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2012年4月14日 (土)

日本の美しさ(完)

 私は、日本に生まれて、本当によかったと思います。

私事ですが、母の言では、私が62年前に生まれた時、私の左脚の

外側に、ほんの小さな痣(あざ)が有ったと申します。正直、今は、

それが、だいぶ大きくなりました。

 本来、赤ちゃんの肌は無垢で美しく、痣など有り得ないとも言い

ます。母は、それを見た瞬間、”この子は、前世で、たいへん惜しま

れて死んだ子の生まれ変わりだ”と感じたと言います。

 さて、その実際は、分かりません。

 でも、これに似た話は、ラフガデオ・ハーン(小泉八雲)の『怪談

の中にも見られます。確か、「力馬鹿」という物語でした。

 事実、私たちは、数限りなく、生死を繰り返しているのかも知れま

せん。しかし、その一課程で、現代の日本に生まれたことを、私は、

心から感謝しています。


 東北や北海道では、今からが、桜の季節です。でも、熊本では、

すでに桜は散り始め、その多くが、葉桜になっています。

 すでに、当地では、ハナミズキやツツジの季節に変わろうとして

います。

また、樹々の新緑が、たいへん美しく感じられる今日この頃です。

このような日々の風景の変化や循環の中に、日本の美しさが感じ

られます。

 実家の庭でも、白いリキュウバイや赤紫の花周防が、実に美しく

咲き誇りました。

 これからは、シランや牡丹、それに芍薬の季節です。無論、薔薇の

存在を忘れてはなりません。

 植物は、本当に心の慰めとなります。日本人は、イギリス人に負け

ないくらい、様々な植物を愛します。その心の中にまた、日本の美しさ

が垣間見られます。


 
ところで、日本には、「花筏(いかだ)」という言葉があります。何だ

ろうと思いましたら、桜の花などが、川面を流れていく風情を、そう

表現するそうです。実は、最近、家内から教わりました。

 この他にも、数限りなく美しい言葉が、日本には有ります。

例えば、私たちが何気なく使っていますさようなら」も、実に美しい

言葉なのです。


 事実、「『さようなら』は、世界で最も美しい別れの言葉です」、と

た、著名なアメリカ女性がいました。

 それは、「翼よ、あれがパリの灯だ」で有名なチャールズ・リンドバ

ーグ氏の奥様です。

 確かに、「さようなら」には、尽きぬ”惜別の思い”が込められてい

ます。

 「さようなら」という言葉の真意は、”私は、あなたとはお別れしたく

はないのですが、左様(あなたは、お発ちになるの)ですか、それば、

仕方ありませんね”というものです。

 まさに、別れを惜しむ、実に優しい言葉と言えます。私たちは、こ

の言葉の真意を理解することなく、何気なく使っています。

 「別れ」に対して、さっぱりしていることもいいでしょうが、惜別の余

や余韻も大切にしたいものです。

 その意味で、「さようなら」は、たいへん含蓄のある素晴らしい別れ

の言葉だと思うのです。

 また、それは、とても美しい日本の言葉の代表的なものなのでは

ないでしょうか。


 先日、久し振りに、英語(厳密には、米語)のシャワーを浴び
て、

まさに目の覚めるような思いがいたしました。

 言葉や「会話」は、やはり毎日馴れ親しんでいなければなりません。

でも、今回、私は、その語感・語調からして、英米語と日本語とは、

明らかに異なる、と感じました。

 英米語は、常に「イエスかノー」かで、”理”によって、言葉を展開

します。

 これに対して、日本語は、決して、「イエスかノー」かばかりではなく、

その間に、実に様々なニュアンスがあります。言うなれば、時に、安直

「イエスかノー」かでは答えられない時があるのです。

 つまり、”言外の言”や情、さらには「あうん」の呼吸のようなものが、

幅を利かします。

 そして、端的に言って、英米語は、”戦うための言葉”、日本語は、

”和合するための言葉”なのではないかと思います。

 それゆえ、私たちが、別段、英米語を流暢に語れなくても、何ら

恥ではないと思うのです。

 むしろ、日本語を正しく使い切る方が、よほど大切なのではない

でしょうか。

 
 また、言葉の美しさは、心の美しさの反映なのだと思います。

今日のテレビを観ておりましたら、「世界番付」という番組があり

ました。

 その中で、路上で少女が悲しそうに泣いているのに対して、

一時間のうち、一体、何人の人が、彼女に声を掛けるだろう?

というものがありました。

 一種の「ドッキリ」なのですが、番組の狙いは、至極まともなもの

でした。その結果によりますと、フランス人が9人、ドイツ人が8人、

ブラジル人が5人、ナイジェリア人が4人とのことでした。

 では、フランス人が一番多かったのかと思いきや、実は、日本人

が14人で、フランス人たちを凌いだのです。

 決して、「自画自賛」というわけではないですが、日本人の本来

持っている優しさ、思いやり、繊細な心遣いなどが明らかになった

のです。

 日本人も、決して捨てたものじゃない、というのが、その番組から

感じた感想でした。

 
 つまり、
日本の美しさ、それは、先ず日本の言葉の美し

によって齎されるものです。

 そして、その言葉の美しさや、その本質的な美しさは、日本人の

心の美しさによって形づくられるものです。


 
それに関して、私は、一人の女性の言葉を思い出します。

彼女は、昨年の東日本大震災で被災し、避難所生活を余儀なく

されている方でした。

 実は、記者のインタビューに対して、彼女は、こう答えました。

「私の所は大丈夫ですから、どうか、他の方の援助をして上げて

ください」と。

 この言葉を聴いた途端、私は、心から感動しました。

多分、彼女自身、家族を亡くされたかも知れません。あるいは、

御宅を流されたかも知れません。それゆえ、どれほど淋しく、

かつ悲痛な思いであったことでしょう。

 でも、たとえ、どんな窮状であったとして、先ず”他の方の支援

を!”と訴える、その彼女の姿、彼女の心に、私は、真に美しい

日本人見る思いでした。


 日本の美しさ、それには、様々な形の美しさが有りましょう。

しかし、その最も根本的な美は、何よりも祖国日本を愛し、

同胞を敬う、人の心の美しさの中に在ると思うのです。 【了】

 

 

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