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2012年4月

2012年4月28日 (土)

Thrive(繁栄)―いったい何が必要になるのか(10)

 ギャンブル氏は、続けます。

 UFOが存在する証拠は、たくさん有りますが、中でも、非日常的

な現象で、私を、いつも驚かせる物は、世界中に出現する、いわ

ゆる「ミステリーサークル」です。

 ”渦巻き”を基調とした複雑な模様が、Photo 穀物畑

に出現する不思議な現象で、茎が押し倒されて

いますが、枯れてはいません。

 30ヶ国以上で、5千個のミステリーサークルが

出現しましたが、ほとんどは、イギリスでした。

 マスコミでは、誰かが夜に、こっそり仕掛けた悪戯であるという説

が多数を占め、私も、最初は、そう信じていました。

 勿論、ヤラセはPhoto_2 有りましたが、人間の手で作ら

れたものは、圧倒的多数の美しいサークルと比

べると「雑」です。

 5千個のサークルすべてが、人の悪戯だったの

でしようか?

  わずかな人数で、ロープや板を使って、このよう

な複雑で美しい物を、真夜中に、激しい雨の中、

土に足跡を残さず作れるのでしょうか?

 ミステリーサークルが出現した場所の電磁場は、Photo 静電的に帯電し

いることが多く、奇妙な磁性粒子(Magnetic 

Particles )が散乱している場所も多く有ります。

 特に驚くべきミステリーサークルの一つは、

円でなく、長方形で、1974年に、宇宙に向かって

送られた”メッセージ”に対する、直接的な「解答」だと思われます。

 この”メッセージ”は、無線信号で送信されたもので、「太陽系の中の

地球の場所と、地球の人々」を表現していて、地球外知的生命が、こ

れを受信して解読してくれることを願ったものでした。

 27年後の2001年(*例の「9.11」の年)、この模様がイギリスで出

現―。

 そこには、”送信者”の自画像ともとれる絵が描かれていました。



 この”メッセージ”は、NASAが送った信号の形式と一致し、別の太陽

系、送信者の「絵」、人間のものでないDNA、マイクロ波のアンテナが

描かれていました。

 これは、”送信者たち”が、通信にしようする物と見られ、われわれ

が使う無線アンテナとは違います。

 このアンテナの記号は、その一年前に、全く同じ畑に出現していま

す。NASAが、最初の送信に使ったのと同じ無線波アンテナの、すぐ

そばです。 【つづく】

 

2012年4月27日 (金)

Thrive(繁栄)―いったい何が必要になるのか(9)

 かつてアポロ14号の乗組員だった宇宙飛行士のエドガー・ミッ

チェル(Edgar  Mitchell)氏は、言います。

 「地球外生命体の訪問、飛行物体の墜落、物や体の発見もあり

ました」と。

 また、アメリカ陸軍の士官クリフォード・ストーン(Clifford   Stone)

氏は語ります。

 「私たちは、宇宙人と接触しました。彼らは、別の太陽系から来て

いた宇宙人でした。そして、私も、その(=コンタクト・接触)当事者

でした」と。

 

 かつてアメリカ海軍に所属していたハリー・アレン・ジョーダン

(Harry Allen Jordan)氏の言葉です。

 「空母ルーズベルトの上空を、UFOが、何度か飛び、特に核兵器

を積んでいた時に、よく見かけたという文書を見ました。

 司令官からは、『日誌に書いてある事は、無かったことにしてくれ』と

言われました」と。

 アメリカ空軍の将校だったデウェニー・ア―ネソン(Dwynne

Arneson) 氏は、言います。

 「勤務に就く乗組員も、勤務が終わった乗組員も、UFOが、空中に

浮かんでいるのを見ました。金属性の丸い物体です。

(われらの)ミサイルは、すべて止まって、駄目になってしまいました。

“何者”かが、ミサイルを停止させたのです。

 アメリカ空軍で教鞭を執るロバート・ジェイコブ(Robert  Jacobs)

教授が語ります。

 「(UFOが、)時速何千キロの早さで飛行しながら、弾頭に光線を

発射して、上に回って、また光線を発射して、こう回って、また光線

発射して、下に回って、また光線を発射して、もと来た方向に飛

いきました。弾頭は、もげ落ちて、消えていきました。

 ”これは、地球外生命体に違いない”、と思いました。

彼ら(*空軍の上位関係者か?)は、UFOが写っている部分のフィ

ムを巻き取って、それをハサミで切り取り、別のリールに巻いて、

ブリーフケースに入れて、マンズマン少佐に、残りのフィルムを渡し

て、こう言いました。

 『セキュリティ違反の重大さを、あなたに念押しする必要はないだ

ろう。この件は、解決済みと看做す』」と。

 FAA(連邦航空局)の上級職員ジョン・キャラハン氏は、言います。

 「UFOに遭遇した、と人に言えば、“頭がおかしくなったのか”とい

う目で見られます」と。 【つづく】

 

2012年4月26日 (木)

Thrive(繁栄)―いったい何が必要になるのか(8)

 ナッシム氏の言葉です。

 ≪古代エジプト、マヤ、インカの物語では、太陽神が地球に来て、

工学や文字、科学のすべてを教えたとされています。

 私は、太陽神が、銀河系の別の場所から来た、高度文明”なの

ではないかと、思いました。

 多くの古代文化では、太陽神が、空飛ぶ「船」に乗って、やって来

たとされています。

 インドの『ヴェーダ』では、空飛ぶ「機械」です。

 「太陽神が、時間を超えてやって来る」という記述は、数多く見ら

れます≫と。


 ギャンブル氏は、続けます。

 遠い昔に、世界の彼方からやって来た「飛行士」が、この「法則」

教えてくれたのでしょうか?

 「法則」の力を利用して、宇宙空間を飛んだのでしょうか?


 研究によって、思い掛けないことが分かり、私は、衝撃を受けまし

たが、ナッシムは、理論を裏づける見事な証拠を挙げました。

 3000年以上前に、高度な数学と物理学の概念があったことを合理

的に説明する理論は、これしか有りません。

 私は、「地球外知的生命研究センター」の創立者であるスティーブ

ン・グリア博士(Steven Greer,M.D.*M.D.=医学博士)に

たどり着きました。

 彼は、政府や軍の上層部の「目撃者」に、数多くのインタビューを

した、たいへん造詣の深い人物です。


 グリア博士は、語ります。

 ≪「地球外知的生命」について語る時、それは、人類のような知覚

を持ち合わせ、さらに技術力や社会的能力が発達し、他の星や惑星

に移動できるようにまでなった(高度な)文明を持つ生命体のことです。

 銀河系には、知的生命体が住む、地球のような惑星が、控え目に

見積もっても1万個あり、その半分以上が、人類と同じか、それ以上

の高度な文明を持っている可能性があります。

 
 MIT(マサチュセッツ工科大学)やカリフォルニア工科大学で、現在

教えられている以上の「宇宙の法則」を習得して、「時空」を超えて、

惑星間の膨大な距離を即座に移動できるような”知的生命体”がい

ることは、ほぼ確実です。


 物体が着陸して、物理的な証拠を残したケースが、4000件以上、

解かっています。パイロットのケースも、3500件以上、あります。

 連邦航空局のトップ調査官、ジョン・キャラハンや多数のオペレ

ーター(管制官)のケースなど、物体が猛烈なスピードで移動したり、

姿が消えて、別の場所に、再び表われたりするのが、レーダーで

確認されたケースも多数あります≫と。 【つづく】

2012年4月24日 (火)

Thrive(繁栄)―いったい何が必要になるのか(7)

 ギャンブル氏は、続けます。

 ナッシムは、オシリス神殿のシンボルを、三次元で解読しました。

この世界は、二次元ではないので、この世界についての“情報”

伝える「記号」も、平面に限られません。

 ナッシムによる三次元版のシンボルは、完全に均衡のとれた

力場である「ベクトル平行体」で、12本の等しいエネルギー線が、

放射状に拡がっています。

 この線は、車輪のスポークのように、中心を固定しています。


 この構造の回りを流れるエネルギーの「基本型」トーラスです。

これを、少し展開して、「四面体」ともいうピラミッドを、計64個置

きます。

  それぞれのピラミッドを取り巻くトロイドのエネルギーを表す球体

を置いて、ピラミッドを取り除くと「マトリックス」ができます。

 これは、オシリスのシンボルとぴったりと重なります。

何千年も前に、エジプトの神殿の壁の岩に“焼き付けられたもの”

