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2015年2月24日 (火)

【或る日本人の、心の叫び!】

  【日本人よ、どこまで堕ちれば、

              気が済むんだい?!】


  品の無い、無恥・無能なヤクザが、NHK会長?

こんなトップで、NHKは、いつまでやって行くんかい?

  トチ狂った“経済知らず”が、日銀総裁?

アンタ、日本人を、マジで地獄へ落とす気かい?!

  日本人よ、どこまで堕ちれば、気が済むんだい?!



  低能の大ウソつきが、日本国の総理大臣? 

それも、他党の議員に、不当なヤジを飛ばす!

アンタ、それでも総理かい?

どこまで、幼稚になれるんかい?

  加えて、漢字も読めない強欲経営者上がりが、

財務大臣?

  自民党の支持者よ、アンタら、気が狂ってるのかい?

こんな”うすらトンカチたち”を珍重して、日本国を、

破壊する気かい?

  日本人よ、どこまで堕ちれば、気が済むんだい?!



  モノ書く価値なき文人が、上から目線の差別主義!

日本人は、いつから、こんなに傲慢になったのかい?

  自ら“相対化”も“客観視”もできない、狭隘な差別

主義者に、「正義」や「愛」を語る資格なし!

  日本人よ、どこまで堕ちれば、気が済むんだい?! 

  【了】 (*下の写真は、大宰府天満宮)


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2014年11月15日 (土)

【お詫び】

  【皆さまへ】

     皆さん、お早うございます。
 
   お元気ですか?

     昨日の文章中” 「土地強奪法」でしめつける”の冒頭、「日本

政府は一方で、経済的混乱をもたらした上で、金の力で軍用地契約を」

「すすめようとしました。」の一文が、欠落していました。

  ここに、謹んで、補筆訂正いたします。                渡邉 拝

2014年11月14日 (金)

『命こそ宝』(6)

 日本の政治は、結局「金」と「ポスト(地位)」なのでしょうか?

そんなことで、本当にいい政治など、できるわけがありません。

  特に、沖縄のような「基地の島」は、まるで、お金で、人を頬を叩(はた)く

ような野蛮が横行しています。

  この状況は、今日の沖縄県知事選においても、同様でしょう。

端的に言って、この状態は、阿波根さんが活躍なさった戦争直後も今も、

何一つ変わっていません。



 まさに、政府が「アメ」と「ムチ」で、抵抗する国民・市民を縛り上げる。―

  そんな”傍若無人”が支配的な日本の政治は、まさに有史以来、殆ど

変わっていません。

 そして、このようなイヤラシイ現状を、我々は、次の阿波根氏の「告発」の

中に、はっきりと見出すのです。

  今日の文章は、短文ですが、区切りが良かったので、次のようなお言葉

を、お伝えしたいと思います。

 

  復帰直後におきたこと


  復帰直前の「予約」とりつけのやり方を見て、日本政府は基地確保の

ために様々なずるい手段を使うだろうと予想はしていました。しかし、

そのやり方は想像以上にひどいものでした。 

  復帰して先ずおきた大きな変化は、異常な物価高と生活苦ですが、

これは日本政府に責任がある。

         

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 たとえば、それまで沖縄で適用されていたドルを円に切り換えるとき、

日本政府は、当時の固定レートが一ドル=三六○円だったのに三○五円

で切り換えました。 

  復帰したとたん、一ドルについて五五円分損をしたことになる。一方で

そういうことをしておいて、軍用地の地代をいっぺんに六倍も上げた。 

  沖縄の経済を混乱させて、生活を苦しくさせた上で、契約する地主に

対しては、地代を上げ、また基地周辺整備費という名目でどんどん金を

出す。



  もともと沖縄の犠牲の上に、戦後日本の経済発展があったのだから、
 

沖縄の経済を健全にするというのは国の責任である。

  それなのに生活を苦しくさせておいて、基地に土地を提供すれば暮ら

せるというふうに誘導する。その上、本土から土地買占めがやってきまし

たから、いままでの常識では考えられない物価高になったのでした。


            Photo_3




  わしらは、何よりも反戦平和を願っているから基地反対である。だが

それにしても、基地に頼ってどんどんお金をもらうとか、土地を売ればも

うかるとかいうのは、経済としてもおかしい。 

  当座はよくても、決して伊江島島民また沖縄県民のためにはならない。

わしらはそう思いましたから、契約拒否を貫き、軍用地として契約すること

の危険を訴えてきたのでした。



 「土地強奪法」でしめつける



日本政府は一方で、経済混乱をもたらした上で、金の力で軍用地契約を 

  しかし、金では動かない反戦地主たちが当時三○○○人近くもいた。

そこで、政府は法律によって、土地を取り上げたのです。

 

  沖縄返還にあたって、沖縄関連四法というのが国会で強行採決されて

いますが、 そのひとつが「公用地法」(沖縄における公用地等の暫定使用

に関する法律)といわれる法律で、これで土地の強制使用を「正当化」した

のです。わしらは、これを「土地強奪法」といっておりました。

 

  復帰前に「公用地等」として使用されてきた土地、これはつまり軍用地の

ことをいうのでありますが、これは所有者の同意をえることなく、復帰後

五年間は継続使用できるというのです。 

  五年にもわたって他人の土地を強制使用するというのですから、とんでも

ない悪法であります。

 

  当時の琉球政府は強く反対しましたし、国会でも革新政党は反対した。

法律家も憲法違反の疑いがあるといって批判しているのに、日本政府は

かまわずに法律を成立させました。そして復帰と同時に施行したのであり

ます。

         Photo_4



  米軍は銃剣でわしらの土地を取り上げましたが、日本政府は法の力で

強奪したのです。日本政府はいまにいたるまで、様々な悪法のムチを

ふるうことになるのですが、その経過をお話しする前に、基地があることで、

沖縄・伊江島でどんなことがおきていたのかをお話ししましょう。 【つづく】 

 

  (追記:皆さん、お元気ですか?

