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2012年7月31日 (火)

エッセイ「心のままに」(10 )

 涙は、魂を浄める


  涙が、まるで泉のように湧き上がり、滝のように流れ

落ちる瞬間があります。

 でも、それが一体、悲しみの涙なのか、嬉し涙なのか、

あるいは、切ない心から発する涙なのか、皆目、分から

ない時があります。
      

  それは、実は感動の涙、あるいは「感謝の涙」なのでは

ないでしょうか。

                     Photo_9
      
(*写真は、耳の不自由な女性〔左側〕が、生ま
れて

        初めて聴いた「音」に感激して、涙を流す場面です。)

  私たちが、何か”偉大なもの”によって包み込まれて

いるような喜びや感動を味わい、それに対する感謝の

思いを抱くと、それが、大量の涙となって、流れ落ちる

です。それも、無意識のうちに。―

  これは、まさに”魂を浄める”涙と言えましょう。

確かに、涙は、時にわれらが魂を浄めます。

  そのような体験ができるのも、人生の妙味かと思うの

です。



   心の涙


  ニーチェは、「汝の血をもって、ものを書け」と言った

けれど、私は、自ら涙を流しながら、ものを書いていき

たい。その涙は“心の涙”。(*下の写真は、

ニーチェ)

  人は、実際に涙

流すPhoto_10ことはなく

ても、“心で泣き、

心の涙を流す”こ

とがある。

  人の哀しみは、

に出るものより、

ないものの方が

い。

 多くの人々が、

人知れず“心の

涙”を流している。

  人の哀しみを知

ずして、本当は、

ものは書けないけ

れど、それを知ら

して、ものを書

私は、「厚顔無恥」そのものかも知れない。

  しかし、その自責の念を抱きつつ、私は書いていきた

い。

 表にこそ出ないけれど、殆どの人が流す“心の涙

 あふれんばかりの“心の涙”を流しつつ、人は、懸命に

生きている。

  その姿に共感しつつ、人々への「人生の応援歌」を書

いてみたい。自ら“心の涙”を流しながら。・・・・・

                       Photo_11



  


  涙の海を、泳いで渡ろう!



  かつて、「苦い米」というイタリア映画があったけれど、

時に、惨めな思いをして、生きるための「食」を得るの

が、われらが人生。


  われわれは、涙無しには生きられない。悲しくても涙、

切なくても涙、また嬉しくても涙。

 まさに、涙あってこその人生だ。涙こそ、生涯の良き

である。

  親鸞上人はかつて、「愛欲の広海に沈み」と、自らの

欲望(とりわけ、性欲)の深さを告白なさった。

 私は、上人の正直さに感動する。(*下の肖像画の

 人物)

Photo_12  されど、人間

の欲望だけで

なく、まさに、

われらが人生

こそ「海」であ

る。

 それも、数多

の人々が共

して流す

”涙の海”だ。

 

  ならば、友よ、

涙の海を泳いで

渡ろう! 

 
  

 われわれには、  Photo_14

それを渡り切る

勇気と力が与え

られているのだ

から。

 それに、神・仏

が、共にいて下

さるのだから

 【つづく】
 

 

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