界から

「真理」を届け、 私の魂に、

千の翼を与えてくれた。








  ナレーターの言葉です。
 

  ヘレン・ケラーは、芯の強い、美しい女性へと成長します。 

彼女は、多くの友人に恵まれました。

  Photo_2話し方の習得を

切望していた彼女は、

この不可能に近い

難題に挑みます。

不明瞭な発声なが

も、彼女は、成功します。


  ヘレンの言葉です。
 

  うまく発声できなくて、

大きな失望を味わった。 

でも、外界と私をつ

ないでくれる、この

手段を手放すことは

したくない。 

(*写真は、ヘレンと、ベル博士)


 

 
  編集者のキム・ニールセン(Kim  Nielsen ) 女史の言葉です。

  ヘレンは、自身の深い霊的信仰から力を得て、数々の落胆や壁に耐

えました。 

  へレンは、熱心に     Photo_4

神を信じていました。 

その信仰は、彼女に

希望や慰めを与えま

した。 

  彼女は、人生に

”意味”を見出そうと

しました。 

なぜなら、多くの

人々が、「障害者は、

無力だ」と思ってい

たからです。 

 (=彼女は、そのような

社会通念に、反旗を翻

そうと考えたように思い 

ます。)

 (*右の写真は、「祈り」のイメージです。)



  ナレーターの言葉です。
 

  ヘレンは、ニューヨークの聾学校へ進学後、著述家になるため、大学

の学位取得を切望しました。 

  彼女が目指したのは、名門ラドクリフ大学でした。 

(*同大学は、マサチューセッツ州ケンブリッジにあった私立女子大学

です。1999年に、提携関係にあったハーバード大学に統合されました。) 

  入試に合格したヘレンは、1900年に、ラドクリフ大学に入学しました。 

  アンが、毎日7時間をかけて、講義や課題の内容を、ヘレンの手に綴

りました。 

 しかし、ラドクリフでの学校生活は、ヘレンの顔を曇らせます。 

  どんなに努力しても、周りに溶け込めませんでした。



  ヘレンは、言います。
 

  大学生活は、退屈だ。 

点字本が少ないため、単語を手に綴ってもらう。 

講義中は、ノートが取れず、家に帰り、覚えていることを、点字で書き留

める。余計な時間が、かかる。 

  記憶の糸をたどり、手に綴られた内容を思い出す。



 ナレーターの言葉です。
 

  ヘレンは在学中、女性誌に自伝を寄稿します。 

編集者ジョン・メイシーの助力で、後に本として出版されます。

  『The story of  my life (わが生涯の物語)』は、成功を収め、ヘレンは、

著述業により、アンとの生計を立てようと考えます。

  しかし、彼女(アン・サリバン)の目には、大きな負担を強いました。

 1904年、ヘレンは、Photo_5

ラドクリフを卒業した、

初の盲聾女性となり

ました。

 その上、彼女は、四ヶ

国語を習得し、首席で

卒業したのです。四ヶ

語とは、フランス語、

ドイツ語、ギリシャ語、

イタリア語などです。





  ヘレンは、言います。

  それが正しいことであれば、成し遂げられないことはない。

そう思うと強くなれる。

  私の障害が、神罰や事故だと思ったことはない。 神に感謝します。

障害のお蔭で、魂と仕事、そして神を見つけたのだ。



  ナレーターは、続けます。

  大学卒業後、ヘレンとアンは、ボストン郊外に住みます。

二人の住まいは、喜びや笑いに満ちていたと言います。

  ヘレンの前向きで善意あふれる性格に、多くの人が惹かれました。

マーク・トウェインも、その一人です。



  ヘレンの言葉です。

  ”耳や目で考えるのではない”。”考える能力は、五感では測れない”。

  彼(=マーク・トウェイン)は、私を有能な人間として扱い、口ではなく、

心に笑みを浮かべていた。すべては、彼の”魂の仕草”である。



  ナレーターの言葉です。

Photo_7  アンは、ヘレンの

編集者メイシーと

結婚しました。

 三人は数年間、

同じ屋根の下、

適で昔ながらの

生活を送ります。

  (*写真は、

メイシーと、アン、

それにヘレン)