        沖縄県知事選だけでなく、衆議院の「解散・総選挙」まで

       云々される今日、まさに、国内は、風雲急を告げる状況です。 

         しかし、自然に目をやりますと、既に山茶花やボケが咲き

       始め、水仙が愛らしい芽を出しています。

        植物は、すでに、厳しい冬の支度をしつつ、密かに春の準備

       を始めています。

        私事ですが、母が、来年90歳を迎えます。頭脳は明晰ですが、

       足腰が、だいぶ弱りました。その母のcare  に、しばらく専念した

       いと存じます。

        そのため、当分の間、拙ブログを休筆いたします。  

                                   渡邉良明 拝  )

 

 

 

 

2014年11月13日 (木)

『命こそ宝』(5)

  戦後、アメリカの統治下にあった沖縄の人々は、どれほど「本土復帰」

待ち望んでいたか知れません。

  “本土並み返還”という言葉を、当時、大学生だった私は、よく耳にしま

した。

 しかし、実際の「沖縄返還」は、決して現地の方々が期待したものでは

ありませんでした。

  むしろ、戦後の、アジアにおける「反共(あるいは、防共)」体制のため、

沖縄を最重要の軍事基地として拡大・強化する内容でした。

  そこには、後のベトナム戦争に際して、実質的な前線基地としての沖縄の

実態がありました。

  当時の日本政府も、アメリカの軍事戦略に組み込まれ、その実現のため、

沖縄を犠牲にしました。

 これは、今日も、全く変わりません。むしろ、益々強化されていると言えま

しょう。

  その実態が、阿波根氏の次の言葉に、よく表現されています。

 

   Ⅰ  復帰後の沖縄、そして伊江島




  
一  基地確保のための「アメ」と「ムチ」
 

 

 

   「安保」条約による基地提供


  沖縄が本土復帰したのは、一九七二年五月一五日であります。 

わしらが本土復帰を念願し、六二年から毎年四月二八日に行われていた

復帰をめざす海上大会に欠かさず参加していたのは、何より平和憲法の

下に復帰することを願っていたからでありました。 

  財産も権利も生命も無視され、踏みにじられていた米軍の占領下から

解放され、基地もなくなって、沖縄人の沖縄になる、そして平和に暮らす

ことができる、そう信じておりましたし、そうでなければいかないと思って

おりました。


                 Photo




  だが、そうはなりませんでした。日米安全保障条約(安保条約)という

ものがあったからです。

  安保条約があるかぎり基地があるというのは、最初はわしらにはよく

わかりませんでした。 

  「安全保障」というのだから、かえって沖縄県民のためになるものでは

ないか、と思うくらい無知でありました。


                   Photo_2

  しかし「沖縄返還」協議が行われている中で、わしらも勉強して、安保

条約は実は「危険条約」であることがわかってきました。 

  復帰しても基地はなくならない、それどころかますます軍事的に強化

され、自衛隊もくる。そういうことがわかってきたのであります。

 

  復帰して沖縄が沖縄県になったことで自動的に適用されたのは、平和

憲法ではなく安保条約でありました。 

  そして日本政府が、アメリカに対して沖縄の基地を守る義務と責任を

負ったのです。

 

 復帰直後、基地があることからくる被害について、那覇に設置された

日本政府の防衛施設局に抗議すると、職員は日本は安保条約を守る

約束をしているから、基地を返してもらうことも演習をやめさせることも

できないと、はっきりいった。




  沖縄県の面積は日本の国土の○・六%だそうでありますが、日本に

ある基地の大部分が沖縄にあります。復帰後のいまもほとんど変化して

いない。 

  沖縄にいると、「安保」がよくみえます。本土から伊江島にくる人たちに

聞くと、本土では「安保」への関心は先ぼそりになっているという。これで

はいかない。 

  わしらの闘いは、すべて安保反対に結びついておる。そのことはまず

知っておいてほしいと思っています。





  説明なしの軍用地の契約「予約」




  沖縄が本土復帰をすると、安保条約にもとづいて、日本政府が米軍に

対して基地を提供する役目となります。 

  それで復帰直前の三月、那覇に設置された防衛施設局が「賃貸借契約

のしおり」というビラをまいて、契約の「予約」をさせようとしていました。 

  復帰当時の沖縄の軍用地主の数は二万七○○○人で、このうち

三○○○人がはっきりと軍用地契約拒否を表明しておりました。 

  復帰の前年、七一年一二月に「権利と財産を守る軍用地主会」

(「反戦地主会」)を結成した人たちです。わしももちろん、その一人で

ある。

 

  この「しおり」には、協力に報いる意味で「見舞金」を払うとか、返還の

ときには「復原補償」をするとか、いいことばかり書いてあります。 

  しかし、かんじんの地料や契約期間、黙認耕作(基地内であっても演習

に使っていないときに、耕作したり草刈りをしたりすること。長い闘いの

すえ慣行として米軍に認めさせてきた)のことなどの具体的な説明は

いっさいなしです。

 

  しかも正式の「土地建物等賃貸借契約書」を、地主には見せません。

契約書を見るのは地権者として当然の権利なのに、要求しても見せない。

代表者に印鑑を預けさせて、まとめて捺印させようとするのです。どうも

おかしい。 

  あとで、何とかこの「契約書」を手に入れて、内容を見ると、金額・期間

などは空欄のままでした。捺印させたあと、どうにでもできるわけです。

  防衛施設局の役人がわしらに対して「説明会」をしたときには、こんな

カラクリがわかっていたので、最後には叱りとばして帰しました。 

  こういう詐欺まがいの契約「予約」がどんどんすすめられていましたから、

「伊江島土地を守る会」として、すぐに次のようなよびかけをだしました。



 
    契約はしない方が得です

 

 

一、  契約はしないでも使用料はもらえます。日本政府は契約はしない

     でも補償金として支払うとはっきり言っています。 

    アメリカ軍との契約の時も契約しないと地料がもらえないと言って

      おりましたが、それは真赤なウソで、私たちは契約しませんでしたが

      契約書同様に地料を取り、権利を主張することもできました。

 

二、  時は進み発展し、土地の価格は年々あがり、本土の資本家は沖縄

     本島、宮古、八重山でもたくさんの土地を買いこんでいます。今後、

      土地は予想以上に大切なものになると思います。

 

三、  契約をしなかったら、補償金(地料)の値上げを要求できます。

     又自分の土地が必要になったら返還要求できます。

 

四、  契約をしたら、自分(地主)の使用権は無くなります。土地をどう

     使おうが、石を入れようが穴を掘ろうが相手の自由で、地主はもんくが

     言えません。

 

