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2011年12月12日 (月)

わが思い出のパールハーバー(3)

 「日米関係」について、われわれは、一体、どう考えたらいいのだろう? 色々な言い方ができよう。

 端的に言って、私は、「国家(=政府)」と「国民(あるいは市民)」は、別々に考えるべきだと思う。

 これを混同してしまうと、両国間で、戦争などになった場合、”敵国民、すべてが憎い!”ということになってしまう。

 だが、実際、たとえ敵国民とはいえ、一人ひとりの人間は、決して憎むべき存在ではない。むしろ、場合によっては、かけがえのない友にも仲間にもなろう。

 正直、文化や慣習、それに風俗の違いこそあれ、どこの国、あるいはどの民族も、人間としては”同じではないか”とさえ思う。

 それに、われわれは、一国民、一市民である前に、「一人の人間」であることを忘れるべきではないと思うのだ。 

 戦後50年を経た日米両国の退役海軍軍人を間近に見た私は、この”一人の人間として”という視点から、両国間の問題を考えずにはいられなかった。

 また、たとえ、かつて心から憎しみを抱いて戦い合った者同士でも、いつかは必ず和解と友好の関係に成り得ることも実感できた。 

 つまり、“人の心は、必ず変わる”のである。

 その具体的な例を、かつての日米両軍人の手記に見てみよう。或る日本人は、こう記している。

 ≪過ぐる1964年4月25日、九段の靖国神社において旧日本海軍搭乗員(甲飛会)の第一回慰霊祭が挙行された際、米国第五空軍司令部より、在日米海軍パイロット、太平洋戦争で戦った古強者、テナント中佐以下7名の勇士が参加された感激が偲ばれる。

 今回の日米退役軍人の太平洋戦争終結50周年記念に、財団法人海原(うなばら)会が招かれたことは、このうえなき名誉であり、日米間の黎明の始まりとして友好の記念碑が建立されることは、50年の怨念を乗り越え、日米両国の永遠の平和を築く基いであると確信する≫と。

  1964年という、戦後19年において、日米海軍軍人の間で、このような事があったということを、私は、全く知らなかった。すべては、“積み重ね”なのである。  

 他方、アメリカ側にも、非常に賢明で心優しい退役軍人の言葉があった。その言葉は、次のようなものである。

 All of us on both sides were full of intense hatred       when we faced each other 50 years ago.We now have a choice.    We can leave this world taking with us our individual hate,or we can extend our hand and hope that we may individually help promote  friendship between the two nations.

  We have more similarities than diffrences. We all love our families and we wish for  a brighter future.  By looking  out of the front of  the bus,we can see where we are going. By looking out of the back, we can only see where we have been.

 上の英文は、次のように翻訳されよう。

≪50年前に日米両国が敵対していた時には、すべての両国民が、激しい憎しみを抱き合っていました。今、私たちは、次のどちらかを選択できます。

 私たちは、個人的な憎しみを抱きつつ、この世を去ることができます。しかしまた、私たちの手を広げ、両国民の友情の促進を個人的に助けようと望むこともできます。

 (日米)両国民は、その違いよりも、より多くの共通性を持っています。私たちすべてが家族を愛し、明るい未来を望んでいます

 バスの前方(=未来)に目を向けるならば、私たちは、これから行く方向を見出すことができます。しかし、後方(=過去)にばかり目を奪われるなら、私たちは、過ぎ去ったものしか見ることができません≫と。

 この手記には、一人の国民(=市民)、あるいは一人の人間としての「未来志向」が感じられる。つまり、彼の心は、多分、国家を愛しつつも、同時に国家を”超越”していると思うのだ。 

 他方、或る日本人は、この記念式典の際に抱いた感慨を、たいへん正直に吐露している。彼は記す。

 ≪数多くの戦没者を出す痛恨な結果を見る私どもには、今一つ素直に握手に応じかねる躊躇の心のこだわりは、皆同感かと存じます。

 阪神大震災(1995年)直後の跡地を見るにつけ、また、B29の再来襲かと思わず目を覆いたくなりました。

 ここに、戦後50年目を迎え、高齢ともなれば頑固な精神も世の移り変わりと共に薄らぎ、恩讐を乗り越え、この度の日米慰霊と友好記念ツアーに共鳴し、「新たなる黎明」の意義を尊重し参加いたします。

 ご努力の役員御一同に敬意を表します≫と。

 これは、極めて正直なお気持ちだと思う。日米退役軍人間での握手の中でさえ、”今一つ素直に握手に応じかねる躊躇の心のこだわり”という言葉は、非常に重いと感じる。 

 戦争とは、それ程までに苛酷、かつ残忍なものなのではあるまいか。

 最後に、アメリカのかつての海軍士官の言葉を伝えたい。彼の言葉は、次のように翻訳できた。彼は、記す。

 ≪私たちは、何故、敵であった人々と会わなければならないのでしょうか。それは、時は流れ、古い傷は癒されるからです。 

 第二次世界大戦中、私たちだけでなくすべてのアメリカ国民が、多分、われわれの敵と看做された日本人、ドイツ人、オーストリア人、イタリア人、およびその他の外国人を憎んでいたかも知れません。

 しかし、時は過ぎ、苦痛は和らぎました。私たちは、いわゆる「敵」も、私たちと同様、単に命令に従ったまでだということを理解し始めました。

 多分、彼らの一部の人々は、私たちの一部の者と同じくらい、戦争を憎んだことでしょう。

 そして今や、私たちは共に、私たちの傷をいやし、握手をし、友情をもたらすために、ここに顔を合わせております≫と。

 ここに、”戦争を憎む”人々の存在が、明言されている。 

 

 実は、これからの時代、この”戦争を憎む”心有る人々が、各民族同士、あるいは各国家間で連帯し合う必要があるのではあるまいか。

 国民(あるいは市民)は、常に国家(=政府)に虐げられ、搾取され、かつ支配されてきた。この「構図」は、いつの時代でも、またどこの国でも同じであろう。

 ならば、国家間の協定や協約以前に、何よりも国民間の相互理解と相互交流が必要となろう。

 正直、小沢一郎氏は、このような国民間の相互理解や相互交流を目指して、すでに30年以上も前から、アメリカ国民との間では、「ジョン万次郎の会」を手掛け、中国国民との間では「長城計画」を推進してこられたのだと思う。

 まさに、同氏の深謀遠慮による”長期戦略”は、すべての日本国民が学ぶべきものではあるまいか。

 つまり、われわれは、国家(=政府)の姦計に目を凝らすと同時に、国民間の相互理解と友好に、より力を注がなければならないと感じる。

 その点、私にとっての「思い出のパールハーバー」は、単に日米間の戦争の端緒になった所ではなく、むしろ日米両国民間にとどまらず、すべての国民間の友好と平和の大切さを深く認識する「聖所」となったのである。 【了】

     

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