 ヘレンは、二度、

求婚されましたが、

残念ながら、家族の

反対に遭います。

 ”障害者に、結婚は向かない”と。

 ヘレンは、この時の苦悩を、善への力に転換します。 【つづく】


              後年のヘレンの言葉です。

              世界を動かすのは、

             英雄の大きなひと押しだけではありません。

               誠実に仕事をする

             一人ひとりの小さなひと押しが集まることでも、

             世界は動くのです。 〔ブログ「地球の名言」より〕

 

 

 

 

 

 

2012年7月 7日 (土)

ヘレン・ケラーの「輝ける魂」(5)

 ナレーターの言葉です。 

  ヘレンだけでなく、世界各国の偉人が、スウェーデンボルグの影響を 

受けています。 

 例えば、ゲーテ、バルザック、ドストエフスキー、イエーッ、ブレイク、 

エマ―ソンなどです。 

  日本に初めてスウェーデンボルグを紹介した禅学者の鈴木大拙

(1870-1966) は、彼を”北の仏陀”と呼びました。

 Photo

Photo_2
Photo_3Photo_5
Photo_6
Photo_8

 

 

 

 














  (*写真は、左方、上より、ゲーテ、ドストエフスキー、エマーソン、
 

右方、上から、バルザック、ウィリアム・ブレイク、鈴木大拙です。)


   ナレーターの言葉です。

  ヒッツは、スウェーデンボルグを通して、ヘレンに、精神性や哲学を
 

説きました。  

  彼は、彼女の人生に大きな影響を与えます。



 
レイ・シルバーマン教授は、言います。

 
二人は、出会った瞬間に、生涯の友となりました。
 

ヒッツは、ヘレンが興味を持ちそうな本を、彼女のために点訳しました。  

  その殆どが、スウェーデンボルグの著書で、手紙で、彼女に送りました。



 
ヒッツは、次のように書きました。
 

 「スウェーデンボルグの『神の愛と知恵』を点訳しました。

  彼(=スウェーデンボルグ)は、説いています。
 

 ”神は、不可分であり”、”それは、神の像である人間に表れている”と。  

哲学を学ぶ者には、外せない書です。 

                                                親愛なるジョン・ヒッツより 」 

 

 シルバーマン教授の言葉です。  

ヒッツは、毎夏の6週間を、ヘレンと過ごし、人生、宗教、魂、スウェーデ  

ンボルグについて語り合いました。



 
 ヘレンは、言います。Photo_11


スウェーデンボルグ

の教訓を、点字で読

みふけり、私は、霊界

様々な秘密を知る

”内的感覚”が、見え

ざるものを見せてくれ

る、ここにある信仰に

深く共鳴した。  

  霊魂と肉体は別物で

あり、私が全体として

描く世界も、断片的な

世界とは別物なのだ。 

  スウェーデンボルグは、説く。  

 ”肉体の中に霊体が存在し、肉体より重要だ”と。



 
ナレーターは、続けます。

Photo_14  "肉体の中に霊体が         

存在する”という考えに、

ヘレンは共感します。  

体は不完全でも、魂は

完全だと信じていたか

らです。 

  そして、霊界と自然界

に関するスウェーデン

ボルグの概念から、

自分の障害固執し

なくなりました。

  外界からの雑音が少ない彼女は、

内なる世界に注意を向けます。

 


 
ヘレンの言葉です。 
 

   に輝く星を見ることはできないが、同等に明るい星が、私の魂の  

中で輝いている。  

  私にとって、魂は、本質的なもの。―  

  私は、万物と同じもので出来ていると思う。

私にとって、魂は、
約束の国。―
 

  そこには、永遠の若さ、希望、無限の可能性がある。



 
ナレーターの言葉です。 
                 Photo_13

アンは、宗教に興味を

示しませんでしたが、

ヘレンの傾倒に干渉せ

ず、ヒッツとも親しくなり

ます。 

  三人は、貴重な時間を

共にします。 

 

