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2012年3月27日 (火)

日本の美しさ(6)

  何と言っても、「日本の美しさ」は、富士山を除けば、さくら

に代表されるような気がします。

 東北、北海道以外では、 これからが、本格的な桜の季節です。

各地で、桜の「開花宣言」が聞かれます。

 かつて、在原業平(825~880)は、「世の中に たえて桜の なか

りせば 春の心は のどけからまし」と詠みました。

 様々な解釈が可能でしょうが、この”桜のなかりせば”という思い

は、それほど強く桜に魅かれる心情を、彼は、たいへん正直に吐

しているとも思います。

 その”正直さ”では、彼の辞世も、たいへん心に残るものです。

彼は、こう詠みます。

 「ついに行く 道とはかねて 聞きしかど 昨日今日とは 思わざ

りしを」と。



 このように、死に直面した感情を、彼は、たいへん素直に披歴し

ます。齢 55―。

 今では、若死にの部類に属しましょうが、9世紀頃の日本では、

それなりに長生きだったのかも知れません。

 確かに、藤原道長は、61歳、その子頼通は、82歳ではありますが。―

唯、庶民を交えて平均値をとりますと、それなりの高齢だったと思わ

れます。

 しかし、その年齢に関係なく、在原の”昨日今日とは思わざりしを”

と嘆じる、その素直さが、私は大好きです。

 人間、死の直前まで、迷い苦しむものなのではないでしょうか?

 人間は、幾つになっても迷い苦しむ身ではありますが、それゆえに

こそ、純一無雑なる春のを、とても美しく感じます。

 また、この美しいを、一体、いつまで見ることができるだろうか?

という思いにさえもなるのです。

  ところで、桜の花には、「二つの美しさ」が有るのではないでしょ

うか。それは、「」の美しさと「全体」の美しさです。

 日本人は、年を経ると共に、しみじみと桜の美しさに魅せられる

ような気がします。

 無論、自分がそう感じるから、みんながそう感じるとは限らない

でしょうが、私には、日本人の「集合無意識」ならぬ「集合意識」の

中に、そのような共通意識や共通思念が有るように思うのです。

 勿論、桜の花の美しさにも、様々ありましょう。三、四分咲きの桜

を愛らしく感じる人もいれば、満開に咲き誇る姿に感動する人もい

ましょう。或いは、ひらひらと散りゆく風情に感じ入る人など、実に

様々です。

 私は、散る直前の満開の桜が青空に映える姿が、最も美しく感じ

られます。

 事実、散る花びら一つ無く、まるで”時が止まった”ように思える

瞬間があります。

 その桜が青空をキャンバスとして、様々な色合いの中に光り輝く

のです。その一瞬、私は、思わず息を飲みました。

 桜は、単に花びらだけでなく、根も幹も枝も、その中身は、全く

同じ「桜色」だといいます。つまり、樹木全体で、花の美しさを支え

ているのです。

 言い換えれば、花びらという「」の美しさと、樹木という「全体

の美しさです。

 ”表現者”の美しさと、控え目な”黒子”の美しさ、つまり、目に見

える美しさと、目に見えない美しさ―。

 桜の花は、この「二つの美しさ」によって支えられています。

 どうか、下の「You   Tube」を、お楽しみ下さい。【つづく】

 (後記:誠に申し訳ありませんが、私事にて、明日より、来週の

      水曜日まで休筆いたします。)

桜の「You Tube」  

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