エコノミック・ヒットマン(4)
パーキンスの言葉は、続きます。
さらに、「このままアーベンツ政権が続けば、ソビエトの、この地域で
の足掛かりを、確実なものとしてしまうだろう」とも脅しました。米国民は、
赤色テロルの恐怖におののきました。
長い話を短くすれば、このキャンペーンの結果、CIAと軍により、この
政権を崩壊させるための計画が策定されました。
そして、私たちは、それを実行したんです。私たちは、宗教関係者や
兵士やジャッカル(殺し屋たち)など、色々送り込み、彼を引きずり降ろ
そして、新政策が発足すると、新大統領は、
ユナイテッド・フルーツ・カンパニー社など、国
際企業に対する政策を、すべて変更したので
す。(*右の写真は、ユナイテッド・フルーツ・カ
ンパニー社の本社入り口:同社は、1920年に
設立、現在の社名は、「チキータ」。)
エクアドル 1981
エクアドルでは、たいへん長い間、親米国政
権による専制政治が行
われていました。その殆どが、残忍な政権でし
た。
しかし、ある時、真に民主的な選挙が行われることが決定され、
ハイメ・ロルドス(Jaime Roldos Aruilera) が立候補しました。
ロルダスが掲げた最重要政策は、エクアドルの資源は、
エクアドルの国民のために使うというものでした。
そして、彼は、それまでエクアドルの誰もが
得たことのない多数の支持を得ました。圧
倒的な勝利でした。(*右の地図の薄緑の
彼は、公約の「エクアドルの資源からの利
益が、エクアドル国民のためになる政策」を
着実に実行していきました。
しかし、それをアメリカは、嫌っていました。
そして、私が、エコノミック・ヒットマンの一人として、エクアドルに
送り込まれました。
ロルドスに政策転換を迫り、買収し、彼をアメリカ側に取り込むように、
「もし貴方が、私たちのゲームに参加してくれるなら、貴方と家族は、
大金持ちになれます。
しかし、選挙公約を守ろうとするのなら、消え去ることになりますよ」と
脅したのです。
彼は、アメリカの要求を聞き入れませんでした。そして、彼は、暗殺
されました。
飛行機が墜落すると、ただちに一帯は封鎖され、近隣基地からの
米国の軍隊とエクアドルの数名だけが、立ち入ることを許可されました。
人の証人が法廷で証言をする前に、交通事
故で死んだのです。こんな奇妙な事が起こり
続けました。
この事件を調べた殆どの人たちと私は、こ
れが暗殺だったことに、微塵の疑いも感じて
いません。(*写真は、エクアドルの首都キト)
エコノミック・ヒットマンとしての私の立場からも、
何かが起こると、当然、予想していました。
クーデターが暗殺か何か分かりませんでしたが、彼が引きずり降ろされ
たのは、アメリカの言い分を受け入れなかったし、買収にも応じなかった
からです。 【つづく】
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