 シルバーマン氏の言葉です。  

  ヒッツとヘレンの話題は、

様々でした。  

  死後の世界や聖書につい

て話し合いました。  

  最も語り合えたのは”奉仕”についてです。  

スウェーデンボルグ曰(いわ)く、世界は”役立ちの王国”ですから。  

  【つづく】


                         
後年のヘレンの言葉です。
 

 ひとつの幸せのドアが閉じるとき、   

           もうひとつのドアが開く。

                        
                  しかし、よく私たちは、
 

               閉じたドアばかりに目を奪われ、  

               開いたドアに気付かない。  

              〔ブログ「地球の名言」より〕

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



2012年7月 6日 (金)

ヘレン・ケラーの「輝ける魂」(4)

  ナレーターの言葉です。

 

  ヘレンは、この不思議な霊的体験により、さらなる疑問を抱きます。 

その多くは『聖書』に関することでした。

  ”神の真意とは?” ”神とは、誰なのか?”


  ヘレンの言葉です。

  『聖書』の挿話は、ギリシャやローマの神話のようで、私が思い描く、
 

光り輝く顔の柔和な神の姿は、そこにはない。


  ナレーターは、続けます。

 

  思い描く神は、存在するのか? 

ヘレンの信仰が揺らぎます。 

ヘレンは、後に、神の”摂理”を確信します。


  13歳の時、Photoベル博士の

紹介で、元スイス総領事

のジョン・ヒッツに出会い

ます。 

 ヒッツは、聴力が弱く、

聴覚障害者に関する情

報を、雑誌で発表して

いました。

 

  彼は、哲学者スウェーデン

ボルグの信奉者でもありました。

(*右の写真は、13~15歳頃のヘレンだと思われます。)

 ヒッツは、13歳のヘレンに出会い、彼女の恩師となりました。



 

 先述したレイ・シルバーマン教授は、言います。

 ヘレンは、ヒッツのことを父親のように慕い”私の魂の育ての父”

呼びました。



  ナレーターの言葉です。

 

  ヒッツは、ヘレンに本を贈ります。 


Photo_5スウェーデンボルグの

『天界と地獄』の点字

です。 

  この革命的な神学書は、

19世紀の米国で、ベスト

セラーとなりました。

(*左の著書は、同著の

ラテン語版を、日本語に

翻訳したものです。)

 

 当時の有名な説教師

H・W・ビーチャーは、

言いました。 

 ”スウェーデンボルグ(の作品)こそ、真の教育だ”と。

 

  ヘレンの人生は”言葉”に出会って変わり、

『天界と地獄』を読んだ後、 

再び変わります。 

  スウェーデンボルグの言葉は、

ヘレンの心に深く響きました。




  ヘレンは、言います。

 

  私の不完全な体

の中にも、             Photo_3

”霊体”が存在する

ことを確信しました。 

  数年の闇の後、

肉眼の内にある

”霊眼”が、この世

より完全で満ち足

りた世界に開かれ

るだろう。

 

  私は、賢者(=スウェーデン

ボルグ)が記した壮大な思想を

読み解こう試みた。

 

  ナレーターの言葉です。

  スウェーデンボルグは、18世紀の科学者、政治家、哲学者です。
 

  彼は、Photo_457歳の時に

突然、霊界が”見える”

ようになり、その後、

27年間にわたり、

霊的体験や来世観

について記録してい

ます。 

  (*スウェーデン

ボルグが最初に出

会ったのは、天界の

イエス・キリストだと

言われています。) 