と同じ「パターン」の三次元モデルです。


 今度は、大陸を渡って、エジプトから中国に行きましょう。

同じ図形が、1420年に建設された聖地に見られます。

 ナッシム氏が、語ります。

 「太陽の神が宿るという紫禁城に入ると、その門には、獅子がい

ます。

 獅子は、『地』の守り神で、『地』を前足で抑えて守っています」と。


 ギャンブル氏が、続けます。

(そこでは、)64個のエネルギー単位を持った同じ図形が記号化さ

れています。

 まったく同じ模様が、別の大陸にある重要な場所に見られるのは、

単なる偶然だろうか?と、不思議に思いました。

 ナッシムは、「64」を基にした図形が、世界中で、何世紀にも亙っ

て、繰り返し”記号化”されてきたことを教えてくれました。

 ヘブライのカバラにおける「生命の木」も、同じ構造を持っていて、

「ベクトル平行体」が、すべてのレベルに組み込まれています。


 古代中国の「易経」という思想体系は、64卦(け)に基づいていま

す。これは、「6本の線」をひと組とするシンボルで、線には、実線と

破線があります。

 この線を、四面体の6本の「辺」としてまとめると、全部で64個の

四面体を持つ”結晶体”ができます。


 現代の科学研究にも、同じパターンが見られます。

二重螺旋(らせん)には、人間のDNAを記号化するのに使われる

64通りのコドン(codon=塩基配列)が有ります。

 何千年も前の人々は、どうやって、宇宙の生命の図形に関する

高度な知識を得たのでしょうか?  【つづく】

 

 

2012年4月23日 (月)

Thrive(繁栄)―いったい何が必要になるのか(6)

 ギャンブル氏の言葉は、続きます。

  研究を重ねた結果、トーラスベクトル平行体は、基本の「型」

あり、あらゆる規模で、宇宙の創造の根本を成していることを確信

しました。

 セコイア・シンポジウムで、トーラスの働きを応用し、燃焼なしで、

エネルギーを創り出す装置を発明したという発明家のことを知りま

した。

 「ゼロ点エネルギー、または、放射エネルギー「フリーエネ

ルギー」と呼ばれるものを利用する、この画期的な開発は、今では、

ニュー・エネルギー技術と呼ばれています。


 世界の苦しみの多くは、エネルギーを利用できないことが原因な

ので、無料で無限に使えるクリーンなエネルギーが有れば、歴史上

の大発見になると思いました。

 世界中で、生活の質を向上させるだけでなく、一変させるかも知れ

ません。


 そこで、この「型」つまり、強力な潜在的エネルギー源について知

っている人が他にいないかと、思うようになりました。

 トーラスが、様々な文化で、何千年にもわたって”記号化”されてき

たことを、シンポジウムの科学者が教えてくれました。


 古代文明では、後世に最も残り易い形で、この「法則」を組み込ん

できたのです。

 例えば、物語、シンボル、文字、建築物などです。

 ここは、世界最古の聖地の一つ、エジプト、ファビドスのオシリス

神殿です。

 ナッシム氏(Nassim  Haramein) が、語ります。

 ≪オシリス神殿では、文字が、ほとんど発見されていませんが、こ

の神殿には、非常に重要な“情報”が一つ、残されています。

 非常に薄いですが、はっきりと見える正確な「図」です。

岩に刻み込まれているのではありません。

 それは、或る”驚くべき方法”で、岩の「原子構造」に焼き付けられ

ているのです≫と。 【つづく】

2012年4月21日 (土)

Thrive(繁栄)―いったい何が必要か(5)

 ギャンブル氏によるナレーションは、続きます。


 
このようなトロイド状(いわゆる、ドーナツ型)の動きは、様々な

規模で見られます。

 一つの規模として挙げられるのが、「銀河」で、無数の星を持つ

巨大な構造体が回転しています。


 典型的なものは、銀河から伸びる”大きな腕”が、回転している

ように見えます。

 そして、”うず”を作っているのですが、それは、中央から出て、

銀河の回りを取り巻いているハローの端へと向かっているのです。

 〔*「ハロー」とは、太陽や月の周りに現れる光の輪。この場合、

   銀河全体を取り巻く光輪(あるいは、暈〔かさ〕)のこと。〕

 星は、円盤状の銀河からハローに向かい、”うず”を伝わって下り、

また出て来るというような動きをします。

 アルクトゥルスなどの星が、過去に、この道筋をたどったという

ことが分かっています。

〔*「アルクトゥルス」・・・うしかい座α星のこと。太陽を除けば、地

  球から見てシリウス、カノーブスに次いで、3番目に明るい恒星。

  その半径は、太陽の半径の15.9倍。光度は、太陽高度の110倍

  と言われる。〕(Wikipedia参照)


 地球の「大気」も、よく似ています。

天候は、北極から赤道まで南下した後、北上して戻ります。

 南極からは、赤道まで北上した後、南下して戻ります。


 太陽の表面の動きも、非常によく似ています。

もちろん、これは、小規模のモデルを使って、外から見ているわけ

です。

 太陽系が銀河系の一部であり、それは、星団の一部に属していて、

さらに、それは、超星団の一部に属しているということを理解していく

と、われわれは、果てしなく続く無限のトーラスの流を旅していると

いうことになるのです。


 トーラス”宇宙の呼吸”のようなものです。

エネルギーの流れは、あらゆる規模で、トーラスの形をとります。

 しかし、流れの調和の根本には”骨格のような構造”があるのです。

それは「ベクトル平行体」です。

 20世紀の偉大な思想家の一人、バックミンスター・フラー

(Buckminster  Fuller)の造語です。

 先見性のあるフラーの業績に触発された私は、何十年も「ベクトル

平行体」とトーラスを研究しました。

 トロイド型のエネルギー形状の可能性にとりつかれた私は、その「型」

研究して、応用への道を探るため、1997年に、「セコイア・シンポジ

ウム」という学際シンクタンクを共同で設立しました。  【つづく】

 

 

2012年4月20日 (金)

Thrive(繁栄)―いったい何が必要か(4)

 数学者は、この「型」トーラス(Torus) と呼びます。

トーラスのエネルギーは、一方から流れ込み、中央を廻って、もう

一方の端から出て来ます。

 トーラスは、均衡を保ち、自ら調整し、常に完全です。


 私が、初めて、正式にトーラスを知ったのは、科学者で発明家の

アーサー・ヤング(Arthur Young) からでした。

 「トーラスは、自然が、すべての規模において使う基本的な『型』

ある」と、未来学者ドゥイン・エルジン(Duane Elgin)は説明します。

 エルジンは、次のように語ります。

 ≪「進化とは、展開、つまり、繰り広げるということです。

そこで問題は、宇宙が展開しているのは、何か?

 それは、己組織化』システムで、すべての規模において見ら

れます。

『自己組織化』システムとは、『自己』を本質的に理解し、管理して

いる体系を指す専門用語です。

 自然の中に入ると、至る所に、このような『自己組織』型の形状が

見られます。

 それは、オレンジの断面であったり、リンゴの断面にも見られます。

竜巻の動的性質の中にも見られます。

 他には、地球を取り巻いている磁場も、そうです。

人間の周りにも、同じような磁場が有ります。

 渦巻き銀河全体の構造にも見られますし、小さな原子の構造も、

そうなんです。

 宇宙は、歴史の中で、常に、あらゆる規模において、一つのことに

取り組んできました。

 それはトーラスを育てることです。

宇宙は、トーラス「成育工場」なのです≫と。 【つづく】

(後記:昨日、当方のミスにて、無記載の拙稿を発信し、たいへん

     失礼いたしました。衷心より、お詫びいたします。)

2012年4月19日 (木)

Thrive(繁栄)―いったい何が必要か(7 )

Thrive(繁栄)―いったい何が必要か(3)

 私は、特権と権力の世界で育ち(*ギャンブル氏は、世界的に

有名なP&G」社の御曹司)、私立エリート校、そして、プリンストン

大学(*ハーバードやエールと並ぶ、アメリカの名門大学)に進み

ました。

 P&Gの創業者の子孫として、将来は、会社を率いるように育て

られました。

 しかし、私は、違う道”を選びました。


       法則を解き明かす



 目覚め始めたのは、小学生の頃でした。

核爆発から身を守るには、”机の下にもぐって、頭を守れ!”と、

大人に教えられたのが、深刻な疑問を抱くきっかけとなったのです。

 数年後、私は、宙エネルギー”を直接、体験しました。



 ある日、スクールバスの窓から外を見ていると、渦巻き文様”