五、  契約しても今まで通り黙認耕作ができるなどと思ってはまちがい。

     今度の 契約書第十条に、次の通りはっきり書きこまれています。 

   「土地の形を地主が変えてはいけない、軍の使用に支障があっては

     いけない」

 

六、  私たちは今まで他人(資本家とその手下)の利益のために利用され、

      だまされ、たくさんの損をし、犠牲になってきました。 

       今からでも自分の利益を守り、財産と権利を守り、生活をより豊かに

      していきましょう。

 

七、 軍備(戦前より上まわる軍事力、五兆八千億円の四次防予算)、

     基地(大事な土地)、演習(人殺しの練習)、自衛隊(戦争につながる

     軍隊)。 

         契約することは戦争につながり、戦争を認め、戦争に協力するもの

      であります。ですから契約に強く反対しましょう。

 

八、  契約を拒否し土地を守ることは、我々の財産と生命を守ることであり、

      又世界全人類の真の平和と繁栄の道であることをかたく信じております。

 

九、  地球は動き、時代は変わり、世界は正しい者の力によって正しい方向

      に急テンポで進んでいます。今後農民は素晴らしく発展することが

      予想されます。 

        土地はいよいよ必要になってきます。すべての宝は土地から生まれ

      ることを忘れないようにしましょう。

 

十、  大日本帝国、日清、日露、第一次、第二次世界大戦。国を守る、

      国民を繁栄させる聖戦といって真珠湾を攻撃して、絞首刑台の露と

   消えた職業軍人。戦争のナマの悲劇を忘れないようにしましょう。


      国ぬたみともて咲ちゃる花ちらち   (国のためと思って咲いた花が散っ

  てしまった) 

      あとみうしなたる親のくりさ  (跡継ぎを失った親の苦しさ)


十一、  残酷非道な戦争、我々を犠牲にし不幸にした戦争。我々は二度と

    だまされない、二度と戦争をしない、させない、このあやまちを二度

    と起こさせない。 

         それは生き残った我々の使命であり、人間としてとるべき道であり

    ます。

 

十二、  我々は以上の歴史の教訓に学び、恐るべき悲惨な戦争につなが

   る土地 契約を拒否するようにしましょう。そして平和憲法を守りまし

   ょう。

 

       一九七二年三月

 

                                     伊江島土地を守る会




   「伊江島土地を守る会」というのは、復帰前の六一年につくったもので、

わしが代表をしております。

  この会をつくる糸口となったのは、五六年に教職員会や土地連合会、

沖縄社会大衆党、沖縄人民党など一六団体が集まって結成された

「全沖縄土地を守る協議会」でした。

 

  この協議会の会長には復帰後最初の県知事となった屋良朝苗

(やら・ちょうびょう:下の写真)さん、そして事務局長にわしが推された

のですが、米軍に同調する人たちの動きによって、たった八か月で解散

してしまいました。

          Photo_3
 

  わしはこの協議会の正しい意思をうけつぐ組織が、伊江島で必要だと

思っておりました。基地があるかぎり、土地問題はつづくと思ったから

でした。 

  それ以来、土地を守るのは、自分たちの命を守り、島を守り、日本の国

を守ることである、ひいては世界平和のためであり、結局はアメリカの人

たちのためにもなる、だからずっと基地反対と土地を守る会はつづけなけ

ればいかない、そういう考え方でやっておるわけです。規約とか会則とか

いうものはありません。専門部というものもおきません。 会計だけはおいた。

 

  基地内に自分の土地をもっていて、基地に反対する人が正会員でありま

すが、復帰時で三○○人ぐらいだったですかね。 

  伊江島に住んでいて、わしらの考え方に賛成し、運動に加わってくれる人

は準会員ということにしましたから、実際は一○○○人以上の会員がいた

ようなものでありました。                        【つづく】                                        

 

 

 

 

 

 

2014年11月11日 (火)

『命こそ宝』(4)

 人が真実に目覚め、自ら運動を開始した時、他者(あるいは周囲)の

無理解や反発を招くことがあります。

 しかし、中には、心から理解する人も現れます。

今回、阿波根氏が紹介されるアメリカの人権論者ロジャー・ボールド

ウィン氏が、彼にとってのよき理解者、協力者でした。

  ボールドウィン氏の言葉はシンプルですが、まさに  一面の“真理”

だと思います。



  今日、最大の社会的矛盾は、世界の「1%の人間」が、「99%の人々」の

富を簒奪し、占有し、かつそれらを固定化していることにあります。

  「1%の人間」は、時に、村上春樹氏の言う「高くて硬い壁」となり、

「99%の人々」が「卵」となります。阿波根氏は終生、一つの「卵」であり

続けました。



  しかし、「ベルリンの壁」が崩壊して25年を経た今日、それと同様に、

「高くて硬い壁」といえども、永遠に聳え立つことはできません。

  大昔、ジェリコの壁が、人々の叫び声で壊れたように、「99%の人々」の

「No!」いう声によって、いつかは崩壊することでしょう。

  「1%」といっても、相手も、ただの人間、完全でもなければ、”永遠の存在”

でもありません。

  そこでは”おかしいことは、おかしい!”という正直な生き方こそ大切で

しょう。

 阿波根氏の生き方は、まさにそのような正直、かつ誠実な”まことの

生き方”だったように思います。

  今日の沖縄県民に、同氏のような”まことの生き方”が出来る人が、

一体、どのくらいいるでしょうか?

  多くの方々は、金や名誉、それに目先の利害に、余りにも囚われすぎて

いるのではないでしょうか?