これらの膨大な量の

記録は、神学書へと

姿を変えます。 

  そのテーマは、広範囲に及びました。死後の世界、

霊と天使、愛の本質、神と聖書、天界と地獄、人生の

目的と意義などです。


  編集者のJ・ローズ(Jonathan  Rose ) 氏は、言います。
 

  スウェーデンボルグは、

霊的体験に16881772基づく大量の

神学書を出版し、その

表作が『天界と地獄』です。 

  彼によると、天使と悪魔

は存在します。 

 しかし、性別の無い存在

ではなく”来世の人間の

姿だ”と言うのです。


  ナレーターの言葉です。

  スウェーデンボルグが見た天界は、

あらゆる信仰の人々に開かれて

ました。


  レイ・シルバーマン教授は、言います。

  ≪正しい教義に従い、周りを愛せば誰でも、天界に入れると、彼は考え

いました。

  彼の言う天界の神は、あらゆる宗教を超越して、万人を迎え入れてくれ

るのです≫ と。


  ヘレンは、言います。

  彼の本からは、神の万人を包む”愛のイメージ”が湧き出てくる、と。

 
  ナレーターの言葉です。

  ヘレンは、希望を抱きます。

  ”神は、慈悲深く、来世では、障害から解放される”と。


  ナレーターは、言います。

  スウェーデンボルグは”奉仕の精神”も説いていました。


  ジョナサン ローズ氏の言葉です。

  スウェーデンボルグは、他界した知人を見ています。

天界に行った者もあれば、地獄に行った者も。―

 地獄に行った者は、自己中心的で思いやりが無かったそうです。

天界に行けたのは、他者の利益のために、献身的な人生を送った者

でした。

  スウェーデンボルグは、こうも言っています。

”喜びにしがみついても”、”時と共に消滅する”、”だが、他者と分かち合

う喜びは、成長し、強くなる”と。

  奉仕と分かち合いの精神は、ヘレンの重要な理念でした。

その痕跡は、彼女の歩んだ人生に刻まれています。


  ヘレンの言葉です。

  スウェーデンボルグによると、天界は”役立ちの王国”だ。

崇高な考えを抱くたびに天界に行き、奉仕が喜びになると、そこにとどま

るのだ。  【つづく】



              後年のヘレン・ケラーの言葉です。

             もしも、この世が喜びばかりなら、

            人は、決して、勇気と忍耐を

            学ばないでしょう。

              〔ブログ「地球の名言」より〕

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

2012年7月 5日 (木)

ヘレン・ケラーの「輝ける魂」(3)

  ナレーターの言葉です。

   その後、アンが母校(パーキンス盲学校)に送ったヘレンの報告書

が出版され、二人は一躍、有名になります。

 

  アンは”奇跡の人( Miracle  Worker )”

ヘレンは、Photo”国宝( National

 Treasure ) ”と呼ばれ、世

界の扉が、二人に開かれま

した。 

(*日本では、ヘレン・ケラー

自身を「奇跡の人」と呼んで

います。 

  しかし、実際、それは、

「The Miracle  Worker

( 奇跡の働き手)」としての、

アン・サリバン女史のことだっ

たのです。)


  ナレーターの言葉は、続きます。

  パーキンス学校の校長は、ヘレン

を生徒として招き、ベル博士は、彼女

の授業料のために、教育基金を設立しました。

  スウェーデンボルグ信奉者のH・W・ユンゲは、パーキンス学校に、多額

の募金をしました。

 

  偶然にも、16881772スウェー

デンボルグ(1688~

1772)は、ヘレンの

人生に影響を与え

哲学者です。

  数ヶ月後、ボストン

の通りで、ユンゲ氏

は、募金活動中の

アンとヘレン出会

います。

 

  ユンゲ氏の孫、ジム

・ユンゲ(Jim  Junge )

氏の言葉です。

 

  祖父から、こう聞いています。 

  祖父が偶然、二人に出会うと、

  ”私とアンがパーキンスに通える

のは、あなたのお蔭です”と、ヘレンは、祖父の上着に、指をはわせま

した。 

  必死に感謝の意思を伝えようとする彼女の姿を見て、祖父は、涙を

ました。



  ナレーターは、続けます。

 

  ヘレンは、パー          Photo_4

キンスに、4年間

在籍しました。

アンが授業に同席し、

ヘレンの手に、

単語を綴りました。

 

