フォト
2017年1月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ

« 愛犬タローの死(上) | トップページ | 愛犬タローの死(下) »

2012年4月12日 (木)

愛犬タローの死(中)

 それは、昨年の10月13日のことでした。

 タローの血液と尿検査を終えた、動物病院のT先生が、いつもの

温顔を曇らせながら、正直に、こう切り出されました。 

 「タロー君は、かなり厳しい状態です」と。

 事実、「慢性腎不全」の状態であることが判明したのです。

T先生は、「クレアチニンと尿素窒素の値が、かなり高くなっています。

それに、赤血球の数値が低いですので、貧血の状態です」と確言

れました。

 当方が、余りの突然の事に困惑していますと、T先生は、「明日から、

点滴をいたしましょう」とのことでした。


 それから、日曜日を含め、点滴に努めました。それで、数値は、
幾分

改善されましたが、タローの「腎不全」状態は、本質的には変わりませ

でした。

 私と妻は、自分たちの“不覚さ”を痛感せずにはいられませんでした。

タローが、いかに欲しがるからといって、人間のために調理され鶏肉

の小片や、ソフトクリームの一片を与えたりしていました。しかし、その

ことで、彼の腎臓機能を、少しずつとはいえ、損っていたのです。


 昨冬は、定期的に、彼のリンゲル点滴で通院する日々でした。

でも、定期的な点滴が、昨年の12月頃、彼にとって、かなりの負担と

なっていました。

 12月の或る夜、彼の体(特に、後ろ足)が小刻みに震え、それが、

体全体の痙攣へと繋がりました。

 夜10時近い頃で、正直、困り果てました。幸い、住まいの比較的近く

に、夜の診察をしている動物病院が有りましたので、私は、タクシーを

探し、彼を抱いて、その病院へと駆け込みました。

 注射の御蔭で、一応、痙攣は治まりました。しかし、連続的な点滴が、

彼にとって、かなり負担になっていると考え、私たちは、出来る限り、彼

の“自力”の回復力と“自然”に任せたいと思うようになりました。 


 無論、彼の食餌(あるいは、食事)は、「腎臓食」に変わっていまし
た。

しかし、点滴を避ける事は、同時に、彼の腎臓を弱めることを意味し

いました。

 とはいえ、点滴後の、彼の痙攣状態を思います時、もはや、これ以上

の点滴を、彼に強要することは、余りにも可哀相だと思いました。

 実は、かつて「七種混合」の注射をした時もそうでしたが、タローは、

帰宅後、腰砕けのような状態になって、一時的に歩けなくなったことが

ありました。

 彼のような洋犬は、和犬に比べて、どうも体質的に弱いようです。

そんなわけで、彼の痙攣後、私共は、”すべてを、自然に任せたい”と

考えました。


 ところで、以上は、余りにも悲しい文章内容ですが、タローには、

素敵な”ロマンス”が、二つほど有りました。

 一つは、彼が3歳頃のことです。お相手は、ニコちゃんという、一歳

下のミニチュア・シュナウザーでした。

 彼女は、タローの、いい遊び相手でした。タローは、よくニコちゃんに

追いかけられていました。でも、タローには、恋敵もいました。それは、

ニコちゃんと同年のビーグル犬のシンちゃんです。

 近くの白川に面した広場で、3匹一緒に走り廻っていました時、タロー

は、シンちゃんへの対抗意識のために、何とタローよりも一回り大きい

彼の体の上に、乗っかってしまったのです。ニコちゃんの手前、少しい

い所を見せたかったのかも知れません。

 びっくりしたのは、シンちゃんです。”何だよ?!”といった感じでした。

まったく予期せぬ事とはいえ、私は、彼の飼主に、心から謝りました。

 猫に乗られたり、他の犬の上に乗っかったり、タローは、まるで、サー

ス犬のようなところがありました。

 ところが、その後、ニコちゃんは、飼い主に連れられて熊本市を離れ、

シンちゃんは、不幸にも、交通事故に遭って亡くなってしまいました。

 最近のタローは、もはやニコちゃんともシンちゃんとも遊べなくなって

いました。

 でも、つい最近まで、散歩で、その広場(私と妻は、その広場のこと

を「ニコちゃん広場」と呼んでいました)まで行きますと、タローは、

ニコちゃんの面影を思い出すかのうに、彼女が、いつも来た方向を、

じっと見つめ続けていました。

 まるで、その姿は、もしかして、”ニコちゃんが来るのでは”、と思って

いるかようでした。


 それと、もう一つは、彼と「ハナ」との出会いです。

 夕食後、タローと散歩をしていますと、よく、市内で名の通ったペット・

ショプの前を通りました。

 そのケージの一つで、いつも、グルグルと所在なく歩き廻ている、

メスのトイプードルがいました。

 お店の方に訊ねますと、「クッキー」という名の、一歳近い子でした。

お店の子犬たちは、大体、可愛い盛りの3~4ヶ月頃で売れていき

す。無論、すべてが、そう上手くいくわけではありませんが、「クッ

キーちゃん」は、すでに、10ヶ月間、そのお店にいました。

 後輩の子たちが売れていくのに、いつの間にか、彼女だけが、売

残っていたのです。彼女は、お店の後輩たちから慕われる存在

になっていました。

 でも、余り美顔(?)でなかったせいでしょうか、いつの間にか、

売れ残ってしまったのです。

 ターとの散歩の際に、私は、いつもケージの中で、所在なく、グル

グルと廻っている、その子のことが、なぜかひどく気に懸っていま

した。正直、彼女は、まるで気が狂(ふ)れているかのような風情で

した。

 ”もし、このまま売れ残ってしまったら、一体、この子はどうなるん

だろう? ひょっとして、殺処分されたりするのだろうか?”と、気に

なっていたのです。

 ところで、あれは、東日本大震災から、007_2      

数日後(3月15日)の夜のことでした。

 タローと、その日も、そのペット・シ

の前を通りました。

 すると、そのトイプードルの子は、

つものケージの中にはいませんでし

た。

 ”あれ、売れたのかな?”と、内心、私

は、とても嬉しい気分になりました。

 ところが、実は、彼女は、店の入り口の所にいたのです。

その華奢な体つきと、涙焼けした目元が、ひどく可哀相でした。

 その夜、彼女は、ぽつんと座り込んでいました。

 すると、タローは、何を思ったのか、彼女の傍まで行き、

その涙焼けした目元に、優しくキスをして上げたのです。

 その途端、私は思いました。”ター君だったら、この子と

仲良くやって行ける!”と。

 この夜を機に、その子は、私たちの家族の一員となりました。

名前は、「クッキー」を改め、「オハナ」としました。

 「Ohana」・・・ハワイ語で、「家族」という意味です。通称「ハナ」

が、その子の名前となりました。

 昨年の3月、ハナを、動物病院に連れて行きますと、T先生も、

「タローとハナか、いいですね」と、快活そうに、喜んでくれました。

 確かに、タローとハナは、タローが瞑目する、その日まで、本当に

良き「パートナー」でした。 ハナは、よくタローの後を追いかけていま

した。彼女は、全くの真似っ子でした。

 その点では、ほぼ一年という短い期間とはいえ、タローも、今まで

とは、ひと味違った愉しいひと時を過ごせたと思うのです。 【つづく】

« 愛犬タローの死(上) | トップページ | 愛犬タローの死(下) »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

Links