  阿波根氏は、次のように記します。




 みんなが反対すればやめさせられる




 
土地をとり返すための闘いを続ける中で、わしらはいろいろなことを学び、

考えました。 

 米軍の中にはいい人もおる。赤ちゃんにミルクを飲ますやさしい人もおる。 

  それなのに、なぜわしらの土地を強奪するというひどいことをするのか。

これは戦争があるからである。戦争が人を変えてしまう。 

  そして基地は、その戦争を準備するためのものだ。基地が撤去されるま

では、戦争のことを忘れてしまうことはできない。 

  わしらの土地を守る闘いは、戦争をやめさせ平和をつくることにつながる、

またつながらなければいか(け)ない。そう確信するようになった。



                  Photo_3


  土地闘争がはじまった頃、わしらは小禄村(現在は那覇市小禄)の具志

部落を訪ねたことがあります。闘いの経験を聞き、闘い方を学ぶためで

ありました。 

  このとき具志部落の上原昭男さんは、わしらのために「平和のためという

ならば、平和のためになおさらに、土地は離すな村人よ」と歌い「武器に

亡びる国あれど、武器に栄える国はなしと語った。わしは心から共感した。 

  土地闘争を闘っている沖縄の各地の人たちとの交流の中で、わしはいっ

そう確信を強め、勇気づけられたのでした。

 

  だが、どんなに闘ってもなかなか基地はなくならない。戦争の準備を

やめさせられない。しかも、今度は核戦争の準備をしておる。核について

の本をたくさん買ってきて読んでみたが、もし核戦争がおきたら、この地球

にもう住めないという。これは大変なことだ。 

  それなのにこの戦争準備はとめられないのか。闘いを続けながらも、

無力感をもち、悩みました。



  そうしたらですね、一九五九年のことでしたが、世界人権連盟議長の

ロジャー・ボールドウィンさん(*下の写真)、実に立派な方であると聞い

たが、この人が那覇にきた。沖縄の土地闘争のことを知って、人権侵害

があるのではないかと調査に来られたわけです。

                  Photo
      

   那覇の教職員会館で講演するということを新聞で知って、わしらはさっ

そく陳情書をつくり、「ボールドウィンさん歓迎」という横断幕をもって、

那覇に会いに行った。 

  陳情書に、「日米両政府はわしらの家を焼き、農民を縛り上げ、土地を

取り上げて、核戦争の準備をしておりますが、これを止める方法がありま

したら教えて下さい」と書いて、質問したのです。

  どんなむずかしいことをいうか、と思っていたら、ボールドウィンさんの

答えは簡単でした「みんなが反対すればやめさせられる」

こういわれたのです。

 

  わしらは考えました。みんなが反対すれば戦争はもうできないんだ、

「ああ、これはそのとおりだ」とわしは納得しました。 

  わしが自分の土地を基地に使わせないための闘いを続け、そして反戦

平和のための運動を続ける上で、このことばは実に大きな支えとなったの

であります。

 

 

   わしが語り伝えたいこと




  伊江島の基地は、島全体の六三%を占めていたが、わしらは闘いを

つづけて少しずつ解放させ、復帰直前には、半分の三二%まで縮小させ

て、残りも全部解放させるという約束までさせていました。だがそれはいま

も実現していません。

 

  わしの土地もある島の西北部、真樹(まじゃ)という地区には射爆場が

あります。 

 「伊江島補助飛行場」といっていますが、あれは紛れもない射爆場です。 

  模擬原爆の演習場であり、あらゆる実弾を使っての射爆場なのです。 

  戦争は過去の話ではない。いまも平和になっているとはいえない。

沖縄の基地では演習が続けられている。湾岸戦争(一九九一年)のとき

には、伊江島の基地の米軍の演習はいっそう活発になって、ハリアー

(垂直離着陸機)が実戦さながらの訓練をしていました。

                       Photo_2


  かつてわしは『米軍と農民』のはじめにこう書きました。―伊江島の人は

誰も戦争のことを語りたがりません。戦後の土地取り上げでアメリカ軍が

襲いかかった当時のことも、語りたがらない。 

  思い出すだけで気絶するほどの苦しみでありました。だが、その苦痛も

ふくめて、やはりわたしはお話しなければなりません―。 

  その思いはいまもかわりません。なおいっそう強くなっております。

命が粗末に扱われてはいけない、どうしても平和でなければいけない、

つらくても語り伝えなければならない。

 

  「みんなが反対すれば戦争をやめさせられる」そのためには一人に

なっても訴えつづけなければいかない。平和を創る闘い、実践がいまこそ

必要である。

  沖縄が本土復帰して二○年、伊江島の状況は大きく変わりました。

復帰後、沖縄そして伊江島に何がおきたのか、今どうなっているのか、

そして、なぜ「反戦平和資料館」(ヌチドゥタカラの家)づくりを考えたのか、

また資料館活動の中で何を考えてきたのか、そのことをこれからお話し

たい。

  ところで、わしはいつも断わってから話しますがね。これは、農民の、

小学校しかでていない、明治生まれのものの体験談。

  だから間違いもあると思うから、あなたたちも聞いて、これは間違って

おる、ここはもっとこうした方がいい、ここはこうでなければいけない、

と思ったらいってほしい。

  そういうつもりで聞いてほしいといって(ママ)おります。  【つづく】

 

 

 

2014年11月10日 (月)

『命こそ宝』(3 )

 

「経験、この人間的なるもの」という言葉があります。

我が若き日の師・清水幾太郎が、こよなく愛した言葉です。

  清水先生は、何よりも、人の持つ”経験”を重視しました。

そして、単なる観念や、その遊戯を嫌いました。



  阿波根氏の言葉を跡づける時、私は“経験の重み”を感じずにはいら

れません。

 そこには、真に戦争を知る者、とりわけ戦争の残虐さと悲惨さを知る人

の尊さがあります。

  今日は、戦争を全く知らない、無論、経験したこともない者たちが、余り

にも安直に「集団的自衛権」などという戦争に直結する大事を云々して

るのではないでしょうか。

  私には、語る資格無き者が、余りにも軽々に戦争を論じている気がして

なりません。



  われわれは今、改めて、戦争の惨(むご)さを知る阿波根氏の言葉に耳

を傾ける必要があるのではないでしょうか。

  同氏は、次のように語り続けます。そこには、愛息を亡くし、多くの同胞

を失った人の悲しみや無念さが溢れています。



  命を粗末にする

  戦争中、わしらはあまりにも命を粗末に考えておった。二度と戦争を

おこさないためには、何よりも命を大事にすることである。

戦後になって、非常に反省しました。 

  戦前は「命は鴻毛(こうもう)より軽し」とかいって、死ぬのが国のため、

命を惜しむものは国賊だと信じさせられていた。 

  敵に生け捕りされるのは不名誉、だから集団自決といって、自分たちで

殺し合う。そしてそうすれば靖国神社に祀(まつ)られて神になる。


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  こんなことを教えられて、愚かにも信じていたのです。それにもし、生き

