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2012年3月 6日 (火)

日本人の使命は、「菩薩道の実践」

 昨年、12月1日付の拙ブログで、私は、「日本の天命」とは、「ア

メリカからの独立・自尊と中国との平等・互恵だ」と書きました。

 無論、中国に対してだけでなく、いかなる国々との間でも、日本

は、常に”平等・互恵”の精神で関わるべきでしょう。

 私は、また”人類の救済こそ、日本の天命だとも記しました。

少し大袈裟に聞こえるかも知れませんが、正直、私は、そう思うの

です。

 

 端的に申し上げて、日本の天命は、即、日本人の使命なのでは

ないでしょうか。

 真実、私は、日本人の使命とは、様々な形での菩薩道の実践

あると思います。

 「菩薩道の実践」などと言えば、”何と古風なことを!”と思われ

かも知れません。

 

 しかし、昨年の東日本大震災の後、私たちは、無心で被災者の

方々や彼らのペットたちのために尽くした、多くのボランティアの

方々のことを知っています。

 彼らは、今でも、様ざまな分野で、活躍しています。このような

無心・無償の“人助け”の中にこそ、日本精神の原点があると思い

ます。また、それこそ、菩薩道の実践”とも言える姿があると思う

のです。

  

 仏陀は、「慈悲」を説いたと言われます。「慈(いつくしみ)」とは、

人に喜びを与えることです。また、「悲(あわれみ)」とは、人の悲し

みを、取り除いて上げることだと言われます。

また、イエス・キリストは、無償の「愛」を説いたと伝えられています。

 

 しかし、仏陀は、Photo_2  むしろ”慈悲そのもの”だった

のではないでしょうか。

 また、イエスも、”愛そのもの”だったのではないで

しょうか。

 でも、これは、決して彼らだけや、選ばれた人々

だけに出来ることではなく、それこそ、すべての

人々に、そのように生き抜く可能性があると思う

です。

  

 仏陀は、様々な教説を説いた方ですが、私が、とても心に残って

いるエピソードは、彼が、病(やまい)に臥すお弟子を、自ら看護し

たという、何気ないお話です。

 

 また、これは、実話ではないかも知れませんが、次のような

エピソードもあります。

 仏陀が、布施(=施し)の大切さについて説教をしていた時に、

一人の子連れの寡婦が進み出て、仏陀に、こう問いました。

 「私は、貧しくて、何の施しもできません。そんな私でも、何か、

人に施しが出来るでしょうか?」と。

 すると、仏陀は、こう問い返します。

 「あなたは、人に、微笑んで上げることは出来るか? また、

人に優しい言葉を掛けることは出来るか?」と。

 すると、その女性は、喜びつつ、こう答えます。

 「そんな事なら、私にも出来ます」と。

 これに対して、仏陀は、こう答えます。

 「これは、『和顔愛語』といって、大事な施しの一つであり、

大切な慈悲の道でもあります。それを、大切になさい」と。

  

 すると、今度は、醜い老婆が出てきて、こう訊ねます。

 「この通り、私は、貧しく、醜い老婆です。言葉を発したくても、

しわがれた声で、人に不快を与えるだけです。

 また、笑おうにも、この通りのシワシワの顔ですので、満足に

微笑むことも出来ません。そんな私でも、人に何か、施しが

出来るのでしょうか?」と。

 さて、これに対して、仏陀は、一体、どう答えたでしょうか?

 仏陀は、その老婆に、こう尋ねます。

 「あなたは、涙を流すことが出来るか?」と。

 すると、その老婆が、勇んで答えます。

 「えぇ、涙を流すことは出来ます。悲しい時にも嬉しい時にも、

自然と、涙は出ます」と。

 この言葉を受けて、仏陀が答えます。

 「それなら、人が悲しい時には、共に涙を流して上げなさい。

また、人に嬉しい事があったら、共に涙を流し、喜んで上げなさ

い。これは、”随喜の涙”といって、たいへん大事な施しであり、

慈悲の道でもあるのです」と。

 

  仏陀は、たいへんな権威や威厳が有ったにも関わらず、決して

「上から目線」ではなく、むしろ、常に弟子や民衆と”同心”になる

ことができたのではないでしょうか。

 その意味で、”慈悲”の原点とは、”私も、あなたと同じ、罪多く、

迷い多い存在なんだよ”という共感意識のような気がします。

 

 それと同じく、”菩薩道”というのも、決して「上から目線」の選民

意識ではなく、むしろ、自らを「凡夫」とみなす謙遜で、囚われのな

い、極めて自由な思念だと思うのです。

 

 このような謙虚で、囚われの無い“共感意識”を持った、現代の

菩薩が、日本国内の至る所におられるのではないでしょうか。

 次回(明後日)は、そのような方のお一人について、語りたいと

思います。

 後記: 明日(水曜日)は休みます。

 

 

 

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