見えました。

 今、見ているエネルギーの流れは、原子でも太陽系でも同じだ、

と直感しました。

 そして、自分も”同じ形で出来ている”と実感したのです。



 科学の世界に入ったのは、この体験が、きっかけでした。

宇宙の仕組みを解明し、生命エネルギーの「型」の中で、

人間が占める位置を知りたかったのです。

 何年か経ち、一部の科学者が、私の見た「型」を知っていることが

分かりました。



 宇宙で、エネルギーが放出されると、小さくて完全なパッケージ”

が、幾つも生まれることを発見した功績で、1921年に、アインシュタ

イン(1879~1955)が、ノーベル賞を受賞しています。

 この「型」から、生命の進化について、多くの事が分かります。



 宇宙が創った物は、永続的ですが、人間が創った物は、持続

しません。

 そこで、私は、宇宙が、どのように生命を創り出し、維持するか

を知れば、役に立つと考えました。

 アインシュタインが発見した”小さくて完全なパッケージは、陽子、

正確には、光子(こうし)です。

 周囲に在る物で構成されていますが、それは、水の中の渦のよう

に、はっきりと分かるものです。

 これは、大きさに関わらず、必ず同じ「型」です。


 そして、中東戦争、世界金融破綻、正義の実現”といった、

一見、関係のない問題に、関連しています。

 ご説明いたしましょう。 【つづく】

2012年4月17日 (火)

Thrive(繁栄)-いったい何が必要か(2)

 私は、経済制度が”操られていることに気づき、その対処法を

探り出しました。

 ”人間は、地球のすべての地域に、自由で健全なシステムを創り

出す力を持っている、と断言できます。

 人間自体が”失敗作”なのではなく、間違った事をしているだけ

です。

 人間は今まで、自らの優秀さに気づかず、力を奪われ、才能を知

ず、真の能力と偉大に気づきませんでした。


 しかし、それが、大きく変わろうとしています。想像を超えるよう

「旅」の最も重要な部分を、一緒に体験しましょう。

 このナビゲーターが、時空を超えて連れて行ってくれます。

さあ、ご案内しましょう。


 この場面で入手できるのは、われわれが、「VITAL」と呼ぶもの

で、マスコミからは得られない重要なデータです。

 アメリカのマスコミは、合併・統合の結果、わずか25年の間に、

50社から5社になりました。

 これ(「VITAL」)を使って、実際の状況を確認します。


 右の画面は、地球で生きていくための、”健全で持続可能な道”

を描く方法を追っていきます。

 これを、ナビゲーティング・インサイト(「NAVIGATING INSIGHT」)

と呼びます。

 (もう一つのものを指して)これは”羅針盤”です。この羅針盤は、

地球の磁場の針が指すのではなく、”磁場そのもの”の形をしてい

ます。


 
”この形”が、技術的、社会的に驚くべき影響を与えて
いる

のです。

生涯をかけた研究で、わたくしは、”この形”が、みんなが幸せに

れる鍵を握っていると思うようになりました。


 さあ、出掛けましょう。 【つづく】

2012年4月16日 (月)

Thrive(繁栄)―いったい何が必要か(1)

 かつて、スリーエイト(888)氏が、「植草事件の真相掲示板」の

中で強調しておられたように、映画『Thrive(繁栄)』(2011.11.11

製作)の“歴史的意味”は、限りなく大きい。

 今回、井口和基博士が、4月9日のブログで、同作品の無料提供

について言及なさいました。

 私は、それを、全編鑑賞した後、その”文章化”を思い立ちました。

難解な部分も多々見られますが、「新しい世界観の確立」のため、

どうか、是非、ご参考になさってみて下さい。

 また、最近の「真相掲示板」におきまして、松代氏や山道氏、

さらには、風太さんの健筆には、心から共感いたします。

 加えて、マッドマンさんの再登場や益々のご活躍、並びにバードさ

んの愛国・愛民の至情には、衷心より感動しています。

 因みに、この映画の製作者であるフォスター・ギャンブル(Foster・

Gamble)氏が、そのナレーターを務めています。彼は、言います。


 この地球上のすべての生態系には、宇宙の
驚くべき力が、ひじょ

うによく表われています。

 それは、完璧なバランスをとる力、生命の本来の使命である、

逞しい成長の力です。「成長」は、生命の自然な流れです。

 
 ちっぽけな卵子と、とてつもなく勇敢な精子から、一人の人間が

生まれるという過程は、間違いなく、この世の偉大なる神秘の一つ

と言えるでしょう。

 人間は、膨大な能力と無限の可能性を持っています。

脳は、自己を見つめるという、複雑で高度な作業ができ、足は、

踊ったり、走ったりできます。

 手は器用で、籠を編んだり、バイオリンを弾いたり、顔をなでたり

できます。


 生命が正しく機能するのは、
自然の摂理です。

他のすべての生命と同じように、人間の使命は、力強く成長

するこです。

 しかし、地球上の大多数の人は、「成長」には、ほど遠く、何と

生き残るのが精一杯です。


 とはいえ、これが、本当に、人間の「限界」なのでしょうか?

宇宙は、140億年近くもかけて、生命自体や地球の「敵」となるよう

な”種”を生み出したのでしょうか?

 私は、そうは思いません。


 私は、フォスター・ギャンブル(Foster・Gamble)です。

地球上の大きな苦しみと貧困の原因を追究することに、人生の殆ど

を費やしてきました。

 私は、若い頃、悲惨な状況を目にして、人類の生存に不安を感じ、

疑問の答えを探す「旅」に出ました。


 人間が力強く成長するのは、そもそも可能なのか? 

なぜ、成長していないのか?

 研究をしていくと、思いもよらない「発見」がありました。

最初は、無関係に見えたものが、実は密接につながっているという

ことが分かったのです。


 私は、或る
「法則」を見つけました。

昔から、美術やシンボルに組み込まれてきた自然の中の「パターン」

です。

 この法則が、生活様式を一変させる、クリーンで”持続可能な”

新エネルギー源への鍵を握っているのです。 【つづく】

2012年4月14日 (土)

日本の美しさ(完)

