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2012年3月10日 (土)

谷口巳三郎氏のこと(3)

 谷口氏は生来、誠実、勤勉な人物だったと思います。

ある意味で、同氏は、日本人の「原型」、あるいは、「理想型」や

「理念型」とさえ言えるのではないでしょうか。

 谷口氏の美徳は、誠実・実直・勤勉・正義感・不屈の闘志や信念、

それに信仰心など、色々なものが有りましょう。

  

 そのような美徳の真価は、様々な苦難や困難の中で試され、かつ

磨かれます。

 事実、鹿農(現在の鹿児島大学農学部)を卒業した後の谷口氏の

人生は、決して生易しいものではありませんでした。

 その点について、沖村氏は、次のように記しています。

 

 「鹿農卒業後、谷口は、長野県の八ヶ岳にある(財)農業実践大学校で、 

本格的な百姓になる勉強をする。

 夏期休暇には、東北各県の農民道場(現在の農業大学校)を歴訪

した。谷口らしい研修である。

 その中で彼は、『農業の指導者は自ら鍬と鎌を握り、それで飯をえて

始めて大口がたたけるものだ』と自得した。

 この信念は、以後、谷口の農民指導・農村開発のバッボーンとなる。

 八ヶ岳の農業実践大学校を卒業した谷口は、熊本県の農業改良

及員となり、農村青年教育と4Hクラブの指導に情熱を傾けた。

 *4Hクラブとは、よりよい農村、農業を創るために活動している組織

のこと。

 4Hとは、Head(頭)、Heart(心)、Hand(手)、Health(健康)の

4つの頭文字で、四つ葉のクローバーをシンボルとする。

                           (Wikipedia 参照)〕

 

 しかし、公務員生活を五年ほどで辞め、熊本県菊池郡泗水(しすい)

花房飛行場跡の開拓地に入植、農民としての第一歩を踏み出す。

昭和二十九年、三十一歳の時である。

 強酸性の火山灰の痩せ地での農業は難しく、ここでドン底生活を体

験する。

 その頃の日本農業は、苦境のドン底でもがいていた。農村を立て直

す方策が、国にも、農民にも、見えなかった時期である」と。

 

 

 確かに、昭和30年頃、日本国内では、「もはや、戦後ではない」という

言葉が流行りました。

 ごく大まかに言えば、戦後復興の過程で、「都市化」や「工業化」が急

激に進み、それに伴って、農村から大都会への人口移動が激しく進行

した時期でした。

 換言しますと、農・林・水産業などの第一次産業が、ある意味、”放置

された”時期だったのではないでしょうか。

 

 実際、1964年の東京オリンピックや東海道新幹線、それに主要な高

速道路の建設を前にして、地方の若者たちが”金の卵”と持て囃され、

大都会へ大都会へと吸い込まれて行った時代でした。

 そんな時代背景の下、地方の農村や農地が、どこか、”見捨てられた”

ような社会的イメージがありました。

 そんな中で、谷口氏に、ある転進が待っていました。それは、”デンマ

ークへの留学”です。

 沖村氏は、続けます。 

 

 谷口の頭に閃くものがあった。少年時代から大の読書家だった彼は、

鹿農時代に内村鑑三本を熟読していて、北欧の小国デンマークが

世界農業の模範になっていることを知っていた。

 「よし、デンマークへ行こう!」―

昭和三十三年、国際農友会の派遣研修生としてデンマークへ渡る。

三十五歳の時である。

 彼は、夏は農場で働き、冬は全寮制の国民高等学校で精力的に研修

した。余暇を見つけては、ノルウェー等の北欧諸国をも見て回った。

 二年のデンマーク留学を終えて帰国し、菊池伝習農場に復帰する。

その後、昭和五十七年、定年で退職するまで、ここで若い農業後継

育成に専念した」と。

  

 谷口氏が鹿農時代に読んだ内村鑑三の著書『デンマルク国の話』副題

は、「信仰と樹木とをもって国を救いし話」です。

 同著では、単に農業や植林の重要性だけでなく、むしろその基礎と

なる国民の「信仰」の大切さが説かれています。

 また、本著は、「講演」の形で説かれたものを、印刷物にしたものです。

 

 本著の内容についての説明を、少しさせて下さい。

 1864年、日本が、まだ明治維新を迎える前、デンマークは、プロシア

(今日のドイツ)とオーストリアの連合軍と戦いましたが、善戦空しく、

敗北しました。

 その代償は、南部最良の州シュレスウィヒとホルスタインの割譲で

した。

 多くのデンマーク国民は憔悴し、明日への希望を失いました。若者

たちも、勢い自暴自棄になりました。

 しかし、当時、36歳だった工兵士官ダルガスだけは違っていました。

彼は、デンマークの半分以上を占める不毛の大地ユトランドに植林

することを思い立ちました。

 最初は、なかなか方途が見つかりませんでしたが、彼は、ノルウ

ェー産の樅(もみ)とアルプス産の小樅を、並び植えることで、ある

種の希望を見出しました。

 しかし、それだけでは、樅は、充分に育ちませんでした。

それで、ダルガスは、成長した息子の知恵も借り、小樅が育ち切っ

段階で、敢えてそれを切り倒し、ノルウェー産の樅だけの成長

促しました。

 すると、それらが林を形成し、その地域の気候を、今までより、はる

かに温和にしました。それに伴い、様々な野菜や穀類の生産を促し、

さらには畜産まで発展する結果となりました。

 つまり、ダルガス親子、また彼らを信頼したデンマーク国民は、国

の荒地を改造することで、まさに失地を回復したのです。

  

 この史実は、アメリカに負けた日本の国力回復にとって、たいへん

参考になるものでもあります。

 とりわけ、内村の言葉「戦いに敗れて精神に敗れない民が真に偉大な民で

あります」は、まさに、その後の日本の敗戦を予知・予言し、かつ力づけて

いたような響きさえ感じます。

 谷口氏自身、この内村の精神を体得し、かつ著書から、様々な事を

学んだことでしょう。 【つづく】

 (後記: 明日・日曜日は休みます。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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