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2012年4月13日 (金)

愛犬タローの死(下)

 “愛する者との別れは、突然、やって来る”、これが、今回のタロー

との死別で実感した、私の正直な感慨(あるいは、感想)です。

 今、考えますと、彼は、このところ、朝夕の散歩に対して、昔の

に積極的ではありませんでした。

 昔は、”早く行こうよ!”といった感じだったのですが、最近は、

何となく大儀そうで、余り元気が有りませんでした。

 
 とはいえ、ハナを含めたみんなで外に出掛ける時、タローは、

本当に嬉しそうでした。それこそ、みんなの先頭に立って、尻尾を

ピンと立てて、意気揚々と前進するのです。

 その時の彼の元気な姿が、今も脳裏に焼き付いています。


 しかし、そんな元気だった彼でも、”もう、散歩には行けないよ”と

訴える時が、やって来ました。

 それは、3月27日(火)の夕方のことでした。

いつものように、「ター君、お散歩に行こうよ!」と誘いましても、なか

なか外に出ようしません。

 むしろ、室内で、しゃがみこんで、じっと目を閉じてしまいました。

無理を言ってもいけないと思い、その日の散歩は、取り止めました。

 今、思えば、この瞬間が、タローの”限界”だったのです。

彼の死まで、正味十日間しか無いなどと、私たちは、この時、予想だ

しませんでした。


 実は、3月30日の歓迎パーティを前に、妻と私は、その前日、博多

ホテルで、一行を出迎えました。

 ジュリーやハーヴィを始めみんなが、とてもびっくりし、かつ喜ん

くれました。

 その前に、タローを、いつもの動物病院に預けました。タローに

とっては、生涯初めてで、かつ最後の「入院」となりました。きっと、

たいへん心細かったことかと思います。

 でも、運悪く、アメリカの親戚の来日・来熊と重なり、治療を兼ねて、

どうしても、彼を病院に預けなければなりませんでした。


 4月3日に、彼を病院に迎えに行った時、タローは、相当弱った感じ

でした。T先生の言では、”殆ど食欲が無い”とのことでした。

 彼を抱いて、病院を辞する時、T先生始め、奥様や看護師さんたち

が、深々と頭を下げてくださいました。その姿を見た私は、タローが、

余命いくばくも無いことを悟りました。


 帰宅後、確かに、タローの食欲は、殆ど無くなっていました。妻が、

おもゆを、吸い飲みで与えようとしましても、彼は、首を横に振り、

拒否しました。

 また、最初は、時間をかけて水を飲んでいましたが、ついには、そ

の水さえも飲まなくなりました。

 それゆえ、彼の体は痩せ細っていきました。それこそ、パピー(子犬)