 私は、日本に生まれて、本当によかったと思います。

私事ですが、母の言では、私が62年前に生まれた時、私の左脚の

外側に、ほんの小さな痣(あざ)が有ったと申します。正直、今は、

それが、だいぶ大きくなりました。

 本来、赤ちゃんの肌は無垢で美しく、痣など有り得ないとも言い

ます。母は、それを見た瞬間、”この子は、前世で、たいへん惜しま

れて死んだ子の生まれ変わりだ”と感じたと言います。

 さて、その実際は、分かりません。

 でも、これに似た話は、ラフガデオ・ハーン(小泉八雲)の『怪談

の中にも見られます。確か、「力馬鹿」という物語でした。

 事実、私たちは、数限りなく、生死を繰り返しているのかも知れま

せん。しかし、その一課程で、現代の日本に生まれたことを、私は、

心から感謝しています。


 東北や北海道では、今からが、桜の季節です。でも、熊本では、

すでに桜は散り始め、その多くが、葉桜になっています。

 すでに、当地では、ハナミズキやツツジの季節に変わろうとして

います。

また、樹々の新緑が、たいへん美しく感じられる今日この頃です。

このような日々の風景の変化や循環の中に、日本の美しさが感じ

られます。

 実家の庭でも、白いリキュウバイや赤紫の花周防が、実に美しく

咲き誇りました。

 これからは、シランや牡丹、それに芍薬の季節です。無論、薔薇の

存在を忘れてはなりません。

 植物は、本当に心の慰めとなります。日本人は、イギリス人に負け

ないくらい、様々な植物を愛します。その心の中にまた、日本の美しさ

が垣間見られます。


 
ところで、日本には、「花筏(いかだ)」という言葉があります。何だ

ろうと思いましたら、桜の花などが、川面を流れていく風情を、そう

表現するそうです。実は、最近、家内から教わりました。

 この他にも、数限りなく美しい言葉が、日本には有ります。

例えば、私たちが何気なく使っていますさようなら」も、実に美しい

言葉なのです。


 事実、「『さようなら』は、世界で最も美しい別れの言葉です」、と

た、著名なアメリカ女性がいました。

 それは、「翼よ、あれがパリの灯だ」で有名なチャールズ・リンドバ

ーグ氏の奥様です。

 確かに、「さようなら」には、尽きぬ”惜別の思い”が込められてい

ます。

 「さようなら」という言葉の真意は、”私は、あなたとはお別れしたく

はないのですが、左様(あなたは、お発ちになるの)ですか、それば、

仕方ありませんね”というものです。

 まさに、別れを惜しむ、実に優しい言葉と言えます。私たちは、こ

の言葉の真意を理解することなく、何気なく使っています。

 「別れ」に対して、さっぱりしていることもいいでしょうが、惜別の余

や余韻も大切にしたいものです。

 その意味で、「さようなら」は、たいへん含蓄のある素晴らしい別れ

の言葉だと思うのです。

 また、それは、とても美しい日本の言葉の代表的なものなのでは

ないでしょうか。


 先日、久し振りに、英語(厳密には、米語)のシャワーを浴び
て、

まさに目の覚めるような思いがいたしました。

 言葉や「会話」は、やはり毎日馴れ親しんでいなければなりません。

でも、今回、私は、その語感・語調からして、英米語と日本語とは、

明らかに異なる、と感じました。

 英米語は、常に「イエスかノー」かで、”理”によって、言葉を展開

します。

 これに対して、日本語は、決して、「イエスかノー」かばかりではなく、

その間に、実に様々なニュアンスがあります。言うなれば、時に、安直

「イエスかノー」かでは答えられない時があるのです。

 つまり、”言外の言”や情、さらには「あうん」の呼吸のようなものが、

幅を利かします。

 そして、端的に言って、英米語は、”戦うための言葉”、日本語は、

”和合するための言葉”なのではないかと思います。

 それゆえ、私たちが、別段、英米語を流暢に語れなくても、何ら

恥ではないと思うのです。

 むしろ、日本語を正しく使い切る方が、よほど大切なのではない

でしょうか。

 
 また、言葉の美しさは、心の美しさの反映なのだと思います。

今日のテレビを観ておりましたら、「世界番付」という番組があり

ました。

 その中で、路上で少女が悲しそうに泣いているのに対して、

一時間のうち、一体、何人の人が、彼女に声を掛けるだろう?

というものがありました。

 一種の「ドッキリ」なのですが、番組の狙いは、至極まともなもの

でした。その結果によりますと、フランス人が9人、ドイツ人が8人、

ブラジル人が5人、ナイジェリア人が4人とのことでした。

 では、フランス人が一番多かったのかと思いきや、実は、日本人

が14人で、フランス人たちを凌いだのです。

 決して、「自画自賛」というわけではないですが、日本人の本来

持っている優しさ、思いやり、繊細な心遣いなどが明らかになった

のです。

 日本人も、決して捨てたものじゃない、というのが、その番組から

感じた感想でした。

 
 つまり、
日本の美しさ、それは、先ず日本の言葉の美し

によって齎されるものです。

 そして、その言葉の美しさや、その本質的な美しさは、日本人の

心の美しさによって形づくられるものです。


 
それに関して、私は、一人の女性の言葉を思い出します。

彼女は、昨年の東日本大震災で被災し、避難所生活を余儀なく

されている方でした。

 実は、記者のインタビューに対して、彼女は、こう答えました。

「私の所は大丈夫ですから、どうか、他の方の援助をして上げて

ください」と。

 この言葉を聴いた途端、私は、心から感動しました。

多分、彼女自身、家族を亡くされたかも知れません。あるいは、

御宅を流されたかも知れません。それゆえ、どれほど淋しく、

かつ悲痛な思いであったことでしょう。

 でも、たとえ、どんな窮状であったとして、先ず”他の方の支援

を!”と訴える、その彼女の姿、彼女の心に、私は、真に美しい

日本人見る思いでした。


 日本の美しさ、それには、様々な形の美しさが有りましょう。

しかし、その最も根本的な美は、何よりも祖国日本を愛し、

同胞を敬う、人の心の美しさの中に在ると思うのです。 【了】

 

 

2012年4月13日 (金)

愛犬タローの死(下)

 “愛する者との別れは、突然、やって来る”、これが、今回のタロー

との死別で実感した、私の正直な感慨(あるいは、感想)です。

 今、考えますと、彼は、このところ、朝夕の散歩に対して、昔の

に積極的ではありませんでした。

 昔は、”早く行こうよ!”といった感じだったのですが、最近は、

何となく大儀そうで、余り元気が有りませんでした。

 
 とはいえ、ハナを含めたみんなで外に出掛ける時、タローは、

本当に嬉しそうでした。それこそ、みんなの先頭に立って、尻尾を

ピンと立てて、意気揚々と前進するのです。

 その時の彼の元気な姿が、今も脳裏に焼き付いています。


 しかし、そんな元気だった彼でも、”もう、散歩には行けないよ”と

訴える時が、やって来ました。

 それは、3月27日(火)の夕方のことでした。

いつものように、「ター君、お散歩に行こうよ!」と誘いましても、なか

なか外に出ようしません。

 むしろ、室内で、しゃがみこんで、じっと目を閉じてしまいました。

無理を言ってもいけないと思い、その日の散歩は、取り止めました。

 今、思えば、この瞬間が、タローの”限界”だったのです。

彼の死まで、正味十日間しか無いなどと、私たちは、この時、予想だ

しませんでした。


 実は、3月30日の歓迎パーティを前に、妻と私は、その前日、博多

ホテルで、一行を出迎えました。

 ジュリーやハーヴィを始めみんなが、とてもびっくりし、かつ喜ん

くれました。

 その前に、タローを、いつもの動物病院に預けました。タローに

とっては、生涯初めてで、かつ最後の「入院」となりました。きっと、

たいへん心細かったことかと思います。

 でも、運悪く、アメリカの親戚の来日・来熊と重なり、治療を兼ねて、

どうしても、彼を病院に預けなければなりませんでした。


 4月3日に、彼を病院に迎えに行った時、タローは、相当弱った感じ

でした。T先生の言では、”殆ど食欲が無い”とのことでした。

 彼を抱いて、病院を辞する時、T先生始め、奥様や看護師さんたち

が、深々と頭を下げてくださいました。その姿を見た私は、タローが、

余命いくばくも無いことを悟りました。


 帰宅後、確かに、タローの食欲は、殆ど無くなっていました。妻が、

おもゆを、吸い飲みで与えようとしましても、彼は、首を横に振り、

拒否しました。

 また、最初は、時間をかけて水を飲んでいましたが、ついには、そ

の水さえも飲まなくなりました。

 それゆえ、彼の体は痩せ細っていきました。それこそ、パピー(子犬)