残りたいと思っていることが軍にわかったりしたらすぐ殺されると思って

おりました。 

  その頃はもう、死ぬ死ぬばっかりですよ。死ぬ死ぬと言うのが習慣に

なっていた。



  「鬼畜米英」といわれましたからね、わしらは本当にそう思っていた。

米軍に生け捕りにされたら、耳を切られたり鼻を削(そ)がれたり、ひどい

目にあわされて最後は殺される、そういう話でしたから、誰でも自分の

可愛い息子や娘がそんな目にあったら大変だと思う。

 

  だから親が子どもを殺す。子どもは死にたくないから逃げる、それを

父親が追いかけていって首を絞めて殺す。鎌で切り殺す。こんな悲惨な

ことがあちこちでおこった。

  伊江島にはアハシャガマ(*下の写真)という大きな洞窟があります。

ここでは、一五○人の島民が集団自決をした。 

  『伊江村史』には四月二二日頃のことと書いてありますから、戦闘が

終わった翌日でありました。
 

 

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  また島でただ一か所真水がでる、湧出(わじー)という、いまでは景色

のいい観光地になっているところがありますが、その断崖からたくさんの

人たちが身を投げた。

 

  日本軍守備隊は玉砕を命じて降伏を許さなかったから、日本軍に殺さ

れた人たちもおりますが、これだけの人たちが死んだのは、わしら自身が

命を粗末にする考えからぬけだせなかったからである。

 

  一人息子を死なせてしまう




  わしのたった一人の息子も、わしが殺したようなものです。
 

沖縄戦がはじまろうというとき息子は東京にいて、わしの弟が沖縄は危険

だから東京においた方がいいというのに、もう今度は死ぬんだから、

一度顔を見て、一回だけでも御馳走を一緒に食べて、それから死んだ方

がいいといって、伊江島まで呼び寄せた。 

  息子はわしに会ったあと、まだ兵役年齢にもならないのに現地召集で

兵隊にとられ、沖縄本島で戦死しました。 

  那覇の北、浦添(うらぞえ)のあたりだというのですが、はっきりしたこと

はわかりません。遺骨もありません。



  沖縄戦で二○万の人が死んだということは、つらい思いをかかえた人

たちがそれほどにもいるということである。つい昨年にも、沖縄ではこんな

ことがありましたよ。

  自分の夫と息子が殺された八○歳になるおばあさんが本土から来て、

息子が死んだという場所で、誰もそこに来てはいけないと人を遠ざけて

一時間もそこで泣いておった。こういうことが二度とあってはいか(け)

ない。





  「島ぐるみ闘争」の中で考えたこと

 

  わしらは、世界中は「鬼畜米英」、「日本は神の国」と教えられて、こんど

の戦争は聖戦である、世界平和のためである、日本が世界を支配しない

とほんとうの平和はこない、そう信じさせられ、服従するだけだったのです

が、戦争が終わってからはじめて考える人間になったわけですね。

  最初はアメリカとはすばらしい国だと思った。死んだ母親のそばに

赤ちゃんがいると、これを助けてミルクを飲ませる。一人も虐殺しない。

 

  米軍に占領されたあと、捕虜となったわしら島民は、まず慶良間島に

移され、それから転々とさせられて、ようやく一九四七年三月に故郷に

帰りついたのでありましたが、当時は米軍の善意を疑うことはなかった。

もう戦争は忘れよう、平和に生活を営もうと農業に精をだしていました。




            Photo_2



  ところが、米軍はひそかに基地をつくる準備をしていた。準備をして

おいて、朝鮮戦争が終わった直後の一九五五年、米軍は完全武装して

きて土地をとり上げた。 

  この土地がなくなると生活できないと、手を合わせてお願いする農民を

縛り上げて半殺しにする。 

  ガイディアという米軍の隊長は、わしらにこういいましたよ。「この島は

アメリカ軍が血を流して日本軍からぶんどったものである。きみたちには

何の権利もない、イエスもノーもない」。そういって、家を焼き払って

飛行場・演習場にしてしまった。

          Photo_3

  わしらは驚き、怒り、途方にくれた。どうしたらいいのか、米軍に陳情する

とともに、琉球の立法院や政治家、教会やお寺、大学の先生などに助け

を求めました。 

  だが、らちがあかない。最初、わしらの基地反対の島ぐるみ闘争は

てさぐりではじめるしかなかったのであります。 

  この闘いのことは、岩波新書『米軍と農民』(一九七三年刊)に詳しく

書きました。                             【つづく】 

 

 

 

 

 

2014年11月 8日 (土)

『命こそ宝』(2)

 今、沖縄県知事選の最中です。同選挙の帰趨は、今後の日本の政治を

占う上で、極めて重要です。沖縄県民の賢明な選択を、心より期待します。

   しかし、如何なる人が県知事になりましょうとも、今後、アメリカ政府

(=ペンタゴン)、並びにその「従属機関」としての日本政府との対応は、

かなり厳しいものとなりましょう。

  単なるイエスマンの県知事ならともかく、少しでも沖縄県民の心情

(=真情)や希望を充分汲み取る意志のある人ならば、相当の覚悟が

必要でしょう。



  正直、私には、過日、ある”イメージ”が浮かびました。それは、実に

ショッキングなものでした。

  とは申せ、何より大事なことは、沖縄県民だけでなく、本土のわれわれ

も、“非戦・平和”の原点に立ち返り、先人の犠牲や労苦を無にしない

ことではないでしょうか。

  その貴重な先人として、阿波根昌鴻氏にご登場いただきましたことは、

きっと、皆さんのご同意・ご理解を得るものと確信しています。

  実際、阿波根氏は、次のように、ペンを進めています。

(*尚、阿波根氏の御文章は、青字で表記いたします。)





    沖縄戦という地獄

 

 わしが住む伊江島(いえじま)は、沖縄海洋博覧会(一九七五~七六年)