  二人の関係は、

特別でした。 

 相互依存関係に

ありながら、共に

豊かな知性を備え、

互いの考えを尊重

しました。 

  二人は、生涯にわたり、この絶妙な

関係を保ち“一心同体”とさえ思われ

ました。


  マーク・トウェインは、言います。
 

  「ミス・ケラー、あなたと、あなたの”半身であるミス・サリバン。― 

二人が揃うと、“完璧”だ」と。



  ナレーターの言葉です。
 

  この頃、ヘレンの並外れた記憶力が判明します。 

医師の集まりに来ていた出席者を覚えていたのです。



アン・サリバンは、言います。
 

  6ヶ月後、ヘレンは、百人以上の名前を、すらすらと綴り、何と、彼らの

住む州や市まで覚えていた。

 

  ナレーターは、語ります。 

  ヘレンは、読書や自然を愛しました。自然は、触覚や嗅覚を刺激し、 

Photo_5
読書は、世界と繋が

る術でした。

  ヘレンは、読書を通じ、

神や宗教について考え

始めます。

 

 

  ヘレンは、問い掛け

ます。 

  なぜ、神は時に、私た

ちに試練を与えるのか? 

  霊とは?  天国は、どこ? 

  神の創造主とは?  魂とは?




  ナレーターは、続けます。
 

  ヘレンは、これらの疑問に対する答えを求め、霊的探究と読書に夢中に 

なりました。



  ヘレンは、語ります。
 

  私の考えを書き記せば、文字が、私の魂の体となる。



  ナレーターの言葉です。
 

  霊的探究を続ける中、ヘレンは、不思議な体験をします。



   編集者でもあるR・シルバーマン( Ray  Silverman ) 教授は、

言います。            

  ヘレンが、12歳頃の

出来事です。 

彼女は、自宅の

書斎で、 Photo_7

歴史書を読ん

でいました。 

 その時「霊魂」

が、アテネに行く

という体外離脱

経験したのです。 

  その時、彼女は

悟りました。 

”触覚”が、目の代

わりであり、霊魂は、

時と場所の制約を受けない”と。


  ヘレンは、言います。
 

  この驚くべき悟りに、私の心は、燃え立った。 

  「霊魂」に、空間は関係ない。 

私の「霊魂」は、確かに実在し、それは、場所や肉体の制約を受けない。 

  私の「霊魂」は、何千キロも彼方の場所を訪れ、その景色を”見た”ので

ある。 

この新しい意識において、私は”神”を感じた。 

  万物の創造主である神は、霊魂」として、宇宙に存在するものだった。 

  【つづく】

  後年のヘレンの言葉です。 

                             私は、自分の障害に   

             感謝しています。  

               自分を見出し、  

              生涯の仕事に出会えたのも、  

               この障害のお蔭だからです。  

                           〔ブログ「地球の名言」より〕

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

2012年7月 3日 (火)

ヘレン・ケラーの「輝ける魂」(2)

  ナレーターの言葉です。

 

  ヘレンは、驚くほど、勘の鋭い子どもでした。 

彼女は、周りに、自分の意思を伝えようと、60もの「合図」を考案しました

  ”行って!”は、手を押す。”行かないで!”は、手を引 く、といった具合

です。 

  しかし、癇癪を起こして暴れ回ることもあり、「教育」は難しいと、家族は、

考えました。



  そんな折、チャールズ・

ディケンズPhoto_4(1812~1870)の

記事が、ケラー夫人(=ヘ

レンの母)の目に止まります。 

  パーキンス盲学校で、

L・ブリッジマンという名

の盲聾者の教育に成功

したというのです。

(*右の肖像画は、C・ディケンズ)

 

  Alexander_graham_bell18471919
 ケラー夫妻は、

「パーキンス盲

学校」を推薦し

ていたアレク

ンダー・グラハム・

ベル博士(*1847

1922:「電話」の

発明で有名な)に

相談しました。

(*写真は、ベル

博士)