時代のタローに戻った感じでした。


 最後の三日間、タローは、何も食べず、何も飲まず、ひたすら耐え

続けました。ただ、亡くなる前日、蜂蜜を溶かした水を、ほんの少し

だけ、吸い飲みから飲んでくれました。

 それを与えた妻の言によりますと、彼は、飲んだ後、妻に向かって、

軽くニッコリと微笑んだと言います。

 犬が笑うなど、有り得ないと思われるかも知れません。でも、妻は、

明らかに、そう感じたのでした。

 しかし、彼の呼吸は、次第に荒くなってゆきました。そばに居た私

は、ただ、彼の体を撫でて上げることしかできませんでした。

 その骨ばった彼の体が、ひどく痛ましく感じられました。


 でも、私が、私用で外出から帰りますと、ハナが飛んで迎えてくれ

ますが、タローも、それまで横になっていたのに、急にスックと立ち

上がって、じっと私の方を見つめてくれました。

 昔は、ターも、喜んで、私を出迎えてくれたのです。それこそ、彼

は、尻尾を激しく振りながら近づき、後ろ足で床を蹴り、ジャンプして、

私の胸元まで飛び込んでくれていました。

 でも、今はもう、それは出来ませんでした。


 私は、”タローが生きてくれているだけで充分だ”と、心底思いま

した。

 でも、最期の三日間で感じたタローは、真正面から、苦しみや痛み

と戦っている感じでした。彼は、私に、様々な事を教えてくれました。

 7日(土)の午後6時半過ぎ、タローが、敷物とフローリングの間で、

足を挟み、少しもがいていたものですから、私は、彼を抱き上げ、

物の上に寝かせようとしました。

 その時の彼の姿を見ていました妻によりますと、抱っこされていた

ローは、”実にいい顔をしていた”とのことでした。

 とても誇らしげで、たいへんスッキリした顔で、しばらく、妻を見つめ

ていたのことです。

 彼女は、「余りにもいい顔なので、写真に撮りたいとさえ思った」、

申します。


 すると、その瞬間です。タローは、軽いシャックリをしたかと思うと、

急に、前のめりの状態になりました。

 私は、思わず、「危ない!」と叫んでいました。

私は、彼を、敷物の上に寝かせました。それは、まさに、タローの心

臓が、最後の鼓動を停止する瞬間でした。

 すべてが、アッ!という間でした。タローが、何かを、口から吐き出

しかと思った(実際は、何も出してはいませんでした)直後、タローの

体の動きが、完全に停止したのです。彼の瞳孔は、開いたままでした。

 私は、彼の体をさすりながら、そして、彼の瞳孔を閉じながら、「ター

君、頑張ったね。本当によく頑張っね」と、涙ながらに語りかけてい

ました。

 その後、私たちは、彼の遺体を安置し、香を炷きました。

そこには、森閑とした静けさが漂っていました。

 翌日、私と妻は、実家の庭のしだれ梅と紫陽花の間に、1メートル

近い穴を掘り、丁重に彼の遺体を埋葬しました。



 ところで、本来、「別れ」は、悲しいものだと思われています。

死別、離別、生き別れなど、その時の悲しみは、それを体験した

人でないと分からないのかも知れません。

 とりわけ、昨年の「東日本大震災」の発生は、われわれに、

その思いを、今まで以上に強くさせます。

 しかし、別れ、有りてこそ、出会いや「再会」の喜びが、一層大きい

とも言えます。

 事実、生涯におきまして、私たちは、予期せぬ出会いや、思いも

よらぬ「再会」を体験します。

 でも、反面、別れ有りてこそ、私たちは、「一期一会」の大切さ、

有難さに思い至るのではないでしょうか。

 また、別れ、有りてこそ、私たちは、この世で邂逅する人々や動物

たちに、尽きぬ”感謝の念”を抱けるのではないでしょうか。

 つまり、別れ、有りてこそ、私たちは、生きる喜びを感じ得るのです。

その意味で、「別れ」は、決して悲しいことではないと思います。

 それは、むしろ、私たちにとって、人生における喜びの“種子”

だと思うのです。


 
 私は、タローとの「再会」を、心から信じ、それを切望しています。

今回の「別れ」があって初めて、彼は、私にとりまして、”永遠の存

在”となりました。

 その意味で、私は、彼に、心から感謝しています。

 彼は、こちら(熊本)で、桜の咲く季節(3月31日)に生まれ(実際の

出生地は、佐賀県)、桜が満開から散り始めようとする時期(4月7日)

に旅立ちました。

 まさに、彼は、”桜のような存在”でした。


 タローが、私たちと一緒に生活して、果たして幸せだったのか
どうか、

それは、私には、分かりません。

 でも、私たちは、彼と生活を共にできて、本当に幸せでした。


 私は、今の「ペット・ロス」の状態を、一日も早く克服し、彼との

「再会」を切望しつつ、この世での「務め」を、成就しなければなら

ないと考えております。 【了】

 (スーザンボイルの「翼を下さい」を、どうか、お楽しみ下さい。)

 You  Tube・スーザン・ボイルの「翼を下さい」

2012年4月12日 (木)

愛犬タローの死(中)