時代のタローに戻った感じでした。


 最後の三日間、タローは、何も食べず、何も飲まず、ひたすら耐え

続けました。ただ、亡くなる前日、蜂蜜を溶かした水を、ほんの少し

だけ、吸い飲みから飲んでくれました。

 それを与えた妻の言によりますと、彼は、飲んだ後、妻に向かって、

軽くニッコリと微笑んだと言います。

 犬が笑うなど、有り得ないと思われるかも知れません。でも、妻は、

明らかに、そう感じたのでした。

 しかし、彼の呼吸は、次第に荒くなってゆきました。そばに居た私

は、ただ、彼の体を撫でて上げることしかできませんでした。

 その骨ばった彼の体が、ひどく痛ましく感じられました。


 でも、私が、私用で外出から帰りますと、ハナが飛んで迎えてくれ

ますが、タローも、それまで横になっていたのに、急にスックと立ち

上がって、じっと私の方を見つめてくれました。

 昔は、ターも、喜んで、私を出迎えてくれたのです。それこそ、彼

は、尻尾を激しく振りながら近づき、後ろ足で床を蹴り、ジャンプして、

私の胸元まで飛び込んでくれていました。

 でも、今はもう、それは出来ませんでした。


 私は、”タローが生きてくれているだけで充分だ”と、心底思いま

した。

 でも、最期の三日間で感じたタローは、真正面から、苦しみや痛み

と戦っている感じでした。彼は、私に、様々な事を教えてくれました。

 7日(土)の午後6時半過ぎ、タローが、敷物とフローリングの間で、

足を挟み、少しもがいていたものですから、私は、彼を抱き上げ、

物の上に寝かせようとしました。

 その時の彼の姿を見ていました妻によりますと、抱っこされていた

ローは、”実にいい顔をしていた”とのことでした。

 とても誇らしげで、たいへんスッキリした顔で、しばらく、妻を見つめ

ていたのことです。

 彼女は、「余りにもいい顔なので、写真に撮りたいとさえ思った」、

申します。


 すると、その瞬間です。タローは、軽いシャックリをしたかと思うと、

急に、前のめりの状態になりました。

 私は、思わず、「危ない!」と叫んでいました。

私は、彼を、敷物の上に寝かせました。それは、まさに、タローの心

臓が、最後の鼓動を停止する瞬間でした。

 すべてが、アッ!という間でした。タローが、何かを、口から吐き出

しかと思った(実際は、何も出してはいませんでした)直後、タローの

体の動きが、完全に停止したのです。彼の瞳孔は、開いたままでした。

 私は、彼の体をさすりながら、そして、彼の瞳孔を閉じながら、「ター

君、頑張ったね。本当によく頑張っね」と、涙ながらに語りかけてい

ました。

 その後、私たちは、彼の遺体を安置し、香を炷きました。

そこには、森閑とした静けさが漂っていました。

 翌日、私と妻は、実家の庭のしだれ梅と紫陽花の間に、1メートル

近い穴を掘り、丁重に彼の遺体を埋葬しました。



 ところで、本来、「別れ」は、悲しいものだと思われています。

死別、離別、生き別れなど、その時の悲しみは、それを体験した

人でないと分からないのかも知れません。

 とりわけ、昨年の「東日本大震災」の発生は、われわれに、

その思いを、今まで以上に強くさせます。

 しかし、別れ、有りてこそ、出会いや「再会」の喜びが、一層大きい

とも言えます。

 事実、生涯におきまして、私たちは、予期せぬ出会いや、思いも

よらぬ「再会」を体験します。

 でも、反面、別れ有りてこそ、私たちは、「一期一会」の大切さ、

有難さに思い至るのではないでしょうか。

 また、別れ、有りてこそ、私たちは、この世で邂逅する人々や動物

たちに、尽きぬ”感謝の念”を抱けるのではないでしょうか。

 つまり、別れ、有りてこそ、私たちは、生きる喜びを感じ得るのです。

その意味で、「別れ」は、決して悲しいことではないと思います。

 それは、むしろ、私たちにとって、人生における喜びの“種子”

だと思うのです。


 
 私は、タローとの「再会」を、心から信じ、それを切望しています。

今回の「別れ」があって初めて、彼は、私にとりまして、”永遠の存

在”となりました。

 その意味で、私は、彼に、心から感謝しています。

 彼は、こちら(熊本)で、桜の咲く季節(3月31日)に生まれ(実際の

出生地は、佐賀県)、桜が満開から散り始めようとする時期(4月7日)

に旅立ちました。

 まさに、彼は、”桜のような存在”でした。


 タローが、私たちと一緒に生活して、果たして幸せだったのか
どうか、

それは、私には、分かりません。

 でも、私たちは、彼と生活を共にできて、本当に幸せでした。


 私は、今の「ペット・ロス」の状態を、一日も早く克服し、彼との

「再会」を切望しつつ、この世での「務め」を、成就しなければなら

ないと考えております。 【了】

 (スーザンボイルの「翼を下さい」を、どうか、お楽しみ下さい。)

 You  Tube・スーザン・ボイルの「翼を下さい」

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