   パーキンス盲

学校は、半盲の

アン・Photo_8サリバンを、

ヘレンの教育係

として選びました。 

  アンは快活で、面倒見

がよく、努力家で頑固で

もありました。 

 ボストンの孤児院で培っ

た、これらの資質が、

前途多難のヘレンの助

けとなります。

  アンは、事前に、L・

ブリッジマンの例を研究

し、「指文字」を学びました。 

 指文字は、中世のベネデ

ィクト修道士が考案したと

言われています。

(*右の写真は、アン・

サリバン女史)

 (*下の「指文字」は、小文字のアルファベットを示しています。

 

 Yubiabc_2
 上図、最上段の左からa~f、二段目の左から、g~l、

三段目の左からm~r、四段目の左からs~x、五段目は、

y とz を表示。無論、大文字のアルファベットも有ります。)

  ナレーターの言葉です。

 

 6ヶ月の訓練の後、アンは、人生が変わる出会いをします。

  1887年3月3日、アンがケラー家に到着―。
 

この日は、ヘレンにとって”魂の誕生日” となります。 

  アンは、ヘレンの癇癪にも動じませんでした。


 アンは、言います。

 

 ここに来たことは、後悔していない。 

ヘレンのやる気を挫かずに教育することが、私の課題だ、と。


 ナレーターは、語ります。


  毎週、アンは、ヘレンの手に「物」を握らせ、その「名前」を、手のひらに 

綴りました。 

  でも、最初は、ヘレンには、意味不明でした。 

二つの行為の関連性が分からなかったのです。


  先述したオリバー・サックス医学博士の言葉です。


  ≪”言葉を持たない”ヘレンは、彼女に起きた出来事を、体系的に

覚えることができませんでした。 

  耳も目も不自由な人と向き合うのは、非常に困難です。≫

 

  ナレーターは、続けます。



  一ヶ月以上が経ち、アンは、ついにヘレンと心を通わせます。
 

アンは、ヘレンの手に井戸水をかけ、”water (水)”と綴りま

した。「物」と指文字の関連性を示したのです。



  ヘレンの言葉です。


 

  冷たい水が手に流れ、先生の指先に全神経を集中させた。 

すると、不思議な感動、そして意識が湧き起った。 

  まるで、忘れていたことを思い出したように―。 

”言葉の神秘”が、私に開かれたのだ。 

  すべての物に名前が有り、そこから、新たな考えが浮かぶ。


 編集者のR・シャタック( Roger  Shattuck ) 氏は、言います。


 

  「言葉」に出会った日、ヘレんは、30の単語の綴りを覚えました。 

学びたくて、仕方がなかったのです。 

  彼女の中で”アン””先生”と同義語になりました≫ と。


  ヘレンは、懐かしく述懐します。


 

  心地よい興奮が、体を通り抜け、心の中に閉ざされていた、甘く不思議

ものが歌い始めた。 

  先生が、私の闇に光を照らしてくれたお陰で、人生の喜びと美しさに目

覚めたのだ。
 

 

 アン・サリバン女史の言葉です。

  Herenn
≪今朝のヘレンは、

キラキラと輝いていた。

物の名前を聞いては、

喜びのキスをしてくれる。

  ヘレンは、特別の子だ。

夢にも思わない成功が

待っているだろう。≫

(*写真は、少女時代の

 ヘレン)

 ナレーターは、語ります。

  アンの献身的な指導のもと、

ヘレンは、驚くべき学習能力

を発揮、規律 指文字を学

びながら、創造力を育む遊び

も楽しみました。 

  孤立から解放され、苛立ちが収まったヘレンは、素直で明るい少女に

生まれ変わります。学ぶ意欲は、旺盛でした。 

 

  先述したR・シャタック氏は、言います。

  ≪二人は、森の中を歩きながら、

互いの手のひらに、Photo_9

あらゆる単語を

綴り合いました。 

  その姿は、手で

つながれた結合

双生児のようでした。 

二人は「言葉」という

絆で結ばれたので

す≫ と。 【つづく】 

 

          




             後年のヘレン・ケラーの言葉です。


             言葉というものがあるのを、 

            はじめて悟った日の晩。 

             ベッドの中で、私は嬉しくて嬉しくて、 

            この時はじめて、 

            ”早く明日になればいい” と思いました。

                              〔ブログ「地球の名言」より〕

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2012年7月 2日 (月)