 それは、昨年の10月13日のことでした。

 タローの血液と尿検査を終えた、動物病院のT先生が、いつもの

温顔を曇らせながら、正直に、こう切り出されました。 

 「タロー君は、かなり厳しい状態です」と。

 事実、「慢性腎不全」の状態であることが判明したのです。

T先生は、「クレアチニンと尿素窒素の値が、かなり高くなっています。

それに、赤血球の数値が低いですので、貧血の状態です」と確言

れました。

 当方が、余りの突然の事に困惑していますと、T先生は、「明日から、

点滴をいたしましょう」とのことでした。


 それから、日曜日を含め、点滴に努めました。それで、数値は、
幾分

改善されましたが、タローの「腎不全」状態は、本質的には変わりませ

でした。

 私と妻は、自分たちの“不覚さ”を痛感せずにはいられませんでした。

タローが、いかに欲しがるからといって、人間のために調理され鶏肉

の小片や、ソフトクリームの一片を与えたりしていました。しかし、その

ことで、彼の腎臓機能を、少しずつとはいえ、損っていたのです。


 昨冬は、定期的に、彼のリンゲル点滴で通院する日々でした。

でも、定期的な点滴が、昨年の12月頃、彼にとって、かなりの負担と

なっていました。

 12月の或る夜、彼の体(特に、後ろ足)が小刻みに震え、それが、

体全体の痙攣へと繋がりました。

 夜10時近い頃で、正直、困り果てました。幸い、住まいの比較的近く

に、夜の診察をしている動物病院が有りましたので、私は、タクシーを

探し、彼を抱いて、その病院へと駆け込みました。

 注射の御蔭で、一応、痙攣は治まりました。しかし、連続的な点滴が、

彼にとって、かなり負担になっていると考え、私たちは、出来る限り、彼

の“自力”の回復力と“自然”に任せたいと思うようになりました。 


 無論、彼の食餌(あるいは、食事)は、「腎臓食」に変わっていまし
た。

しかし、点滴を避ける事は、同時に、彼の腎臓を弱めることを意味し

いました。

 とはいえ、点滴後の、彼の痙攣状態を思います時、もはや、これ以上

の点滴を、彼に強要することは、余りにも可哀相だと思いました。

 実は、かつて「七種混合」の注射をした時もそうでしたが、タローは、

帰宅後、腰砕けのような状態になって、一時的に歩けなくなったことが

ありました。

 彼のような洋犬は、和犬に比べて、どうも体質的に弱いようです。

そんなわけで、彼の痙攣後、私共は、”すべてを、自然に任せたい”と

考えました。


 ところで、以上は、余りにも悲しい文章内容ですが、タローには、

素敵な”ロマンス”が、二つほど有りました。

 一つは、彼が3歳頃のことです。お相手は、ニコちゃんという、一歳

下のミニチュア・シュナウザーでした。

 彼女は、タローの、いい遊び相手でした。タローは、よくニコちゃんに

追いかけられていました。でも、タローには、恋敵もいました。それは、

ニコちゃんと同年のビーグル犬のシンちゃんです。

 近くの白川に面した広場で、3匹一緒に走り廻っていました時、タロー

は、シンちゃんへの対抗意識のために、何とタローよりも一回り大きい

彼の体の上に、乗っかってしまったのです。ニコちゃんの手前、少しい

い所を見せたかったのかも知れません。

 びっくりしたのは、シンちゃんです。”何だよ?!”といった感じでした。

まったく予期せぬ事とはいえ、私は、彼の飼主に、心から謝りました。

 猫に乗られたり、他の犬の上に乗っかったり、タローは、まるで、サー

ス犬のようなところがありました。

 ところが、その後、ニコちゃんは、飼い主に連れられて熊本市を離れ、

シンちゃんは、不幸にも、交通事故に遭って亡くなってしまいました。

 最近のタローは、もはやニコちゃんともシンちゃんとも遊べなくなって

いました。

 でも、つい最近まで、散歩で、その広場(私と妻は、その広場のこと

を「ニコちゃん広場」と呼んでいました)まで行きますと、タローは、

ニコちゃんの面影を思い出すかのうに、彼女が、いつも来た方向を、

じっと見つめ続けていました。

 まるで、その姿は、もしかして、”ニコちゃんが来るのでは”、と思って

いるかようでした。


 それと、もう一つは、彼と「ハナ」との出会いです。

 夕食後、タローと散歩をしていますと、よく、市内で名の通ったペット・

ショプの前を通りました。

 そのケージの一つで、いつも、グルグルと所在なく歩き廻ている、

メスのトイプードルがいました。

 お店の方に訊ねますと、「クッキー」という名の、一歳近い子でした。

お店の子犬たちは、大体、可愛い盛りの3~4ヶ月頃で売れていき

す。無論、すべてが、そう上手くいくわけではありませんが、「クッ

キーちゃん」は、すでに、10ヶ月間、そのお店にいました。

 後輩の子たちが売れていくのに、いつの間にか、彼女だけが、売

残っていたのです。彼女は、お店の後輩たちから慕われる存在

になっていました。

 でも、余り美顔(?)でなかったせいでしょうか、いつの間にか、

売れ残ってしまったのです。

 ターとの散歩の際に、私は、いつもケージの中で、所在なく、グル

グルと廻っている、その子のことが、なぜかひどく気に懸っていま

した。正直、彼女は、まるで気が狂(ふ)れているかのような風情で

した。

 ”もし、このまま売れ残ってしまったら、一体、この子はどうなるん

だろう? ひょっとして、殺処分されたりするのだろうか?”と、気に

なっていたのです。

 ところで、あれは、東日本大震災から、007_2      

数日後(3月15日)の夜のことでした。

 タローと、その日も、そのペット・シ

の前を通りました。

 すると、そのトイプードルの子は、

つものケージの中にはいませんでし

た。

 ”あれ、売れたのかな?”と、内心、私

は、とても嬉しい気分になりました。

 ところが、実は、彼女は、店の入り口の所にいたのです。

その華奢な体つきと、涙焼けした目元が、ひどく可哀相でした。

 その夜、彼女は、ぽつんと座り込んでいました。

 すると、タローは、何を思ったのか、彼女の傍まで行き、

その涙焼けした目元に、優しくキスをして上げたのです。

 その途端、私は思いました。”ター君だったら、この子と

仲良くやって行ける!”と。

 この夜を機に、その子は、私たちの家族の一員となりました。

名前は、「クッキー」を改め、「オハナ」としました。

 「Ohana」・・・ハワイ語で、「家族」という意味です。通称「ハナ」

が、その子の名前となりました。

 昨年の3月、ハナを、動物病院に連れて行きますと、T先生も、

「タローとハナか、いいですね」と、快活そうに、喜んでくれました。

 確かに、タローとハナは、タローが瞑目する、その日まで、本当に

良き「パートナー」でした。 ハナは、よくタローの後を追いかけていま

した。彼女は、全くの真似っ子でした。

 その点では、ほぼ一年という短い期間とはいえ、タローも、今まで

とは、ひと味違った愉しいひと時を過ごせたと思うのです。 【つづく】

2012年4月10日 (火)

愛犬タローの死(上)

 今春、実は、アメリカの親戚の来日・来熊だけでなく、私の心を

一杯にした”悲しい出来事”がありました。

 まったくの私事で恐縮ですが、それは、今年の3月末、9歳の誕

生日を迎えたばかりの愛犬タロー(愛称ター)が、4月7日(土)に

亡くなったことです。奇しくも、それは、49年前に亡くなった祖父の

命日と同じ日でした。

 正直、私は今、彼を失った悲しみ(いわゆるペット・ロス)の真っ只

中にいます。

 彼と歩いた散歩道を、一人で歩いては、自然と涙がこぼれます。


 彼が亡くなった日の翌夕食時、妻がぽつりと、「
まるで、火が消えた

ようね」と申しました。私も、まったく同感でした。

 愛する者を亡くす体験は、人間共通のものです。その対象が人間

であれ動物であれ、本質的には同じだと思います。

 とりわけ、私共のような子供のいない夫婦は、愛犬の死は、”心に

ぽっかり穴が開いたような”(妻の言)思いになります。


 ところで、タロー(愛称、ター)と私たちとの出会いは、熊本市内の

ペット・ショップででした。

 いなか(熊本)での生活に、今一つ馴染めなかった東京生まれの

妻は日頃、”ホワイトテリアを飼いたい”という願いを抱いていました。

 しかし、比較的珍しい犬種ですので、なかなか見つかりません。

 ところが、それは、9年前の6月15日でした。

或るペット・ショップのケージの中に居る子犬や子猫たちを見ていま

すと、何と、そこに、一匹のホワイトテリアがいたのです!


 その子は、しきりと店員さんの方を見ていました。つまり、窓の外

から見る私たちに背を向ける格好で、上体を起こしながら、横にな

っていました。

 でも、中に閉じ込められているストレスからでしょうか、尻尾の中ほ

どが、自損(自傷)行為で傷ついていました。

 しかし、ふと振り返った時の、彼の何と愛らしかったこと!

ケージの外側には、「ホワイトテリア・オス・3ヶ月」とありました。


 妻が、店員さんに向かって、「抱っこしてもいいですか?」と言い

と、些か甲高い声をした彼女は、その子犬を連れてきてくれま

した。

 すると、その子犬は、よほど嬉しかったのでしょう!

妻の口を目指して、しきりにキスしてくるのです。

代わった私に対しても、それは、全く同じでした。

 ”情が移る”というのは、あの瞬間を言うのでしょう。

即座に、私たちは、その子を買う(=飼う)ことを決意しました。

これが、ターと私たちとの、初めての出会いでした。


 では、一体どんな名前を付けようか、ということで、話し合いました。

最初、「Whitey(シロ)」はどうかと考えたのですが、妻が、東京で

っていた犬がタローだったようで、それでは、「2代目、タローにし

う」、と決めました。

 わが家に来た頃のタロー(ター)は、体重1.4キロで、まだ、私たちの

掌に載る感じでした。

 彼は、全身が白銀色に輝き、長い耳をしていましたので、動物病院

へ行きますと、或る愛犬家の方に、「ウサギですか?」と問われる始

末です。

 深夜、ケージの中に入っていた彼は、「オシッコしたよ!」と吠えて

は、私たちを起こしました。

 また、幼い頃の彼は、私の机の下に潜っては、私の足指をなめてく

れました

 さらには、妻が掃除をする度に、彼は、クリーナーにジャレたりしま

した。


 まだ小さい頃、彼は、ソファーにも上れませんでした。妻が新聞を

拡げますと、その上に載っかって、彼女の邪魔をしたりしました。

きっと、もっと遊んで欲しかったのだと思います。

 ごく小さい時、オシッコの際は、最初、女の子のような格好でした

が、或る日、右足を挙げて用を足した時は、思わず感動(?)して

しまいました。


 私が仕事で帰宅する度に、彼は、開け放たれたゲートから、一目

散に駆けて来て、キスの嵐で”大歓迎”してくれました。

 幼い頃の彼は、誰にも吠えたりせず、むしろダッコされたがった、

人なつっこい子犬でした。そんなわけで、番犬は無理でした。

 私が言うのも変ですが、その黒水晶のような愛らしい瞳が、会う

人々を魅了しました。

 散歩中、「可愛いですね!」と言われる度に、私は、まるで自分が

誉められたような気分で、思わず「有難うございます」と応えていま

した。つまり、私は、まったくの親バカ(?)でした。

 結構小さい時から、彼とは、遠距離を散歩しました。毎朝夕の散歩

は、私の健康のためにも最適でした。

 散歩中、救急車が通りますと、そのサイレンの音が、彼の遠い過去

の記憶を呼び覚ますのでしょうか、そのサイレンの音を聞くたびに、

彼は、遠吠えをするのです。それは、まるで、“僕も、ここに居るよ!”

と叫んでいるかのようでした。

 でも、その声の、何と愛らしく、可愛かったこと! その度に、私は、

「ター君、その声じゃ、仲間には届かないよ」とからかうのでした。


 多少大きくなった時、こんなこともありました。

ちょうど、駐車場のそばを通った時、近くの野良猫が、車の下で眠っ

ていました。

 すると、ターが、その子の直ぐ前を通ったのです。その余りの突然

さに驚いた猫は、急にび起き、何とターの体の上に乗っかってしま

ました。

 犬の上に猫が乗っかるなど、普段は、有り得ない光景です。でも、

ターは、短足長胴の体型上、猫にとっては、手頃の「踏み台」(?)

でした。

 今度は、驚いたのは、ターの方です。彼は、思わず「キャ―ン!」と

叫びました。

 飼い主も変わっていますが、それに飼われる犬の方も、些か変わ

ったところがあります。

 ”犬の世界広しといえど、猫に乗っかられた犬など、わが愛するター

ぐらいだ”と、私は、妙な優越感(?)を抱いている次第です。


 さらには、室内で、私が不用意に靴下を椅子の上に置いてい
ます

と、ターは、目ざとく、001 それを発見し、戦利品(?)