があった沖縄本島北部の本部(もとぶ)半島の西、沖合一○キロのところ

にあります。 

  面積二二平方キロ、珊瑚礁に囲まれた美しい島で、いま五六○○人の

人々が住んでおります。 


         Photo_6

    島の中央にタッチュー(塔頭)と呼ぶ城山(ぐすくやま)が聳える他は、         

全体に平らな肥沃な土地で、戦争前は全島がサトウキビ畑で覆われて

おりました。

                     Photo_3



  この平和で美しい島がおそろしい戦場となったのは、一九四五年四月の

ことです。 

 沖縄本島中部に上陸した米軍は、本部を占領すると、次に伊江島を

攻撃目標として、まずすさまじい艦砲射撃をくりかえしました。 

  城山に砲弾・爆弾が命中している写真をアメリカ軍が撮っておりますが、

この城山地肌がすべてむきだしになり、かたちを変えるというほど、 

激しいものだったのです。 

  一○○○戸あまりの民家はすべて焼けてしまい、木端ひとつ残らない

ほどでした。


             Photo_5


  そして十六日に米軍が上陸し、日本軍守備隊と激しい戦闘になりました。
 

沖縄には「ガマ(*下の絵)という自然の濠、洞窟がたくさんあります。 

  戦闘が行われている六日間、わしら夫婦をふくめて、島民はみなガマへ

と身を隠しているしかなかった。夜も昼も、自分の頭の上にいつ爆弾が 

落ちるかと、震えながら耐えていたのです。

               Photo_4



  二一日、戦闘が終わってガマをでたとき、わしは目の前に散らばって

いる死体を見ました。 

  子ども、老人、女の人たち、もう無差別に殺されていた。死体が腐れ

かかって、島全体に散乱していたのです。 

  一体この子どもたちに、この老人たちに何の罪があったというのか、

どんな悪魔であっても戦争ほどひどいことはできない、どんな地獄で 

あっても戦場にはばない、そう思わずにはいられなかったのであり  

ます。



  このときの戦闘で四三○○人もの人が死んでおります。うち一五○○

人は島の住民でありました。 

  戦争の犠牲をだしていない家は、伊江島にはありません。わしの家で

はたった一人の子どもであった一九歳の息子、妻の実家では祖父と父母 

と弟二人と妹一人が死にました。 

  伊江島の戦闘が終わった後も、まだ二か月にわたって沖縄戦が続きま

した。この沖縄戦で死んだのは二○万人以上、うち沖縄県民は一二万人 

をこえるといわれております。


 沖縄は、日本だけでなく、世界的にも有名な一級の観光地です。

とりわけ、アジアの人々の関心が、年々、高まっています。

 海の美しさや人々の優しさなど、その「時の流れ」の緩やかさに、人々は、

そこにパラダイスを見ることでしょう。

  しかし、正直、アメリカ軍の基地の広さと、その堅固さに、しばしの喜び

が、言い知れぬ“悲しみ”、あるいは“無念さ”へと変わります。

  ですが、沖縄の現実は、実は、本土のわれわれの“現実”でもあるのです。

決して、沖縄県民だけを“犠牲”にできるものではありません。


  沖縄観光に出かけた人も、「伊江島」まで足を伸ばす人は、そういないか

と思います。

 私は、五回ほどの沖縄訪問の中、一度だけ、伊江島まで足を伸ばしまし

た。城山にも登りました

  しかし、恥ずかしいことに、三十年ほど前に登った時、この島が、以上

のような悲しい歴史を背負っていたなどと、深く認識できませんでした。

  その反省を、じゅうぶん胸に秘め、これからも、阿波根氏のお言葉を

跡付けてみたいと思います。                   【つづく】                                      



 

 

 

                     

 

2014年11月 7日 (金)

『命こそ宝』(1)

    【はじめに】

 

  率爾ですが、皆さんは、死者の「声」を聞いたことがありますか? 

私は、あります。今から十五年前、亡き父の声を、夢枕で聴きました。 

  没後間もない父の霊は、私に、こう語りました。 

「時の移ろいは、矢よりも早し。 

生命(いのち)に勝る、何物も無し。 

  心して生きよ、己が人生を!」というものでした。 

  これに就きましては、拙ブログで、すでに記したことがあります。



Time  flies.(光陰 矢のごとし)という言葉があります。
 

でも、亡父は、その”矢よりも早い!”と言うのです。 

  64歳の私は、”成程!”と思う今日この頃です。

  お金や物が、過剰に重視される今日、
 

生命(いのち)の尊さは、反対に軽んじられます。 

  でも、亡父の言の如く”生命(いのち)に勝る何物も無し”なのでは 

ないでしょうか! 

  亡父は、そのことを、私に最も伝えたかったように思います。 

まさに、“生命(いのち)”こそ、すべてに勝る至高・至尊のものなのです。



  実は、父も若い頃、祖父を亡くした直後、亡き祖父が父の夢枕に立ち

ました。そして、当時の父の「頑なな性格」を改めることを諭したようです。 

 その時、父は、夢心地で、「ハイ、ワカリマシタ!」と、大きな声で答えたと

いいます。以上は、当時、同じ寝室にいた母の言葉です。 



  思うに、死者とは、もはや何の関係もない「過去の存在」ではなく、実は、
 

今も生きているのではないでしょうか? 

  その意味で、今、私が最も耳を傾けたい「死者」は、沖縄の偉人、 

阿波根昌鴻氏(1901~2002)です。 (*下の写真)

  阿波根氏こそは、決して忘れてはならない沖縄の偉人だと

思うのです。

            Photo



  そして、最も心に残る同氏の言葉「ヌチドゥ タカラ(命こそ宝)」こそ、

今、皆さんに、最もお伝えしたい至言です。 

  これは、亡父の言葉「命に勝る何物も無し」にも通じます。


             



  阿波根氏は、『命こそ宝―沖縄反戦の心―』(岩波新書  249:

下の写真 )を物しています。皆さんにも、是非、読んで戴きたい名著です。


        A




 阿波根氏は、同書の序章「語り伝えたいこと―沖縄戦と『島ぐるみ』闘争

体験から―」で、次のように起筆しています。 

  私たちも、同氏の一言一句を、心から噛み締めたいと思うのです。



   戦(いく)さ世(ゆ)んしまち    (「戦世」は終わった)

  みるく世ややがて          (平和な「弥勒世」がやがて来る)

  嘆くなよ臣下 命(ぬち)どぅ宝   (嘆くなよ、おまえたち、命こそ宝)