ヘレン・ケラーの「輝ける魂」(1)

 
  物語の冒頭、ナレーターは、

語ります。

  『タイム』誌は、ヘレン・             Photo

ケラー(1880~1968)を、

20世紀の重要人物の

一人に選定しました。

  彼女は、耳と目が不自

由でしたが、様々な困難

に打ち勝ち、世界中の障

害者のために尽力しました。

  大勢の人が、彼女の影響

を受けています。


            

 

 

 

        

         Photo_4

 

 


  18351910_2
 マーク・トウェイン

(*左の写真の人物

:1835~1910) は、

彼女を、こう評しました。

”歴史上の偉人に並ぶ

人物だ”と。

 




  全盲のクライマー、
 

E・ヴァイエンマイヤー

Erik  Weihenmayer ) 氏は、 E_3

言います。

  ≪ ヘレン・ケラーは、偉大な

人物です。

 「障害者」という概念を変え

たのですから。―

  彼女は、自らの言動で、

人々に気づかせたのです。

  「たとえ、目と耳が不自由

でも”人間は、みな一緒だ”」と。

  彼女は、人間の共通性に人々

の目を向けさせ、人間の在り方

を示しました≫と。

(*右の写真は、ヴァイエン

  マイヤー氏 の著書)




    精神研究協会のJ.ヒューストン(Jean  Houston )

 女史は、語ります。

  ≪彼女は“光り輝き”思いやりに満ちていました。

   周りの人やものすべてに興味を持ち、活力にあふれて

 いました≫ と。


     編集者 K.ニールセン( Kim  Nielsen ) 女史の言葉です。

  ≪ヘレン・ケラーのイメージは、様々です。

   同情の目で見る人や、「聖人」として記憶している人など、

 多様です。

   でも、いずれも、彼女には、不本意でしょう。

  なぜなら、彼女は、一人の人間として見られるように戦った

  ですから


   ナレーターは、語ります。

  ヘレンの一般的なイメージは、”偉大な人道主義者“水”を指文字

で学んだ少女として、

記憶している人もい       Photo_3

ましょう。映画「奇跡の人」

の有名なシーンです。

 *右の写真は、映画

「奇跡の人」、ヘレン役は、

パティ・デューク)

 




  しかし、彼女の豊かな精神を知る人は、少数です。

彼女の人となり(=人間性や人格)は”信仰”によって形成されました。

「理想」を追い求め、社会運動家や著述家としての活動など、実に多

的な人物でした。

  彼女は、今もなお、人々に影響を与え続けています。



Photo_5 ヘレン・ケラーは、

1880年、アラバマ州に

生まれました。

 生まれた時、障害は、

有りませんでした。

(*左の地図の赤い

部分が、 アラバマ州)


  彼女の父アーサーは、南軍の大尉を経て、新聞の編集者や連邦保

安官をしていました。

  米国聖公会の母ケイトは、機知に富んだ女性でした。



  神経学教授のO・サックス博士(Oliver  Sacks, M.D.) は、言います。

  ≪ヘレン・ケラーは、早熟で利口な子どもでしたが、生後19ヶ月の時に、

病魔に冒されました。

  ウィルス性脳炎か髄膜炎だったのかのどちらかでしょうが、視力と聴力が

奪われたのです≫ と。


  ナレーターの言葉です。

  闇と静寂に包まれたヘレンは、思いました。

  ”本能だけが頼りの獣のようだ”と。

  ヘレンは、述懐します。

  私は「無の世界」の住人だった。そこには、過去も現在も未来もない。

感情や理性的思考の微塵もない。 昼も夜もない。

存在するのは「空白」だけ、と。 

   【つづく】

        * 後年の ヘレン・ケラーの言葉です。


       
盲目であることは、悲しいことです。

      けれど、目が見えるのに見ようとしないのは、

       もっと悲しいことです
〔ブログ「地球の名言」より〕



 

 

 

 

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