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2011年12月 9日 (金)

わが思い出のパールハーバー(1)

 今から丁度、70年前の「真珠湾攻撃」の日、当時16歳の乙女だった私の母の心は、非常に沸き立っていたと言う。

 ABCD経済封鎖ラインの影響下、国内に漂う何とも言えぬ閉塞感から解放された思いだったようだ。

 しかし、あの日から、すでに70年。― あの出来事を思い出す人も、話題にする人も、国内では、余り見られなくなったように感じる。

 ノースウェスト機に搭乗後、ほぼ8時間後の窓越しに、初めてパールハーバー(真珠湾)を見た時の感動を、私は、今も忘れない。

 そこには、まるで真珠が阿古屋貝に守られている風情で、円形の入り江に囲まれた米国海軍基地の姿が、私の眼前に飛び込んできた。同時に、ちぎれた無数の白い雲が流れる光景も印象的だった。

 ”ここが、真珠湾か”と、私は、しばし、その光景に魅せられていた。すると、間もなく、機は着陸態勢へと入った。そこで目に入ったものは、赤土の島だった。ホノルル国際空港だ。

 その赤い土を見た時、私は、どこかで見た土の色だと感じた。”そうだ、沖縄だ。” だが、そこは、沖縄以上に赤い土だった。

 その日は、1993年8月26日だった。妻と私は、博多からの直行便で飛び立ったが、普通に考えると、機は東、あるいは北東の方向に向けて飛ぶように考えがちだ。

 だが、実際は違った。乗機は、日本をほぼ真っ直ぐに北上し、まさにアリューシャン列島の方へと飛んだ。そして、ある時点で、南下するコースをとったのである。地球の自転を考えると、それが、最も効率のよい航路のようだ。

 後で知ったが、70年前の真珠湾攻撃の日も、アリューシャン列島から南下するコースだった。

 

 ところで、ハワイ大学で客員研究員として研究生活を送っていた1995年9月(3~4日)には、戦後50年を記念して、「日米退役軍人(とりわけ「真珠湾」関係者)・友情と平和の集い」が、ホノルル市内で開催された。

 私も、同大学内のマツナガ平和研究所の一員として、翻訳業務に携わった。

市内のパンチボウルに用意された舞台の上で、日米両国の「真珠湾」関係者たちが、恩讐を超えて、互いに握手し合う姿は、たいへん感動的だった。

 パンチボウルは、ハワイ王族の墓所として有名な所だが、今では、アメリカの軍人墓地となっている。まさに、ハワイの「アーリントン」といったところだ。

 その日は、無数の星条旗の小旗が、千以上の墓石の前に立っていた。それは、なかなかの壮観だった。

 同式には、当時のクリントン大統領とヒラリー夫人も出席し、戦後50年の記念式典を祝った。

 当時、私の知人(ホノルル在住の日本人女性ジャーナリスト)が、ヒラリー夫人が、余りにも高慢な態度でいたことを憤っていたのが印象的だった。 

 ヒラリー夫人は、昔から、そう変わらないようだ。こんな傲慢な女性政治家が、万が一、将来のアメリカ大統領にでもなったら、日本の政治家たちは、たいへん難儀なことだろう。

 少なくとも、英語が全く通じない(?)と噂される前原誠司氏あたりでは、対等な日米外交などは、まったく無理だと思われる。

 当日、無数の星条旗がはためく中、日の丸が一本、堂々と屹立していた。澄み切った青空の下、多くの星条旗がはためく中で、たった一本の大きな日の丸が風にたなびく姿は、まことに美しかった。 

 私は、その余りの美しさに、心の涙を禁じ得なかった。

 その集まりの中で、私は、真珠湾攻撃に指揮官の一人として参加した旧大日本帝国海軍軍人だったT.M氏と話す機会があった。

 そこで、私は、T.M氏に忌憚なく訊ねた。

「真珠湾攻撃の当日、一体、どんなお気持ちだったでしょうか?

 緊張しておられましたか? それとも、リラックスしておられましたでしょうか?」と。

 T.M氏は、きっぱりと答えた。「”与えられた任務を遂行する”という、唯、その思いだけでした」と。

 戦争とは、そのようなものかも知れない。広島に原爆を投下したエノラ・ゲイの乗組員たちも、”自分たちは、祖国アメリカと家族のために戦っている”という思いだったようだ。 

 事実、周知のごとく、「エノラ・ゲイ」という名は、ティベッツ機長の母親の名前である。彼は、実に晴れがましい思いで、日本に向けて飛び立ったことだろう。

 先程のT.M氏の言葉を聞きながら、私は、戦争というものの持つ絶対的な重みと、人間の認識や思念をはるかに超えた、その凄まじい迫力を感じずにはいられなかった。 【つづく】

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