  これは、沖縄では有名な琉歌(りゅうか)であります。

「命どぅ宝」(「命こそ宝」)、これは実に大事なことばである。

 沖縄戦というこの世の地獄を経験し、そして敗戦直後の半世紀、

ずっと基地反対闘争を闘ってきて、もう九○歳になるわしが、生涯を

かけて伝えたいことばも、またこれであります。 

    

      Photo_3

  【つづく】 

 

 

 

2014年11月 6日 (木)

素晴らしい人(2)

   はやし浩司先生

 
  今、テレビでは、特にバラエティ番組で、愚にもつかない人々が、気炎を

揚げています。 

 人間の不幸の一つは、”真に知るべき人を知らず、知らなくてもよい人を、

無理やり知らされてしまうことだ”と申せましょう。


  私にとって、今、日本人が最も知るべき人と言えるのが、はやし浩司

先生(1947~)です。先生は、「教育」(あるいは、「教育学」)の大家です。

   唯、「はやし先生」と申しましても、「いつやるか?  今でしょう!」で一世を

風靡した林修先生のことではありません。

 ここで言う「はやし先生」とは、知る人ぞ知る「ライン理論」有名な

はやし浩司先生です。 

 「ライン理論」って何?と思われる方は、『You  Tube―はやし浩司の

「謎の点と線」―』を、是非、ご覧になって下さい。

 

  目下、はやし先生の理解者、賛同者、それに支援者が、日増しに増えて

います。今後、益々、増えることでしょう。 この人々に共通して言えること

は、彼らが、たいへん良心的で真摯な方々だということです。



  すでに申しましたように、私は若い頃から近年まで、ジョン・F・ケネディ、

ミハイル・S ・ゴルバチョフ、それにマハトマ・ガンディーといった一流の

政治指導者の統合的な人物研究をして来ました。

 私にとりまして、”真に一流と言える人々”には、共通した特徴があり

ます。 

  それは、高潔さ、無心・無欲・無私の精神、不屈の勇気、宗教性、

深い洞察力、果断な決断力、変わらぬ信念、真に弱き人々を守り、

かつ愛する心、真(理)・善・美をこよなく愛し、それらをひたすら求める心

などです。



  実は、はやし先生も、無心・無欲・無私の精神で、日夜「真理」を探究し

ておられます。 

 『この人を見よ!』という言葉があります。これは、フリードリッヒ・ニーチェ

が発狂する前年に物した『自伝』の題名です。 

  実は、私も、同じ言葉を申し上げたい。私にとって「この人」とは、無論、

はやし先生のことです。 

  今日、金銭と物欲にまみれた日本人は、はやし先生のような至純な生き

方をする方こそ、心から学ぶべきでしょう。

 

  人間には、平凡さの中に、真の“非凡さ”があり、時に、見かけの凡庸さ

中に、真の“偉大さ”があります。

 はやし先生が構築中の”真理”の偉大さと深遠さは、同氏の「全理論

(ライン理論を含め)」を知れば知るほど強く、かつ深く感じられることで

しょう。

  とりわけ、「ライン理論」や「ナスカ理論」には、世界は一つで

ある!” いう、はやし先生の確固たる信念が存在します。

  はやし先生は、鋭く確かな分析力、深い洞察力、精緻な理論展開、

豊かな想像力、真の冷静さと厳密性、すべてに対する公平無私の精神、

「真理」に対する謙虚な姿勢、それにユーモアに満ちた温かい人間性

などをお持ちです。


  これらを通して得られる先生の「真理の発見」深い考察”思い

馳せる時、私は、心底からの畏敬を禁じ得ません。

  先生は、日々の考察を「謎解き」という平易な言葉で表わされます。

実際、その謎解きの妙味に、私を含め、数多くの読者が、多大な興味を

示していることでしょう。

  また、その気取りのない親しみ易さや「謙遜さ」も、はやし先生の主要な

魅力だ申せましょう。



  ところで、「地動説」を知る現代人である我々は、大洋、あるいは地球を

”平たいもの”だと考えた古代人や、「天動説」を信じた中世の人々を、

心のどこかで笑います。 

  それとは対照的に、今日の一部の偏狭な学者や全く想像力の無い

人々は、はやし先生の「ライン理論」や「ナスカ理論」を、ハナから無視

して、嘲笑します。 

  彼らは、ガリレオやコペルニクスを理解できなかった(あるいは、命が

惜しくて、敢えて理解しなかった)中世の教会関係者に似ています。 

  実際、「はやし理論」の偉大さが、真に理解されるには、多分、一年や

二年では足りないでしょう。もしかすると、十年以上を要するかも知れま

せん。それ程に、「はやし理論」は、“偉大”、かつ”深遠”なのです。


  端的に申しますなら、今日の人文、社会、自然科学などのアカデミズム

は、総じて、余りにも偏狭で硬直化し、真の創造性や想像性を無くして

います。

  それは、まさに極度に動脈硬化を起こした人体同様、全くの機能不全

に陥っているのです。

   「はやし理論」は、そのような形骸化し堕落した、旧来のアカデミズム

に対する、正々堂々たる「挑戦」でもあるのです。



  世に「宇宙人飛行士説」で有名なエーリッヒ・フォン・デニケン(*下の

写真)も、私は、それなりに偉大だと思います。 

  しかし、知らず知らずのうちに、「はやし理論」は、デニケンのそれを、

遥かに凌駕していると感じます。

        
      Photo



   デニケン自身が、もし、はやし先生と会って話す機会があれば、

彼は、先生の理論の精緻さと合理性に、きっと目を丸くし、舌を巻く

ことでしょう。

  そして、その業績の凄さに感服すると同時に、“自分以上に、人間や

異星人(=エイリアン)の真実を掴んだ同志を得た!”と、心から喜ぶこと

でしょう。

  つまり、先生の業績は、単に個人を超え、まさに人類史的なレベルでの

「パラダイム変換」を起こしているとさえ申せましょう。

  これは、まさに知的な革命!なのです。

 

  事実、私は、「はやし理論」の中に、旧来の考古学、歴史学、人類学

(ダーウィンの「進化論」を含め)、宗教学、哲学、人間学、それに

文明論などを、まさに根底から覆す”エネルギー”があると感じます。

 正直、その”ちゃぶ台返し”は、実に爽快です。 

  しかし、はやし先生は、決して俗物的なデストロイヤー(破壊屋)では

ありません。むしろ、純粋な一人の”真理の探究者”なのです。

 