として、自分の物にしてしまいます。

 右の写真は、その時の、彼の得意気な様子で

す。(*ちなみに、これは、去年の写真です。)

  そんな彼に、異変が生じたのは、昨年の10月

でした。 【つづく】

 
 
後記)明日・水曜日は休みます。

 

 

 

2012年4月 9日 (月)

日本の美しさ(10)

 日本の桜は、何と美しいのでしょうか!

 私は、ハワイ(ホノルル)で、2年と1ヶ月間、留学生活ができま

したことを、心から感謝しています。

  私のハワイ生活は、その80%以上が、ハワイ大学の図書館に

籠(こも)ることでした。それは、私にとりまして、まさに至福のひと

時でした。

 ただ、一つだけ残念なことがありました。

 それは、当地で、桜を見られなかったこです。しかし、これを、

無いものねだり、というのかも知れません。

 とはいえ、日本人にとって、春に桜が見られない、あるいは、桜

に出会えない、というのは、非常に無念なことだと思うのです。

 それほどに、桜は、日本の”原風景”だという気がいたします。

 

 ちなみに、年のせいでしょうか、私は、今年の桜を、本当に美しい

と感じます。

 また、アメリカのワシントンの桜も、同国の人々に愛でられるとこ

を見ますと、まさに、桜には、”普遍的な美しさ”があるようです。


 私事ですが、アメリカの親戚を迎えてのパーティ後、私は、みんな

を、熊本城へと案内しました。

 本丸御殿にも参りましたが、Photo ジュリー以外、初

来日の彼らは、お城の桜の美しさに、とても感動

していました。 最初に訪れた福岡市内では、

だ咲いていなかったとのことです。


 私自身、ハワイの海を初めて見ました時は、沖縄を訪ねた時と同

様、たいへん感動しました。

 今度は、ロスに住むみんなが、初めて見る異国(厳密には、先祖

故国)の景色や風景の美しさに、それぞれに感じ入るものがあっ

ことでしょう。

 つまり、何気なく、日本では当たり前だと思える桜の美しさは、本来、

それを知らない人々の方が、余計に強く感じるのではないでしょうか。

そんな気がします。


 しかし、これは、”人間の絆”についても言えるのではないでしょうか。

例えば、日本のような、移民が余り多く見られない保守的で、比較的

安定した社会では、親族間の“絆”など、普段、余り話題になりません。

 これに対して、本来、移民国家であるアメリカなどでは、同民族や家

族・親族間での連帯感や連帯意識が強く、困難な事が有ると、必ず

結束します。



 事実、アメリカに住む人々は、総じてパーティ(集まり)が好きです。

よく家族・親族間で、「reunion(再会の集い)」ということで、パーティを

開きます。

 各自が、手製の料理を持ち寄って、それぞれに歓談し合うのです。

私共も、何度か、そのような集まりに招待されました。



 実は、今回のパーティの後、ジュリーの夫ハーヴィが私に、9年前の、

ロスでの親族の集まりの写真だと言って、そのコピーを手渡してくれま

した。

 それは、10家族余り、33人が集合したものでした。中には、何と白人

姿も見られました。

 ジュリーたちの親族ということは、彼らは、私の親族でもあるのです。

その中には、白人も、中国系アメリカ人も、さらには、韓国系アメリカ人

もいたのです。

 つまり、自分を、純粋(?)な日本人だと思っている私自身、現実の、

”広い意味での血縁”では、一般のアメリカ人や中国人、さらには韓国

人とさえ繋がっていたのです。

 私は、その事実を正視しなければなりません。

 また、そこにこそ、われわれの「ファミリー・ツリー(家系図)」の妙味

が有ります。


  ところで、この前、私は、さくらには、二つの「美しさ」がある、と書き

ました。つまり、「」の美しさと、「全体」の美しさです。 

 前者は、一輪の花びらが、それを表現しますし、後者は、樹木全体

によって表されます。

 しかし、これは、人間についても言えましょう。

つまり、われわれ一人一人が、一枚の”葉っぱ”であると同時に、みん

なが共通して、大きな樹木に繋がっています。まさに、ファミリー・ツリー

の一部を形成しているのです。すなわち、「」と「全体」の二面性があ

るわけです。

 そこでは、”One for All , and All for  One (一人は、すべての

ために、すべては、一人のために)”なのです。

 サッカーや野球などのスポーツなどでは、よく使われる言葉です

が、これは、人間生活全般についても言えるのではないでしょうか。


 それに、これは、少しこじ付けのように聞こえますが、私は日本

の美しさは、この「個」と「全体」の美しさの調和に在るように思う

のです。

 とりわけ、この二つの美しを調和的に知ることを通して、私たち

は、日本の美しさの鍵をることになるのではないでしょうか。

 【つづく】

 

 

 

2012年4月 7日 (土)

日本の美しさ(9)

 率爾ですが、皆さんは、「ファミリー・ツリー(家系図)」に興味を

持たれたことは、ありますか?

 また、最近、映画をご覧になりましたか?

私は、60歳を過ぎ、「シルバー料金」の恩恵にあずかれる身なの

すが、正直、このところ、映画は観ていません。 

 幼少年期は、祖父に連れられて、よく映画を観ました。また、

大学時代などは、一週間に2~3回、観ていた記憶があります。


 ところで、今年の第84回アカデミー賞の「作品賞」には、フランス

映画の「アーティスト」が選ばれました。

 インターネットでの予告編を見た限りですが、主演のジャン・

デュジャルダン演ずるジョージ・ヴァレンティンは出色です。

 同時に、ジャック・ラッセル・テリア、アギーの演技が、これまた

素晴らしいです。彼は、一種の天才犬だと思います。


 ところが、その他の有力な候補作に、ジョージ・クルーニー主演

「ファミリー・ツリー(家系図)」が有りました。

 同作品は、ハワイを舞台にした、実に興味深い名品です。

 この予告編の最後の言葉に、「ファミリー・ツリー、それは、

大地に根を張り、受け継がれる、家族の系譜」とあります。

 なぜ、この「ファミリー・ツリー」を冒頭に出し、また話題にするか

申しますなら、今回の親戚来日・来熊で、私自身、「ファミリー・

ツリー」の問題に無縁ではいられなくなったからです。

 ジュリーからのメールでは、従兄のデーブが最近、われらが親戚

「ファミリー・ツリー」を製作中とのことでした。

 実は、ジュリーやデーブたちの祖母と私の母は、24歳の差の

長姉と末妹です。その間に、母にとって四人の姉と一人の兄が

います。その兄は、ブラジルへ渡り、同地で活躍後、75歳で瞑目

しました。

 デーブは、ブラジルとの連絡もついていたようで、日本国内の

親戚(それも、母系だけでなく、父系も)の「ファミリー・ツリー」を、

しきりに知りたがりました。

 

 移民国家アメリカでは、「ファミリー・ツリー」への関心も高い

でしょうが、日本では、よほど歴史好きな人でもない限り、余り

興味の持てることではないような気がします。

 それに、親戚間でも、交流のある所もあれば、そうでない所も

あります。私共は、後者のような気がします。それに、案外、祝い

事と法事だけが、親戚の唯一の集いの場というのが、今日の正直

な有り様です。

 そんな中で、私は今回、伯母たちの生年や物故した年などを、

個々別々に確認しなければなりませんでした。その確認は、それ

ぞれの家族構成にまで及びました。


 ここまで書きましたのは、決して自らの努力をひけらかす意図が

あってのことではありません。

 むしろ、これを機に、私は、先祖や親戚のことを、より具体的、かつ

より深く知ることができました。そのことに、心から感謝しています。


 移民国家アメリカに生きる日系アメリカ人は、厳しい歴史を生きて

きたと同時に、どこかで、自分のアイデンティティ(自己同一性、ある

いは、自己の存在証明やその証〔あかし〕)を求めているような気が

します。

 われらがデーブの場合、93歳の老母が余命いくばくも無いことが、

この思いに拍車をかけたことでしょう。

 実は、その確認の過程で、私は、余り人様には知られたくない、

親戚の非道ささえ、彼に伝えなければなりませんでした。


 しかし、フランクな日系アメリカ人の良さは、そのような不合理や

不条理を真正面から受け止め、冷静に受け止める豪胆さにありま

した。

 換言しますなら、彼らは、我らが親族の良い面もそうでない面も

公平に受け止め、その中で、自らが依って立つ位置づけや意

けをするのです。

 また、そこにこそ、家族や親族の「歴史」を見出そうとする真の姿

があります。


 少し飛躍した議論になるかも知れませんが、今日の日本人は、

自分の家族や親族の「歴史」に無関心であると同様、日本国その

ものの”正当なる歴史”に対しても無関心なのではないでしょうか。

 今回、デーブが私に与えたミッションは、時には、酷くハードに感じ

られましたが、私に深い反省の機会を与えてくれました。


 つまり、日本の歴史を愛し、その正当な歴史に深い関心を寄せて

こそ、私たちは、日本の本当の素晴らしさ、また日本の美しさ

発見できるのではないでしょうか! 【つづく】

 (後記:明日・日曜日は休みます。)

