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2012年2月11日 (土)

ブログ復活のご挨拶

    読者の皆様へ

  皆様、お元気でしょうか?
 たいへんご無沙汰いたしております。

 
  先月10日(火)に、”「オバマ政権の実像(17)」に代えて”を書いて、ひと月が経ちました。
 あの原稿を公にした直後、ココログから得られた返答(?)は、”原稿(18)の消失”といったものでした。

  その余りにも徹底した対応ぶり(=実質的な嫌がらせ)に、私は、思わず苦笑してしまいました。
 正直、”やってくれたな”という思いでした。
  
  多分、この原稿の意味するものは、”原稿(19)の消失”でしょう。
 そして、次の原稿の公開は、きっと”原稿(20)の消失”へとつながりましょう。
  つまり、原稿(16)~(20)までの五篇が、綺麗さっぱりと無くなってしまうことでしょう。
  

  この五篇は、本年の元旦に、下書きとして、まとめ書きしたものです。(「下書き」とは申せ、
 無論、推敲後、清書したものです。その分量は、原稿用紙にして、40枚ほど有ったでしょうか。)
  それが、すべて、水泡に帰してしまったわけです(*厳密には、今、現在、かなり大きな確信を持った
 予想として。・・・)
  でも、私は、決してヘコタレません。

  実は、元旦は、私の「誕生日」でした。
 私は、決して欲張るつもりはありませんが、何故か、誕生日を、「二つ」持っています。
  私事ですが、実際、この世に生を受けたのが、1949(昭和24)年の12月28日です。
 しかし、戸籍上の誕生日は、1950(昭和25)年1月1日になっています。
  実は、この日は、父方の祖父が瞑目した日です。
 つまり、何故か、祖父の命日が、私の誕生日となりました。
 

  正直、多少、腰を痛めながら書いた、この誕生日の拙稿が、すべて水の泡となりました。
 今年の誕生日、ココログのスタッフは、私に、生涯忘れ得ぬ記念すべきプレゼント(?)を、
 贈ってくださいました。
  後年、自分が最後の息を引き取ります時に、きっと、この事を、私は、懐かしく思い出すことでしょう。
 その意味では、ココログのスタッフに感謝しています。

 
  この言葉は、決して負け惜しみではありません。
 正直、私のこの文章自体は、明らかに”皮肉っぽい(?)”内容です。それは、認めます。
  しかし、今、私の心の中は、思いの外、清々としています。
 正直、先回、嘆じた程の、人を難ずる思いは、今は、有りません。
  唯、「事実」を事実として捉え、自分にできる限りの文章表現が出来ればよい、と考えています。

  とは申せ、皆様の中には、”今回は、何故、字体が小さいのだろう?”と怪訝に思われるかも知れません。
 今回、実は、ココログの方々に、”この大きさでしか書けない”ように、手を加えられました。
 また、”色の着色も不可能”となりました。
  ココログの方々は、私の書く文章が、余程、不快なようです。

  でも、”悪さ”をされればされるほど、反抗心を燃やすのが、われわれ九州男児(?)の特徴です。
 ココログのスタッフは、私の心に火を点けてくれました。まさに、火に油を注いでくれたわけです。

  
   ところで、ここに、一つの宗教的なエッセーがあります。 それは、次のようなものです。

                 ヒトヲ サバイテハ イケマセン

  「裁いてはいけません。 裁かれないためです。 あなたが裁くとおりに、あなたがたも裁かれ、
   あなた方が測るとおりに、あなた方も測られるからです。」(マタイ 7,1~2)
  
   ある時、この言葉が、私の眼前に、研ぎ澄まされた刃(やいば)のかたちで表われました。
  人を裁いてはいけない。自らも裁かれないために。人を測ってはいけない。自らも測られないために。
   これは、まことに聖言です。
   
   今まで、いかに度々、私は、心の中で人を裁いて来たことか。
  その度ごとに残ったものは、常に「不快感」以外の何物でもありませんでした。
   人を測ることにしても同様です。人を裁いて、人を測って、有意義で快いと考えたことは、未だかつて
  一度もありません。 

   それなのに、私は、どうして、こんな馬鹿らしい所業を、飽きもせずにやって来たことでしょう。
  いつも、「落とし穴」と分かっていながら、みすみす穴の中に落ち込んだのですから。

   神の現存を自覚し得る人は、人を裁く、人を測るといったことに頓着している暇(いとま)などないと
  思えるのです。
   真のキリスト者は、もし、仮に、そのような裁かれる人がいるとしても、彼らが神様から、よりよき人間性
  と愛徳を賜るように、彼らのために、ひたすら祈ることでしょう。

   ですから、私は、もう金輪際、人を裁いたり人を測ったり、少なくとも、そのような言辞を人にもたらすこと
  のないようにしたいと思うのです。
   もう、こんな不快感など、本当にこりごりなんです。

                        (『カトリック生活』 ドン・ボスコ社刊、「言葉の花束」より)

    実は、この作者は、「35年前の私」です。 当時の私の方が、今の自分より”悟っていた”のかな、
  と思ったりします。

   でも、この35年の間、私は、今回のようなことを、何度か体験いたしました。 
  どうも、性格上、私は、”長い物には巻かれろ”というタイプではなかったものですから、
  真の力を持たない上司から、度々、目の敵(かたき)にされました。
   実は、そのイジメ自体、そう多くはありませんでしたが、そのパターン(?)が、非常に似ているのです。
  そのせいもあって、今回の事を体験しつつ、私は、心の中で”笑って”しまいました。
   それも、先方を軽蔑する思いからではなく、むしろ、”人間のやることって、変わらないな”という、
  一種の諦観にも似た笑いでした。

   そんな思いの中で、今後、自分のやるべき事は何か?と考えてみますと、それは、やはり、”行為の継続”
  ということです。それゆえ、次の原稿から、また、元のテーマに復帰したいと思います。
   ココログ・スタッフの態度と行動は、ひと月前と、少しも変わりません。 
  それゆえ、無事に更新できるかどうかは分かりません。でも、できる限り、続行していきたいと存じます。 

   この度は、高橋敏男様やこはつ様始め、多くの方々から、たいへんなご心配を賜りました。 
  そのことを、心より感謝申し上げます。
  今後共、どうか、よろしくご指導・ご交誼の程、御願い申し上げます。
   

    今日は、「建国記念日」です。つまり、日本国の「誕生日」です。
   私は、この日を、本ブログの新しい”誕生日”にしたいと思うのです。

                                          渡邉良明 拝   
  

    (後記:明日〔2/12〕は、お休みいたします。)

  

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