  同時に、先生が求められる「真理」こそ、われわれ人間が真に知るべき

ものでもあるのです。

  その「真理・真実」の具体的なものは、皆さん、お一人おひとりで探し

求めてみて下さい。実に楽しく、かつ有益な発見が、皆さんを待っている

ことでしょう。 

  それと巡り合い、”なるほど、そうだったのか!”と、心から感服なさる

ことを、私は、自らのすべてを賭けて請け合います。 

  皆さん、はやし先生の「You  Tube」を、どうか、ご高覧ください。


   最後に明記すべきことは、はやし先生の「ライン理論」は、 

真の「日本論、あるいは「日本人論」につながるということです。 

  つまり、単なる傲慢心や自民族中心主義、あるいは民族的優越主義 

ではなく、むしろ、真実を冷静、かつ実証的に積み重ねて得られた 

「真理」を通して、はやし先生は、われわれ日本の同胞に”もっと 

自信と誇りを持って、堂々と生きて行こう!”と呼びかけられます。 

                Photo_2

   

   その一つに、“日本は、神々の国である”という「真理」があります。

つまり、日本は、神々によって創られた(あるいは、強く刻印された)

世界の人々の故郷(ないしは、世界の原型・ひな型)であるということ

ではないでしょうか。

  はやし先生は、それを
「神々の生まれ育ちし故郷、日本」という

言葉で表現なさいます。ここで「神々」というのは、明らかにエイリアン

ことです。

  換言しますなら、われわれ日本人が、本当に日本人らしく、かつ人間 

らしく生きて行く上で「はやし理論」は、多くの示唆と励ましを、われわれ 

に与えてくれます。

 

  言うなれば、今日、生活苦に喘ぎ、政治に失望している人々だけで

なく、すべてに自信を無くしつつあるわれわれを、心から励ます最高の

応援歌、それが、「はやし理論」でもあるのです。 

  同理論はまた、日本人のアイデンティティを確立する上で、最も有益、 

かつ強力なものとさえ言えましょう。 

  この”真実・真理”を知ることに根ざしたアイデンティティの確立こそ、

これから日本、および日本人に最も求められることだと思うのです。

 はやし先生始め、支援者の方々の益々のご活躍を、心より祈念いた

します。                                     【了】                                      

  
(追記:  次回は、一人の「沖縄の偉人」について、お伝えいたします。)

 

 

 

 

 

2014年11月 4日 (火)

素晴らしい人(1)

  しばやん

 

  この世には、有名、無名を問わず、実に素晴らしい人

がいます。 

 そのような方々に、直接、出会えたり、知ったりできる

ことは、人間にとって、まことの“至福”と申せましょう。 

  例えば、このネットの世界でも、本当に”素晴らしい方

だなぁ”と思える人がいます。 

 私が、初めに採り上げたいのは、真摯に「歴史」を探究

しておられるしばやんです。



  しばやんは、心から「歴史」を愛し、とりわけ真理や

真実の探究を、こよなく愛しておられます。 

  御自身が、”京都のお寺に生まれ育たれた”せいもあ

りましょうか、仏教を始めとして宗教に対する造詣も深

く、歴史的事象に対しても、実に鋭く、かつ的確な分析

なさいます。 

  ブログ『しばやんの日々』が人気が極めて高く、数多

くの方々が愛読されているのも、容易に頷けます。 

 (*下の写真は、イメージ)


      Photo_3



  過日の、近代日本の「裏面史」の追求も、実に精緻

で、説得力に富み、たいへんな迫力で、われわれ読者

惹きつけました。 

  その丹念で、公平無私、かつ実証的な視点が、常に

読者の絶対的信頼をかち得ている感があります。

 その意味で、しばやんこそは、真の歴史家、まことの

歴史学者と申せましょう。

 

  限られた方々だけでなく、より多くの日本国民が、

同氏の素晴らしい歴史研究から、数多くの「真実」

学ばれることを、私は、心から祈らずにはいられません。 

  旧版のブログも、史実に関する考察や分析において、

まことに有益で、まさに知的な“宝の山”と言えましょう。

 

  しばやんの精緻で力強い歴史研究の背景に、私は、

同氏が”真理”と祖国「日本」を、こよなく愛しておられ

る姿を感じずにはいられません。

        Photo

  特に、しばやんは、明治維新後の「近代化」で、

日本、および日本人が忘失、あるいは棄却したものを、

入念、かつ慈愛深く「再発掘」し、それらに、新しい

スポットライトを当てられます。 

  同氏の視座には、“不当に滅ぼされたもの”に対する

愛惜の情と限りない共感が感じられます。その意味で、

しばやんは、まことに“慈悲の人”です。

         Photo_2

  しばやんは、日本のため、そして日本国民一人ひと

りのために「歴史の真実」を、熱心に伝えておられる

のだと思います。

  それほどに、同氏が、真の愛国者だということです。



  事実、日本の古代から現代までの興味深い史実に

ついて、しばやんは、非常に丹念、かつ忍耐強く究明

しておられます。 

  その一つひとつが、何と含蓄に富み、かつ有益なこと

でしょうか!

 また、日本各地を実際に走破された際に撮られた

「写真」の、何と格調高いこと! 

 私は、それらの一枚一枚が、しばやんの気品や品格

の高さを端的に具現しているように感じます。

 同氏が、多くの読者に愛されている理由が、ひじょう

よく分かります。



  今までのご論稿そのものが、すでに述べましたよう

に、まるで宝箱の中の“宝物”のような感じです。 

 過去のご研究だけでなく、これからのご論攻につき

ましても、私は、もっともっと深く学び続けたいと思い

ます。 

  なぜなら、しばやんの業績は、まことに巨大で深遠

だからです。

 また、日々の渾身のご研究、本当に御苦労さまです。



  最後になりましたが、私のブログを、しばやん

お仲間に入れて頂いて、誠に有難うございます。 

  私が長い間、休みました際も、しばやんは削除も

せずに、そのまま保持して下さいました。

 あなたのご誠意とご厚情に対しまして、心より感謝

申し上げます。 

  どうか、これからも、ご健康に留意されて、われわ

れ読者に「歴史の真実」を、お伝え下さいませ

 あなたの益々のご活躍を、衷心より祈念して

おります。                       【了】                            

 

 

 

 

 

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