 

 

 

2012年4月 6日 (金)

日本の美しさ(8)

 熊本の桜は、今が見頃です。所々、すでに葉桜になったところも

有りますが、それでも、青空をバックに、美しく咲き誇っています。

 明日(週末)あたりは、きっと夜桜の花見客で賑わうことでしょう。

つい、「祇園をよぎる桜月夜(づくよ) 今宵会う人 みな美しき」と

いう、与謝野晶子の歌を思い出します。


 ところで、まことに唐突ですが、1963(昭和38)年という年は、

皆様にとりまして、一体、どんな年だったでしょうか?

 1963年と言えば、あの「東京オリンピック」の前年です。

無論、この年の後に生まれた方々にとりましては、全く無縁の、

単なる「過去の年」に過ぎません。


 私事ですが、1963年は、私の生涯におきまして、まことに忘れ

られない年でした。

 先ず、何よりも、度々申しますように、この年は、ジョン・F・ケネ

ディ大統領が暗殺された年です。

 また、同年は、私が慕っていた母方の祖父が、83年の生涯を

閉じた年でもありました。その命日は、4月7日の、桜の美しい頃

でした。

 祖父が瞑目した前夜、家族全員が、実に深い眠りに陥ったことを、

今も思い出します。

 さらに、秋頃だったでしょうか、アメリカ(ロス)に住む従兄(とは

しましても、私より26歳も年長です)が、来日・来熊した年でした。

 ちょうど、私が中学2年生の頃で、当時、習いたての英語、

I’m glad to meet you.(お会いできて、嬉しいです。)」を、

はにかみながら伝えたことを、懐かしく思い出します。


 すでに、その時の彼(サムさん)は、鬼籍に入られましたが、今回

は、彼の息子ボブ(歯科医師)や娘ジュリーの家族を中心とした8名

の日系アメリカ人が、来日・来熊いたしました。 ジュリー以外は、

初めての来日・来熊でした。

 年齢層は、ボブの娘夫婦アンとアレックスの20歳台を除けば、大体

が、60歳台でした。初めての日本、初めての熊本を、とても楽しみに

してくれていました。

 先月の30日(金)、ちょうど1週間前に、彼らは、初めて熊本を訪ねて

くれました。その彼らに対して、県内や東京に住む17名の親戚が、

熊本駅近くの全日空ニュースカイ・ホテル内で迎えました。


 実は、ジュリーやボブの妻・テレサ(私立小学校の養護教諭)との

メールやファックスの交信は、すでに1月から始まっていました。

 テレサが、「おげんきですか? いま さむいになりましたね」と、

努めて日本語で記す言葉には、頭の下がる思いがしました。

 その彼女が、私に求めたのは、「全員でのお墓参り」でした。

幸い、私たちが参拝しています先祖のお墓は、ホテルから、車で

15分ぐらいの所にありました。

 彼女は、タクシーに分乗してでも参るつもりだったようです。でも、

ホテルに、事情を話しますと、迎えのマイクロバスを、お墓へと走ら

せる手配をしてくれました。


 実は、お墓の中には、ジュリーやボブの(父方)祖母の遺髪が

埋葬されていました。

 妻が用意したストックの花を、各自、一本ずつ献花しました。

 テレサが、「写真を撮ってもいい?」と訊ねたものですから、私は、

「勿論、どうぞ!」と答えました。

 その後は、お墓の前での記念撮影です。その時の、みんなの

明るく快活な笑顔が、数枚の写真に収められました。

 お墓の前で、みんなが明るく振舞ったのは、日本では、考えられ

ない風情(雰囲気)でした。

 しかし同時に、私は、ロスで、サムさんたちのお墓に参拝した時

の、あの何やら明るく清々しい気分を思い出しました。

 途中、テレサは、墓碑銘に在る祖父母の名前を、丁寧に書き留め

ていました。

 
 正直、私は、彼らが参ったお墓に、月に1度(一時期は、2度)、

参拝しています。

 お墓参りは、些か辛気くさいイメージが有りますが、参った後の

気分は、実に清々しいものです。 それは、何物にも代えがたい

”快感”でもあります。


 私のタイトルに即して、言葉を結びますならば、
日本の美しさ、

それは、先祖を敬う、私たちの心の中に在るのではない

でしょうか

 それを、実に、思いがけない形で、アメリカの親戚たちが、私に

教えてくれました。

 そのことを、心から感謝しています。 【つづく】

 

 


 

 

2012年4月 5日 (木)

日本の美しさ(7)

 今春は、思いがけぬ”春の嵐”が、日本全国を駆け巡りました。

未だ、その影響下にある地域も有りましょう。

 様々な形で被害に遭われた方々に、衷心より、お見舞い申し

上げます。

  ( 因みに、今回の「異常気象」につきましては、井口和基博士が、

非常に興味深いブログ〔=レポート〕を展開しておられます。

 「3.11」を予知した科学者らしく、たいへん説得力のある名論

卓説です。 

 右の、リンク集から同氏のブログに繋がりますので、是非、

ご高覧いただければ、と思います。)


 ところで、かつて、清少納言(966?~1025?)は、『枕草子』の冒

頭に、「春はあけぼの」と記しました。

 この言葉は、「やうやう白くなりゆく山ぎは 少し明りて紫だちた

る雲の細くたなびきたる」と続きます。

 つまり、「だんだんに白くなっていく山際が、少し明るくなり、紫

がかった雲が、細くたなびいているのが、よい」となります(現代

訳 Wikipedia 参照)。

 清少納言が、自作の冒頭に記すほどに、”日本の春”は、実に

美しく感動的なものです。


 日本各地の桜も、あるものは満開となり、また散り始めたかと

思う一方で、まだ蕾の所も有りましょう。

 今春は、特に突然の嵐や雨風で、すでに散り始めた桜もありま

すが、中には、この厳しい風雨にもめげず、健気にも散ることなく、

じっと耐えている桜も有ります。

 私は、今年の桜に、単に美しさだけでなく、“力強さ”も感じま

した。そう、美しさは、”力強さ”でもあるのです。


 この
“力強さ”は、東日本大震災に遭遇された方々が、復興を

目指してご奮闘なさる姿にも見られます。

 また、現下の厳しい経済状況下、”生き残り”をかけて粉骨砕

身なさっておられる中小企業主の方々にも見られましょう。

 今日の日本は、このような被災者の方々や中小企業の方々の、

たゆまぬ努力によって支えられています。

 決して、政治家や官僚、それに大企業家たちによってではあり

ません。

 正直、このような名も無き方々の努力や精励によって、今日の

日本、とりわけ今日の美しい日本があると思うのです。


 それゆえ、私たちは、このような方々こそ大切にしなければなら

ないと思います。

 日頃のたゆまぬ努力や精進で、世界にじゅうぶん通用する技術

を持ち、超一流の製品を製造している中小企業が、日本各地で

られます。

 実際、その創意工夫や技術力の質の高さは、他国の追随を許さ

ないものがあります。

 この日々の創意工夫や「質」の高さこそ、日本の美しさの土台で

はないでしょうか。

 今後、それが、崩れるようなことがあってはならないと思います。

むしろ、積極的に守られ、支援されなければなりません。

 換言しますなら、「日本の美しさ」を支えるもの、それは、名も無き

方々の、日々の努力や創意工夫だと思うのです。


 私事ですが、先月末、アメリカ(ロス)に住む親戚が8名、来日・

来熊いたしました。

 この一週間は、その接待や案内などで、些か多忙な毎日でした。

これに就きましては、また明日、書かせて頂きたいと思います。

 【つづく】


 森山直太朗氏の名曲「さくら」を、どうかお楽しみ下さい。

   You Tube・森山直太朗氏の「さくら」

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